2億円を積まれて最悪な気分になった話①

こんにちは。ももです。
今回は、わたしの実父の話です。怒りも悔しさも涙もココに全部置いていくつもりで書きます。

※交通事故や、身内の介護・死別の話が出てくることになります。場合により読むのをお控えください。タップ(クリック)ありがとうございました。


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父はとても優しくて、強い人でした。

諍いくらい勿論あったし、わたしは反抗期もちゃんと来たので父を疎ましく思ってしまったこともあったし、酷いことを言ったり、言われたり。

でもそれが家族というものだと思っています。
わたしも含めて『人は常にベストを尽くして生きている』という考えがわたしにはあるので(※この点、いつか記事にするかもしれません)、今、父を悪く思うことは無いし、恨みごともありません。父もわたしのことを悪くは思っていないと、信じています。

父は、健康にかなり気を遣っていました。仕事から帰るのが夜遅い時間になっても、帰ってくると着替えては筋トレ。ダンベル、腹筋、背筋。それから夕飯。夕飯も、野菜から食べて、タンパク質、ごはん。たまにビールも飲みましたが嗜む程度。湯船も好きで、鼻歌を歌いながらしっかりあたたまる。休日はクルマやバイクで公園などに行っては、ウォーキング、ジョギング。たまに、ボウリング…、マイボールも持っていました。そういえば父の自室には、「細マッチョ」を特集している雑誌もありました。雑誌といえば、あとはバイクの雑誌………

そう、父のいちばんの趣味は、バイク。
彼は生粋のバイク乗りです。

愛車はYAMAHAさんの…、車種は控えますが、前傾姿勢で乗るタイプで、ものすごいスピードの出る、レース用のバイクです。とても大きく、重く、カーブを曲がる時は車体を地面と平行になるほど倒す、アレです。

父とよく似て、とても格好いいバイクでした。

父はバイクの手入れも念入りで、愛車であるそれを非常に大切にしていました。タイヤの印字が剥げれば塗り直し、洗車をしてワックスで磨き、映えるところに連れて行っては停めて、よく写真を撮っていました。

父の言う「散歩」とは、「バイクでひとっ走り」という意味でした。

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事故は、まさに父がいつもの「散歩」に出ている時に起こりました。

詳細は伏せますが、バイクで走行中の父を、一時『不』停止のダンプが、はねたのです。

一瞬の出来事でした。
その時、自分の首から「クシャッ」という何かが潰れるような音を聞いたと、後に父は語りました(恐らくですが、これが頚椎損傷時の音ですね)。宙に投げ出され、地面に転がり落ちて、父は自分の身体がピクリとも動かせないことに気が付いたと言います。これはやばいなあ、と思ったそうです。

ダンプは、逃げませんでした。
やがて救急車が来て、父は事故現場近くの急性期病院に担ぎ込まれました。(この頃、母の携帯に救急隊員のかたから父が事故に遭ったと電話を貰い、急ぎ身支度をして電車に飛び乗るのでした。)

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頚椎1番2番の損傷。
加えて、脊髄損傷。それによる四肢麻痺。

※頚椎とは:頭蓋骨の真下から臀部(仙骨)へと続く骨の中でも、首にある骨です。ヒトも、ネズミでもキリンでも、頚椎は7つの骨から成ります。上から順番に、1番(C1)〜7番(C7)まで番号が振られており【小さい番号の頚椎ほど身体の上のほうを司る】(【】内は父を診たお医者さんからの説明)とのことです。
※脊髄とは:頚椎を含む背骨の中を通る、太い神経のことです。これが正常に働くことで、わたし達は身体を動かすことができます。

つまり父は「首から下が一切動かせない、自分で寝返りもうてない、自分で食事も排泄もできない、完全な寝たきり」になったということです。

頭部を支える骨(頚椎)を損傷し、頭を支えることができなくなったため、父は文字通り首の皮一枚で生を繋いでいました。

父は、(職種は伏せますが)仕事柄、交通事故の怖さをよく知っていたので、バイクに乗る時は必ずヘルメットとライダースーツを着用していました。もちろん、事故の時も。そのお陰か、その他に目立った外傷は無く、また、頭(意識)もハッキリしていました。ついでに、不思議なことに、父の愛車も携帯電話もキレイなままでした。

……未だに答えが出ないのですが、どうして、こんなことが起こるのでしょうね。父が一体なにをしたというのでしょうか。

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ああ、あの朝。父が「散歩に行ってくるよ」と、寝てる母に伝える代わりにわたしに言い残して出て行った、あの朝。『今日は行かないで』と言えていたなら。みても仕方の無い夢を、あれから何度みたことかわかりません。そして今も。

あの朝、雨が降っていさえすれば、父は「散歩」に行かなかったのに。

あの憎いダンプが、交通規則に則りちゃんと一時停止線で一時停止をしていれば。

父があと少しだけ、あと少しだけスピードを抑えていれば、時間がズレていた筈なのに。

あと1秒でも、
あと1秒でいい、
あと1秒でいいから、
ズレてさえいれば。

どれだけ後悔しても、なにを夢みても。
過去には戻れないし、現実は変わらなかった。

ICU(集中治療室)のベッドには、あんなに元気で快活だった父が、今や、ただそこに横たわっているだけでした。父は自発呼吸さえ難しい状況で口から挿管されていたため、話すことも叶わず。わたしはそんな父のベッドの横に立って「死なないでくれ」と泣くことしかできませんでした。

父が助かるなら、わたしは他に何も望まない。
本気でした。


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長くなったので、分けます。
また書きますので、ぜひ読んでください。

ありがとうございました。

20240421

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