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noteをみんなに読んでもらいたいのに身内に読まれるのは恥ずかしいのはなぜか〜早速旦那にnoteアカウントがばれました〜

1.旦那にアカウントがバレた件


noteを始めてまだ数日。
記事も数本しかありませんが、すこーしずつスキがもらえてきて、それがうれしくてたまりません。
noteで文章力を鍛えて、何十年後の老後には、文章に携わる仕事やボランティアに従事したいな…とか思ってます。

前々からnoteは気になっていたのですが、何かと始めない理由を探しズルズルと先延ばしにしてました。
2022年は自分の好きなことをやるぞ!
と決めたので、先日ようやく重い腰を上げてアカウントを作成したのでした。

で、昨日。
わたしのそんなささやかな達成を旦那に報告していると、前からブログから収益を得ることに興味があった旦那はさっそく
「noteって課金あるの?」
「(noteを調べて)ふーんアフィリエイトできるんだ」
などなどnoteに興味津々。
ちなみに、旦那は「わたしに」ブログを「書かせて」、そこから収益を得るモデルを考えています。

そこからこんなやりとりに。

旦那「どんな内容のもの書いてるの?」
私「育児とか、最終兵器俺達とか、いまんとこそんなもん」
私「あ、でもまだ収益化できるほどの文章ではないし、きちんとしたの書けるようになったら見せるよ」
旦那「(検索し)見つけたよ」

私「え」

旦那「ここの写真、これはやめた方がいいんじゃ」

私「今、まだ見せれる段階じゃないって言ったよね?なんで検索して探してんの!?そして見てるし!今後一切見ないでよ!!」
旦那「わかったよ、もう今後は見ないよ…」

はい、アカウントバレました〜


もう見ないとか言ってますけど、今後ずっと見られちゃうんだろうな

あー嫌だ!!!!!!!!!

ここで考えたんです。

もちろん、趣味の領域に旦那が土足で踏み込んでくることが嫌なのですが

もっと根底にあるのは

身内に自分の文章を読まれるのは恥ずかしい…!

これじゃないでしょうか。
でもなぜでしょうか。noteをより多くの人に読んでもらえると嬉しいのに?

2.身内に文章を見られて恥ずかしい理由についての私見

わたしにとってnoteは、不特定多数の顔を合わせたこともない人向けに、自分の考えを発信する場所です。

そこでの意見は、例えば子供について書けば一般名詞の「子供」について、恋愛についてかけば一般名詞の「恋愛」についてです。

実際には
「わたし」の「子供」
「わたし」の「恋愛」
について意見を述べていても
不特定多数の他人からしたら「わたし」の部分が見えないので、「わたし」のことであれ堂々と書くことができます。

しかし文章を読むのが「わたし」を知る身内相手となると、
「子供」=「わたしの子供である〇〇君」
「恋愛」=「わたしの〇〇のときの恋愛」
と、すべてが「わたし」の私事として読めるんです。
ま、実際に私事なんですけどね。

読まれる身としては、身内相手だとまるで自分の日記を読まれているような気になるんです。 

noteに書くときはなるべく日記調にはならないように、人に読まれることを意識してはいますが、
書く内容はどうしても私事になってしまいますよね。

というか、わたしはnoteで自分の周りに起こった出来事に対しての意見とか思ったことを書いていきたいので、その内容は私事でいいんです。

ただ、読み手によってはそこに書かれている以上のことを読み取ってしまい、結果としてはそこで嘲りとか、侮蔑、嘲笑の感情が生まれてきちゃうんですよね。

わたしが株式市場の動向について書いたりしたら、身内にも堂々と公開できるのですが(笑)

身内に文章を見られるのは、日記を読まれるのと同じなんですね。

3.まとめ

人の日記を勝手に読むような奴(=旦那)は、地獄に落ちてしまえ



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