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【速報/短信】ゼレンスキー大統領のオンライン演説、感動しない日本人はいなかったのではないか?【素晴らし過ぎる】

3月23日、ウクライナのゼレンスキー大統領が、衆議院の場を借りる形で日本国民へ感謝の意を表明した。
既に、多くのメディアがこの件を報じているが、遅ればせながら多々野親父も演説内容を取り上げ、返杯の記事をアップしたいと思う。

●さすがは俳優経験者、抑えるべきを確実に抑え、日本人の琴線へ訴えかける名演説を繰り出した●
演説の予定日時が発表されて以降、ロシアがキエフを陥落させて全部がオジャンになるなんてないよな?と心配していたので、とにかく無事に始まったことがわかった時はほっとした。
約12分間に渡って行われた演説は、敢えて福島第一原発や東日本大震災、地下鉄サリン事件といった個別の名称を持ち出さず、災害や事件によって被害を受けた日本と、ウクライナが今置かれている状況を重ねる形で共感を得るスタイルをとり、これが日本人のメンタリティへ強く訴えかける効果を生んでいた。
日本のネットユーザーの反応もおおむね好評で、ウクライナに対する好感度がさらに上がる結果となった。
個人的には、「(ロシアによる)侵略の『津波』を止めたい」という言葉に涙が出たことを付記したい。
数ある記事の中から、演説全文をフォローしたアエラのものをチョイスしている。


「ウクライナへの侵略の津波を止めたい」 ゼレンスキー大統領が12分の演説で訴えたこと【全文】〈AERA〉
3/23(水) 20:12配信 AERA dot.
ウクライナのゼレンスキー大統領が23日、国会で12分にわたってオンライン演説をした。ロシアによるウクライナへの侵攻を巡り、「日本はアジアで初めて援助の手を差し伸べた」と述べ、謝意を示した。以下に演説の全文を掲載する。
*  *  *
細田衆議院議長、山東参議院議長、岸田総理大臣、日本国会議員の皆様、日本国民の皆様。本日は私がウクライナ大統領として史上初めて、国家元首として直接皆様にお話できることを光栄に思います。
両国の間には、8193kmの距離があります。経路によっては、飛行機で15時間もかかります。ただし、お互いの自由への思いに差はありません。また、生きる意欲の気持ちにも差はありません。それを実感したのは、2月24日です。日本がすぐ援助の手を差し伸べてくれました。心から感謝しております。
ロシアがウクライナの平和を破壊し始めたとき、私たちは世の中の本当の様子を見ることができました。本当の反戦運動、本当の自由や平和への望み、本当の地球の安全への望み。
日本はアジアのリーダーになりました。皆様は、この苦しい大変な戦争を止めるために努力し始めました。日本はウクライナの平和の復活に動き始めました。それはウクライナだけではなく、ヨーロッパ、世界にとって重要なことです。この戦争が終わらない限り、平和がない限り、安全だと感じる人はいないでしょう。
皆様は、チェルノブイリ原発の事故をご存知だと思います。1986年に大きな事故がありました。放射能が放出し、世界各地域で(事故が)登録されました。原発周辺の「30キロゾーン」というのはいまだに危険な場所で、その森の土の中には、事故終息後から多くのがれき、機械、資材などが埋められました。
2月24日、その土の上にロシア軍の装甲車両が通りました。そして、放射性物質のダストを空気にあげました。チェルノブイリ原発が支配されたのです。
事故があった原発を想像してみてください。破壊された原子炉の上にある、現役の核物質処理場をロシアが戦場に変えました。また、ウクライナに対する攻撃準備のために、30キロメートルの閉鎖された区域を使っています。ウクライナでの戦争が終わってから、どれだけ大きな環境被害があったかを調査するのには何年もかかるでしょう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3788245b2b869fe9392b727adfcaba6827f3c2e1


演説内容の要点を抽出すると、以下のようになる。

・チェルノブイリで大被害が起き、その調査には何年もかかる
・被害からの復興を日本はよくわかっていると思う
・ロシアはサリンを使ってくる
そして最後に、日本語の「アリガトウ」で締めている。

画面に登場したゼレンスキーは、これまで公開されてきたこざっぱりした風体ではなく、顎髭が伸び始めた少しワイルドな印象で登場したが、戦時中であることを思えば、その程度の粗相は許しておくれ、ということだろう。逆に、ウクライナ軍の制服ででも失礼、無礼という批判にはならなかったようにさえ思う。

ゼレンスキーに、日本人は「察し、察する関係を好む」と教えたのが誰かはわからない。
だが、国会演説で日本の過去の歴史を批判せず、原発事故や化学兵器の被害という観点からその経験の共有や、そこから立ち上がろうとしてきた日本へのリスペクト、そして共に国際状況の改革に立ちあがろうという訴えへ進めていった点に、胸倉を鷲掴みにされたように感じた。
更に、ウクライナ侵攻からの復興のために日本の力が必要であるとだけを呼びかけたことも心憎いものだった。ゼレンスキーは、日本が憲法で戦争そのものへの参加ができないこと、もちろんアメリカのような軍事的協力もできないことをわかった上で、あえてできないものを求めるようなことはしなかった。その姿勢から、日本人はそれでもウクライナへ日本ができることは何か?を考えるきっかけを与えたわけ。

ゼレンスキーは、アメリカの議員とオンラインで会談をした際に、生きて話ができるのはこれが最後だろう、と語っている。あの予言が当たっていれば、日本への演説もなかったのだと思うと、演説に託された日本への願いをより強く意識せずにはいられない。ウクライナへがんばれと、日本からも「元気玉」を送ろうではないか。

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