初めまして ^^
皆様、私の自己紹介をご覧いただき、ありがとうございます。
ここでは、公務員の妻で元、専業主婦に近かった私が
引きこもりで部屋から出てこない状態だった長女、
うつ病をきっかけに仕事を辞めた主人と向き合う事で、
どのように心境と家族が変化していったのかを知って頂き、
同じような悩みを抱えた方の
何か一つでも、
今日を生きていくヒントとなってくれたら嬉しいな…と思い、
紹介させて頂きます。
お時間ある方は、
お付き合いくださると嬉しいです。
まず、わたくし。
娘二人と主人の4人暮らしです。
地方公務員である主人と結婚して
19年間、時々パートのお仕事を行いながら、節約しながら
ほぼ専業主婦として暮らしておりました。
そして
普段から優しく、大人しいタイプの長女は
中学校へ入学してから
友人に誘われるままに吹奏楽部の部活を頑張って続けておりました。
そんな長女が中学2年生だった3学期の冬。
「おなかが痛い…」「学校を休みたい…」「今日は行きたくない…」
と、口に出して休むように。
最初は
本当にお腹が痛いのだろうな…
何かの病気かな…と、
心配しながら「病院へ行こうか?」と、
声を掛けていたのですが、
「病院へは行かなくていい」
とのことで、様子を見る事に。
それが、二日目、三日目、一週間…と
続いていき、
当初は、
「明日からは、学校へ行くから…」
「来週からは必ず行く…」
「約束する…」
という言葉を信じて
明日は行けるんだろうな…。
来週になれば…。
と、私も楽観視していました。
もちろん
何故行かないのか…?なぜ行けないのか…?
と、原因も何度か本人に聞いたりして探すようになりましたが、
原因を聞いても本人は、
ただお腹が痛いだけ…
分からない…という言葉が続き
もしかして、イジメられているのかな…
そんな考えが、頭を何度もよぎりました。
学校の担任に問い合わせても、
そんな形跡もなく、友人に話を聞いても首をかしげるばかり…。
本人も、イジメられたわけでは無い…という回答。
そうこうしているうちに
一週間、二週間、…と、
お休みするのが当たり前となり、
いつしか、
明日は学校へ行ってくれる!?
という期待も段々としなくなっていったように思います。
それでも私自身は、
何で学校へ行きたくないんだろう…
何故行けないんだろう…
学校を変えた方がいいのかな…
成績がついていけなくなるよな…。
友人関係や部活は大丈夫かな…。
卒業できるのかな‥‥。
このままでいいのかな…
いろいろな不安で押し潰されそうになる時がありました。
また、主人も焦りを感じていたようで、
本人はそっちのけで、
「今の学校へ行きたくないのだったら、転校した方がいいかも…。」
という考えが主人と私の間によぎっていました。
そんな話を本人にした結果、
ますます私達とも話すこともなく、頑なになり、
学校どころか、自宅でも
部屋から一歩も出ないで、誰とも顔を合わせない日々が段々と増えてくるようになりました。
その時の私の心境としては、
何故なぜ?
どうして?
どうしたら、学校へ行ってくれるのかな…?
どうしたら、普通の生活に戻ってくれるのかな…?
という心配ばかりで、
今思うと、
本人の気持ちを一切考えていない、ひどい母親だったかと思います。
そうこうしているうちに、
春休みへ突入し、学校はお休み期間へ。
どこかちょっとほっとした自分が居たのも確かです。
なぜなら、
毎朝学校へ欠席の連絡をせずに済むから。
そして、
しばらくお休みが続いて、
3年生になったら、クラス替えもあるし
担任も変わるし…
きっとまた、行けるようになるよね…という
楽観的な考えだったかも知れません…。
中学3年生になると、次女も今度は中学1年生となります。
次女も一緒に、行けるようになるかなぁ…
なんて考えもよぎっていました。
その頃、
同じアパートに長女の同級生。
母子家庭のMちゃんが住んでおりました。
部活も吹奏楽で一緒。
帰りも一緒。
その子の母親とも、よくお話させていただく間柄。
Mちゃんもお母さんも、長女の事はとても心配してくれて
特にMちゃんは
学校のプリント等を、よくうちまで届けてくれていました。
けれども、長女はその友人にさえも
一切会う事もなく、
私は
いつも笑顔でプリントを届けてくれて、心配してくれる友人にさえも会えなくて、彼女に気の毒に思っていました。
そのうち
学校の相談員さん、担任の先生、部活の先生…やらの
長女の関係者の先生方が訪問してくるようになりましたが、
やはり一切だれにも会う事はできませんでした。
それどころかむしろ、
誰かが訪ねてきた時は、部屋にも姿が見えない時もあり、
本人は押し入れに隠れて居たり、
ベランダに隠れて居たり…。
そこまで徹底して
誰とも合わない状況を頑なに作っていました…。
今思うと、
そこまでの状況になるくらい、
長女を追い詰めてしまっていた…。
そんな長女の辛い心境が伺えます。
そんなこんなで、春休みも終わり
いざ、新学期が始まった時。
次女が中学校へ入学しました。
春休みの間、
学校は?という言葉を聞かなくなったせいか
少しだけ落ち着いたように感じられていた長女も、
新学期が近づくにつれ、あまり多くを語らなくなっていました。
そんな長女の様子を見て
学校へ行けなくても仕方ないかな…という諦めにも似た感情が
私の中にあったかも知れません。
不登校の本を読み漁って、
どんな解決法があるのか…
私は間違っているのかな…
どう向き合えばいいのかな…
そんな藁をもつかむ気持ちもありました。
そうして
次女の中学校入学式を終えた数日後…
『熊本大震災』が起きました。
初めは
前震と言われる余震。
最大震度6弱の地震が最初に起き、
アパート1階に住んでいた私達家族は近くに住んでいた義母を引き連れて避難所へ。
その頃主人は
心臓に入れている機械の電池交換の関係で、
大きな病院で手術を受け、術後二日目、まだ入院中でした。
大きな地震を経験した後、
とにかく食料品を買い込み、義母を連れて避難所へと移動しました。
その際、
頑なに人と会うのを拒否していた長女も
緊急事態!!ということで
外へ出ざる負えない状況へとなり、半ば強制的に、一緒に避難しました。
そしてMちゃん母子とも再会。
しばらくは、避難所でもずっと
Mちゃん母子とも一緒に行動するようになりました。
今となっては、
Mちゃんと会ったことも長女にとってはとても勇気が要る事だったと思います。
その時の私は友人と会えたことに、ただただほっとしており、
長女を気遣う余裕はありませんでした。
それから2日後、
避難所での真夜中、震度7の本震が襲いました。
避難所でさえも蛍光灯や壁の一部が剥がれ落ちてきて…
そこからも非難せざるを得なくなり、
私達は車の中での生活となりました。
その頃、長女はいつもMちゃんと一緒に行動。
以前の生活に戻ったかな…。と、内心、安堵していたのも事実です。
けれども彼女は
会いたくない友人や先生方とも、何度も会う羽目になり
外での生活も、相当無理を積んでいたのだろうと思います。
自宅へ戻ってきたのはそれから、2週間後くらい。
戻る直前、長女は体調を崩して
高熱と共にお腹も下してしまっていました。
精神的、肉体的に相当な無理がたたっていたのだと思いました。
自宅へと返り、体調を崩した長女。
回復した後は、再び誰にも会わずに不登校へとなりました。
そして主人は…と、申しますと
本震がきた翌日、
主人も完治していない身体で早期退院させられることとなり、
しばらくは、義母の車で生活をしてもらいました。
その頃はまだ、退院直後で
職場への復帰もしておらず術後4日目。
今から体力をつけていく…という感じでした。
それから、
ようやく主人も職場へと復帰していきました。
復帰したのも束の間
主人は夜遅くまで帰れない日々が続きました。
そこは
震災で被害を被った住民から怒号を直接耳にする立場の職場環境であり、
上司と住民との板挟みで
精神的に追い詰められる日々が続き
真面目で考えすぎる一面を持つ主人は
気付くと手の震えとともに
字がまともに書けないくらい、身体にも異変が現れ、
記憶も少し飛び飛びに…
「死」という言葉が何度か飛び出るくらい
追い詰められた状況になっていました。
病院の診断は
最初は 「適応障害」
そして 「うつ病」 へと変わっていきました。
今では、ほぼ身体や精神も元に戻った主人ですが、
その頃の記憶は今でもあまり覚えていないそうです。
さて、
長女の「不登校」→ 大震災 → 主人の「うつ病」発症。
その時
私は何を毎日していたのか…と、申しますと、
一言でお伝えすると
『ただひたすら、毎日出来る事をこなしていた。』
これに尽きます。
その日その日、
自分にとって出来る事。
つまり、
食事を作ったり、
主人を病院へ連れて行ったり、
家での片付け作業だったり、
避難所では支援物資を頂きに行ったり…
避難生活が終わったら、
主人を病院へ連れて行ったり…
長女の学校の先生と面談したり…
主人の職場へと顔を出したり…
天気の良い日は、二人を散歩に連れて行ったり…
とにかく、
その日その日を淡々と、やりこなして過ごしていたように思います。
何も期待せず、
いつまで続くんだろう…と不安を抱えず、
本当にその、一日一日を
ただ、過ごしていました。
もしかしたら、私の顔からも
笑顔が消えていたかも知れません…。
あまり、次女の事も考えてあげていなくて
次女も相当寂しい思いをさせていたように感じます。
今では元気いっぱいな次女ですが、
その頃は、
中学校へ行くと「お姉ちゃんは元気??」と、いつも聞かれていて
お姉ちゃんの様子を報告していた。
それがいつもすごく嫌だった!と、言ってました。
次女にも相当なストレスだったと思います。
ですが次女を気遣う余裕もなく
私の中では
ただ、淡々と、一日一日を過ごしていた記憶があります。
それが、その時の私の
精一杯だったと感じます。
長女や次女を気遣えない
ダメな母親。
当時の私の印象は一言でいうとこんな感じでしょう。
けれどもきっと
私にとって毎日をただ、淡々とこなすべき事があり、
こなさなければならない出来事があったから
前へ進めてきた。
今ではそう思っています。
もしも今、
貴方の中で、
貴方自身が、絶望と言われるほどの不安に呑み込まれそうになっているならば…
ただ毎日の目の前の事。
やるべき事を淡々とこなしていってみて下さい。
きっとそこには
明日へと繋がる道ができていき、
振り返るとそれが
希望への道に繋がって行く事と思いますよ。
不登校や鬱を抱えたご家族様は
その方の年齢、立場や環境、状況も様々で一概には言えないかと思いますが、
今の私が皆様に言える事は
自分自身が辛い時、苦しい時
そんな時はだれでもいい!!
どなたかに、気持ちを吐き出す場を作って頂きたいと思います。
自分一人で、決して抱え込まず
身近な方に話せない時は
全く知らない方でもいいので、
じっくりと話を聞いてくれる方。
そんな方を見つけてみて下さい。
「決してあなたは一人じゃない…」
そうお伝えさせてください。
今の不安な毎日を抜け出す為に
今、私が出来る事が
皆様の話しを聞くことです。
もしも誰か、話せる人がいらっしゃるのでしたら、
是非その方に!
でももしも、
誰にも話せないのでしたら
私にお話ししてみませんか?
貴方の想いを話していただけるだけで、
少なからず、貴方の心もスッキリとしてくると思います。
そして今
主人は仕事を辞めて自分の好きな仕事を始め、鬱でいただいていた薬も
ほぼほぼ飲まない生活となり、
毎日を生き生きと過ごしています。
長女はその後、
不登校のまま中学校を卒業。
通信制高校へ通い出し
しばらくはその高校へもなかなか行けない日々でしたが、
どうにか、卒業もできて
今は週に一度、外へ出てバイトも行けるように。
余った時間は自分の好きな動画編集をしてYouTubeに投稿を続けています。
長女について。
一般的な考え方だと、
就職もしていないし、好きな事をしているだけ。
そんな風に思われる方もいらっしゃるかも知れません。
ですが彼女はその後、
大きな病気が見つかり
頭に大手術を受けた経緯もあり、
そうやって好きな事に打ち込んで毎日笑顔で元気に過ごしている長女の姿は
私にとっては
何よりも今は幸せに映っています。
そして
私の子育ての最終目標は…
良い会社へ就職すること
でも
高い給料のところで働いてもらうこと
でもなく
『自分一人でも、幸せに生きて行く力を身につける事』
です。
ですから
本当に好きな事が形になって行きつつある姿を見るのが
とても嬉しくもあるんです。
それで
食べていけるようになるかどうか…
それはまた、2年後、3年後を見て行って判断となりますが、
今、彼女が取り組んでいる事も
一つも無駄なことはなく、
ちゃんと未来へと繋がっている事だとも
感じています。
そして、その生きていく為の力は
少しずつついてきており、
家事は一通り出来るようになりました。
特に料理が得意です!
そして家族の中では
誰よりも気が利いて
思いやりのある優しい長女です。
ですからとても
未来が頼もしく感じておりますよ。
今になって、
時々不登校当時を振り返る時があります。
「自分でもどうして不登校になったのか
分からない…。
けれども、
いろんな事に対して
もの凄く敏感に考えすぎていたし
給食を食べる時の
自分の視線、
相手の視線、動作を一つ一つ考えて行動しないと怖かった。
休み時間も
給食中も
部活の時も
周囲の人にどう思われているのか…
すごく気を使っていた…。」
とのことでした。
「そんなに四六時中
周囲の事ばかり気にしていたら、
それは思考が一杯いっぱいになって大変だったねぇ…」
というお話を
何回かした事がありました。
今は社会不安症、HSPという病名も持ち
精神科でもお世話になりながら
一人で生きて行く為に懸命に過ごしています。
親として
そんな長女をできる限り
側で温かく見守りたいものです。
その後の私は…と申しますと
自分の好きな事を見つけ
占い師、カウンセラーへの道へと進んで参りました。
そしてカウンセラーや占いを習った今だからこそ
当時の私にも沢山アドバイスしたい事があります。
さて、
貴方の子育て。
最終目標はどこですか?
どんな大人に成長してくれたら
貴方は幸せ思いますか?
そんな事を
じっくり、ゆっくりとお話出来たら幸いに思いますよ。
そして、貴方ご自身が
幸せに生きていくためのヒントをいろいろとお話させて頂けたら幸いです。
人生は長いようで短いです。
今の貴方の生き方、考え方を少し変えていくだけで
周囲を幸せにしていく事だってできます。
自信を持っていいんです。
だって貴方は今までもそうやって
一生懸命に周囲の方の為に頑張ってこられたから…。
そんな貴方の背中を少しだけ
押させてくださいね。
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でも、もう少しだけ
私の考え方の続きを聞きたい!
とおっしゃる方は、
良かったら私の他の note 記事をご覧ください。
皆様のお役に立てると幸いです。
ここまでの長文、
お読み下さりありがとうございました。
momo🍀
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