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福音を証しするシリーズ

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#主イエス

全能神が清めを得る道に私を導い

2007年、私は生計を立てるべく、単身シンガポールに赴きました。シンガポールは本当に一年中暑く、日々大量の汗をかきながら働きました。それは実に惨めで、そのうえ家族や友人もおらず、まったく馴染みのない場所で暮らしていたこともあり、生活が本当につまらなく、退屈なものに感じられました。8月のある日、仕事を終えて帰宅する途中、私は福音のパンフレットを受け取りましたが、そこにはこう記されていました。

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質問2.

全能神教会では、主イエスの再来についてすでに証しをされている。そうですね。全能神は主だと。全能神は終わりの日に裁きを行われる。しかし多くの信者は信じています。主は雲に乗って来られると。主イエスが言われたからです。「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」(マタイによる

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救いとは? 天国に入るために必要なのは救いだけ?

目 次
● 「救い」の真の意味
● いかにして救いを受け、天国に入ることができるか?
多くの人が、主の到来後すぐに救われ、天国に引き上げられることを待ち望みます。主イエスが帰ってきて、人々を救い清めるために、神の家から始まる裁きの働きを行っていると、公然と証しているのは、今のところ『全能神教会』だけです。この知らせを聞いて困惑する人もいるでしょう。彼らは次の節を読みます。「信じてバプテス

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わたしの羊はわたしの声に聞き従う」と主は言いました。主が戻られ、羊を集めていると分かりました。主を待つとは主の声を探し求めることですが、問題は主の声をどうやって聞くのか知らないことです。神の声と人間の声の区別がつきません。絶対に主の声だと分かるにはどうしたらいいですか?

解答: 神の声を聞くのに、人としての資質や経験の長さは関係ありません。信仰において、主イエスの言葉を聞いた時どう感じるでしょう?主の言葉について経験も認識もないのに、聞いた瞬間に、それは真理であると感じて、権威と力があると分かるでしょう。その感覚というのは経験から来るものでしょうか?霊感と直感から来るのです。その証拠に、心と霊がある人は神の言葉が持つ力と権威を感じられます。これが神の声を聞

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救いとは? 天国に入るために必要なのは救いだけ?

目 次
● 「救い」の真の意味
● いかにして救いを受け、天国に入ることができるか?
多くの人が、主の到来後すぐに救われ、天国に引き上げられることを待ち望みます。主イエスが帰ってきて、人々を救い清めるために、神の家から始まる裁きの働きを行っていると、公然と証しているのは、今のところ『全能神教会』だけです。この知らせを聞いて困惑する人もいるでしょう。彼らは次の節を読みます。「信じてバプテ

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全能神の御言葉と働きは黙示録の預言を成就する

康健(カン・ジエン)、中国

私たちは今終わりの日にいます。そして主イエスはずっと前に再臨されました。それは受肉された全能神です。全能神は言葉により人を裁いて清めるという段階の働きを行われますが、この働きは独立した自己完結的な働きではありません。むしろヤーウェとイエスの働きを土台として行われる、より深い高次の働きです。しかし、このように言う人々がいます。

「終わりの日における全能神の

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神の羊は神の声を聞く:真の道を究めるには神の言葉を聞くべきです

ここ数か月間、パンデミックが広がり、感染確認者数と死亡数がどんどん増えつつあります。世界中に昆虫の大量発生、洪水、火事、戦争の脅威など、災が蔓延しています。クリスチャンの多くは、主が既に再臨されていることに気づいており、今やその出現を求めつつあります。現在、全能神の教会だけが主は再臨されていると証ししており、今や多くの人が全能神の出現と働きを求め究めつつあります。全能神の言葉を聞いて、

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キリストが真理、道、そしていのちであることをどのように理解するべきか

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。」(ヨハネによる福音書 1:1-2)

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。…めぐみとまこととに満ちていた。」(ヨハネによる福音書 1:14)

「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネによる福音書 14:6)

わた

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聖書における罪とは何か。クリスチャンはどのように罪から抜け出すか

「イエスは彼らに答えられた、『よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる』。」(ヨハネによる福音書 8:34–35)主の御言葉では、人々が罪の束縛から逃れることができないなら、そして罪を犯し続けるなら、彼らは罪の奴隷であり、決して神の国に入ることはないとされています。聖書のこの一節を読むと、多くの信心深い

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マタイの福音書25章の说教:どのように賢い乙女になって主を迎えるか

主イエスは言われた。「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである」(マタイによる福音書 24:6–8)現在、世界中で大災害の発生がますます増加しており、武漢コロナウイルス、

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賢明な乙女とは何か。愚かな乙女とは何か。

関連する神の言葉
過去に、「五人の賢いおとめと五人の愚かなおとめ」について預言をした人たちがいた。預言は正確ではないものの、全てが誤りではない。それ故、あなた方に説明しよう。五人の賢いおとめと五人の愚かなおとめの両方が、人数を表しているのでも、それぞれがどのようなタイプの人間であるかを表しているのでもない。五人の賢いおとめとは、人々の数を表しており、五人の愚かなおとめはあるタイプの人々を表

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人生の明るい道を歩んでいます

以前、私は世界のトレンドを追い掛けるような人で、遊蕩生活に身を任せてしまいたくて肉の快楽だけを欲していました。私はよく友達と一晩中カラオケに行ったり、夜中に車を乗り回したり、海に出て釣りをしたり、美味しい食べ物を探して世界中を旅したりしていました。自分の周りにいる他の人達を見ても、皆が美味しい物を食べたり、高価な物を身に付けたり、贅沢を楽しもうとしていました。私は、人は人生においてこういったものを

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