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【短編小説】夏景斉唱

 焦げたアスファルトのにおいが鼻をつく。東京は今日も快晴、何がそんなにめでたいのか、鳴りやまない斉唱を頭の上に聞きながら途切れ途切れの陰を踏み歩く。

 連日の長雨に憂いていたと思ったら気付けば八月も折り返しで、わたしは何度でも時の流れのはやさに驚かされる。ひとつ歳を重ねるごとに記憶の順番があやふやになり、多分自分でも気付かないうちに失ったり、脚色されたりして塗り替えられていく。
きっとおばあさんになる頃にはこの瞬間も淘汰されているのであろう。好きだったあの子のことも、目次にすら載らないんじゃないかと切なさとも少し違う感覚を覚えつつ、このあたりで蒸し暑さに耐えられなくなって、どこか一息つける場所はないかとあたりを見渡した。毎日時間に追われながら通り抜けるこの道も、こうして改めてみると見覚えのないような店が結構あった。

 少し奥まった路地を抜けたところに、喫茶店らしき建物を見つけた。ビルの隙間でひっそりと呼吸をしているかのように佇む小さな店だった。それでも、新しいもので溢れていく街の中で確かに折り重ねた年月を感じさせるその風貌には、どことなく存在感がある。壁を覆う蔦が目に涼しい。鉄椅子に控えめに据えられた看板には、消えかかった文字で営業中と書かれており、古いながらも洒落た佇まいに好奇心をくすぐられ扉を開ける。

店内の薄暗さはクーラーから吐き出される冷気を一層際立たせていた。奥のほうに、この店の主のような重い空気をまとった古時計が天井まで背を伸ばしている。

 差し出されたメニューを一瞥し、最初に目についたレモンティーを頼んだ後、昨晩から頭を悩ませている作文課題と向き合うことにした。提出期限は明後日の朝八時三十分。テーマは自由らしいが、それはかえってわたしを困らせた。

 用例は世界平和の実現について書かれていたが、やけに壮大なテーマがわたしにはどうも解せず、なんだかすこし滑稽にすら思えた。本当の絶体絶命を経験したことも無い十八の小娘に、世界の何がわかるだろうか。

 どこかから自分と世界を俯瞰し嘲笑したり諦めたりするのは昔からの癖だ。世間に溢れている価値観や淡々と流れていく毎日が、まるで自分と剥離しているようでばかばかしく感じる時がある。
そういうところを超えて美しいと感じたり、こころの琴線に触れたりするものも確かに沢山あるものの、皮肉なことに、そういうものは大抵言葉にした途端チープなものに成り下がってしまうのだ。誰かがそのすべてをぶつけて書いた詩がむずがゆくきこえたり、自らが真剣に向き合ってきたものが他人に薄っぺらなものにとらえられたりするのはこの為なのだと思う。

 いつの間にか置かれていたコップは、もうすでに机の上に小さな海を作っていた。どこか遠く、異国の地でバカンスを楽しんでいる人々に思いを馳せる。夕映えの砂浜、潮風になびくワンピースは目の冴えるビタミンカラーで、整った顔立ちをした女が心地よさそうにゆっくりと歩いていく。

 コンクリートの狭間、人にもみくちゃにされながら毎日を浪費している自分が間違っているように思えてきて辞めた。兎にも角にも、今わたしはこの紙一枚にたいそうなことを書かなくてはいけないのだ。先生に、社会に認められる、内容のある何かを書かなくてはいけないのだ。

わたしはこの場所で、世間が作った「正解」に自分を合わせて生きていく。
電車に、話題に、時の流れに、乗り遅れないように。

秒針が五月蠅い。



課題:「コップ」「バカンス」「絶体絶命」の三語を使い物語を制作

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