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「自分のお顔が整っているという自覚はありますか?」

ルッキズム蔓延る世界の中で顔で損をしたことがあまりないわたしはおそらく整っていると判断されているのだろう、とは思います。

「自覚はありますか?」って難しいね。「だろう」と思って行動することはありますが、鏡や自分の写真を見てかわいいなとか整ってるなとか思ったことはありません。全然自分の顔好きじゃない!好きじゃないというのはブスだとか整ってないとかそういうことじゃなく、愛せないということです。

造形だけで人間の善し悪しを決めるのもう古い時代のものになってきつつある(ていうかなってくれ)と思っているのだけれど、思っているからこそわたしみたいな人間は自分の魅力の在り処がないことに焦りを感じます。というのも、「顔で損しない」が当たり前になった時(ていうかなってくれ)そこで自尊心を保っていた人間は別のところで生きていかなきゃいけないわけですよね。そして自分が自分のことを愛していく・そういう人間の魅力を他人が愛してくれるという世界は、自分の価値の判断基準の大部分を他人の評価に依拠していた人間には厳しいものです。顔で判断されるのは嫌(顔面を褒められるのは人並みに嬉しいですが、それでわたしの全てを決めてくるようなものはごめんです)、でもそのおかげで成り立ってきたことに心当たりがないわけでない。つまりわたしは、ルッキズムに対する嫌悪感は紛れもなくある一方で、そのおかげでおそらく得をしてきてしまっただろう人間なのです。そんなわたしがそれを失った時、どう生きていけばいいんでしょうね。

「自分のお顔が整っているという自覚はありますか?」

回答としては自分の顔を愛してはいませんが、世間に判断されることや「顔で損しない」が当たり前でない世界によって、そうだろうと思うことはあるです。普段は面倒くさくて「整ってまーーーーす✌️遺伝に感謝!」とか言ってますが、真面目に本当のことを書いてみました。

ちなみに。自団体「モミジノハナ」のビジュアルは今のところ全て自分の顔がこれでもか!と出ているため「可愛いと思ってるからでしょ」とか「自分の顔好きなんでしょ」とよく言われるのですが、全くの逆です。嫌いだし愛せないし本当は恥ずかしいし無理無理無理と思ってるけど、自分のことを否定しないためにそうしています。ユニットコンセプトの話はこのnoteにたくさん書いているのでよければ読んでくださいね。これとか


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