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考えに制限をかける言葉たち


毒親、弱者男性、〇〇界隈、裏垢、炎上、クソ〇〇、お金稼ぎ、メンヘラ、晒す、闇〇〇、病む、メンタル、自己コントロール、沼らせる、躁鬱、死にたい、親ガチャ、アダルトチルドレン、暇人、日本は終わり(みたいなふわっとした言葉)、自己責任、きちがい、デブ、ブス、キモイ、整形、壮絶(人生)、○○だった件、○○出来ない人、悲報、朗報、、

などなど、、

指すものが曖昧なのに、不安やコンプレックスを刺激する、取っ付きやすい、リーチ数を上げるための強い言葉、のような気がする。流行りも、ある。

また、無意識のマウンティング、過去と他人を恨み、現在と自分の状態から目を逸らすには、とても都合の良い言葉たち、なんだと思う。不安から目を逸らせば、今日1日、今週1週間、1ヶ月、1年、5年、10年、一生…は凌げる。自分の今の弱さ、ダメダメさを受け入れるには、エネルギーと、時間が必要で、それは、辛くて堪らないことかもしれない。「忙しさ」や「余裕の無さ」を理由にすれば、自分も他者も、何も言えない。誰にも責められずに、自分と向き合わないとても都合の良い理由が出来る。それは決して悪いことではないし、ただの好みだと思う。ただ、私は向き合いたいと思っただけの、個人的な思い。

私もその言葉たちを使ってしまう。使いたくないけど、手っ取り早いし、優越感や劣等感を感じたい時には手軽だから、ファストファッションや、ファストフードのようなものかもしれない。
本当は、そんなに簡単に人の考えは、割り切れないし、言葉はある意味デジタル記号で、アナログな感情は、本当は表せない。でも、手っ取り早いし、人と繋がりたい欲求を満たすために、使っている。
今、私が生きているところは、言語優位の社会だと思っている。だからこそ、絵とか、ダンスとか、見た目とか、音楽とか、、非言語の表現に、ハッとさせられたり、安心したりする。


カテゴライズがうまくいかない言葉たち(誤解されやすいor言わなくても良い人、時と場所では、伏せることも必要なのかも)

HSP、発達障害、ADHD、それらに対する処方薬、片親、離婚、望まない妊娠、堕胎、シンママ、風俗、生活保護、煽る、弱者、社会不適合者、無職、「女」、「男」、障害者、レズビアン、ゲイ、夜職、アトピー、生きづらさ、病気、などなどなど、、本当にキリがないと思います。


その人自身が使うなら、悲しいのかな、不安なのかなって、分かるけど、人には言いたくない。言ってしまったこともある。言ってしまったことがあるんです。(実際にnoteでも使っている)

これらの言葉たちだって、希望を持って使って欲しいと思っている、ような気がする。悲しくなるためだけには、おそらく使って欲しくないんだよ。なー。自戒を込めて


時には思考を停止させたり、カテゴライズする事で、人を不快にさせるこの言葉たちは、実は誤解されている場合があると思われる。その言葉の語源や出典を調べると、その言葉の本意とは異なる意味で、一種のスラングとしてメディア上で扱われているのだなぁと思い、安心材料となる事が、ある。


Wikipediaはオープンソース(出典が曖昧)なのですが、単純に、そこに書いてあることを信じたく、納得したいから、安心したいから、載せています。もっと言えば、論文や書籍だって、著者の主観や、恣意性(テキトー)からは逃れられないと私は今は考えているからです。
真実かどうかは、実際はあやふやで、その人が信じたいものを信じて実験し、文献を集めて書いているのでは無いかなと思っています。(真実とは何か、答えることは、とても難しいし、答えなんてあるのか…?と今は思っています。)

★「科学的根拠」、「エビデンス」という概念には、また別の書き物で、言語化出来るところはしたいと考えています。


だから、以下のことは、「どうせ信じるなら、こっちを信じた方が楽だから」、「安心したいから」、「書きたいから」、「それっぽいから」、「なんか面白いから」引っ張っているだけなのです。

ではでは…
例えば、「毒親」という言葉について、

毒親概念の生みの親であるフォワードの『毒がなる親:一生苦しむ子供』(1999)での語りを見ていく。彼女は毒親(toxic parent)について以下のように述べている。

この世に完全な親などというものは存在しない。どんな親にも欠陥があり、だれでも時にはそれをさらけ出すことはあるものだ。.......ところが世の中には、子どもに対するネガティブな行動パターンが執拗に継続し、それが子どもの人生を支配するようになってしまう親がたくさんいる。子どもに害悪を及ぼす親とは、そういう親のことをいう。
私はこのような親をどう呼んだらいいのかとさんざん考えてみた。そして、さまざまなパターンはあるにせよ、そういうたぐいの親を一言で表現するのにぴったりな言葉はないものかと考えるたびに、頭をよぎったのは、「有毒な」とか「毒になる」(筆者注:
いずれも原文は toxic)という言葉だった(Forward 1989, pp.9-10)。

『臨床哲学ニューズレター』より


「毒親」と言う言葉と、「毒になる親」と言う言葉では、前者は便利だけど、その分誤解されやすいような、後者は、文脈の中で出てきた言葉で、決めつけが薄いような触感がある…?


次は、「弱者男性」、行ってみましょう。

と思い、Googleで検索したのですが、語源や、出自が出てきませんでした…。情報求むって感じです。「詠み人知らず」的な言葉にこんなに心が惑わされるなんて、なんだか後味が悪いです。


では、「自己コントロール」、「セルフコントロール」について

我慢強いことよりも、教育や家庭環境の要因の方が将来の成功に対する影響はより大きいと考えられ、この考え方が遅くとも2019年末頃には主流の考え方となった

Wikipedia『マシュマロ実験』より

うん…こっちの考えを信じた方が、なんだか気持ちが楽になります。



書きかけなので、また編集しようと思います

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