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みんなが思えなくてもわたしは


26にもなると、「あの子死んじゃいそうだな」って思ってた子が本当に死んじゃっていることが増えた。

学校出て、社会ってものにぶつかって、頑張るけど、「お前頭おかしい」って言われて、「どうしても無理」で、ネット見て病んで、「死ぬな」って言葉も何万回も見たらさすがに飽きて(なんで死んじゃいけないの?って反論する)それは死ぬよねって思っちゃう。


私だって、いつ死ぬのか分からないし、そんな夜を、他の人の文章とかで、誤魔化して生きてる。今日はこれ読んで寝ようと思います。

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「もうダメです」
「明日会社に行けません」
「死ぬしかないですどうすればいいですか」
「ごめん私やっぱり死ぬね…」
「一緒に死のうか…」

男女問わず、友だちとか後輩からテキスト上で言われた言葉がたくさん思い浮かぶ。ある友達はODして、当時私と同居してた元カレが単車で介助に行き、私はその子が住んでるアパートに何度も救急車を呼んだ。(その子は救急車呼びすぎでアパートを追い出されてしまった)
その子は、見た目がとても綺麗だった。ストーカーに家まで入られた事がきっかけで、目眩とふらつきが常になっていた。

今は連絡を取りあって無い。




したいことをしたいように生きさせてもらっているからなのか、類友ってやつなのか、これまで、お金を持っていても、家族と仲が良くても、綺麗でも、恋人がいても、他人に憧れられるようなプロフィールでも、正社員でも、ニートでも、仕事が出来ても、40代でも、50代でも、「死にたい」と(テキスト上も含め)言ってくる人に出会ったことがある。死にたいって、そんな簡単に言えることじゃないと思うから、打ち明けてくれて有難い、、のか?


大体「死にたい」とかそういうことを言う時は、夜のことが多い。また、その人たちは、お酒を飲んでいたり、薬を乱用してたり、浮気していたりする、ひとつの依存状態に必ずなっている。(私の経験上は、必ず)

そういうメンヘラな人々の中に私も当然居て、ドラッグはやらなかったが、アル中で入院、性依存、浮気、、散々やった。

今は、もう、そう言うのは飽きて、やって居ない。お酒は飲まないし、恋人も要らないし、よく分からない人と絡まない。何より怖いし、そういう事よりも、好きな音楽とか、なんか作ったりとか、本を眺めている方が、楽しい。


路上観察したりも楽しい


また、お酒を飲まないと話せない人=過去のわたし=酔って暴言を吐く父=弱くてくだらなくて可哀想で気持ち悪くてどうしようもなく許せない人

という、
アル中=弱くて許せない父=弱くて許せない私
方程式を見つけてしまったので、もう、お酒は、当分、要らない…。
付き合いでも、本当はジュース飲んでた方が好き。


可愛いより可哀想が流行ってて、メンヘラパパ活ブームで、そろそろそれにも飽きた。しかし、『源氏物語』でも恋煩いとかで死んじゃったキャラが好きだし、椎名林檎の歌詞はぶっ刺さるし、今の「可哀想なわたし」テーマの曲も好きだなあ。


メンヘラは形を変えて、比較的若いとされる人々のいつの時代にも、きっと居て、マインドフルネスは流行るから、次は「無」とか「無我」とか、(虚無はもう流行ってるし)言語じゃないスラングの動画(猫ミームぽいやつ)とかが流行るのかな?
ハゲとかシミシワは隠せないから、そういう身体的なコンプレックスを煽るor無視してVRに持ってくメディアかなあ、、

VRchat空間を再現出来るシートとか、メタバースに特化したSNSが流行るのか?そこでなら「ここでなら生きてもいいや」って、みんな、思えますか

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