【エッセイ】愛はくるくるしている
恋とか愛とかについて考えることがすごく好きだ。
自分の感情が変化していくのも面白いし人の感情が変化していくのもまぁ、面白い。怖いけど。
恋とか愛って母親のお腹の中からはじまる。深さとか長さとか正しさとかそんなの関係なく、愛の表現の見える形。大切なものすべてに注がれている感情、それが恋とか愛だと思う。
何かを、誰かを愛しいと思う気持ち。恋焦がれて胸のとこがきゅっとなってぎゅっとなる心地。ずっと撫でていたいし、愛でていたい。
恋ってかわいいから、愛って心地よいから、はじめはそれだけで満足。
それなのに。なぜそれだけで満足し続けることができないのだろう。もっと近づきたい、知りたい、知って欲しい、受け入れて欲しい、そう願ってしまう。
恋のきっかけ。それはいろいろある。笑った目の感じがなんか好きとか声が好きとか。真っ直ぐで分かりやすい。目も心も好きな人に真っ直ぐに向かっていく。
そしていつの間にか、気付いた時にはその人の全部が愛おしくなる。あっという間に。きっと愛のきっかけもあるんだろうけど、よく分からない。
一方的で真っ直ぐな「好き」が、いつのまにか折れる。曲がる。くるくると状態を変えていく。愛はくるくるしている。
くるくるくるくるくるくる...
絡みつかないように。そして、千切れないように。そっと、すぎるとうまく編むことができない。けれど強すぎてもだめだ。
あなたの「好き」の先とわたしの「好き」の先が行ったり来たりを繰り返す。そしてちょうど真ん中になったそのときに、人は幸福感で溢れるんだろう。
そうやってちょうどよく合わさるようにして編んでいくと、何かあったかい、安心感か信頼感か、簡単に名前を付けられないものに出逢う。そういうカタチで愛は見える。
これは想像の話だけど。でも誰かに愛されているからここに存在するってことは確かだ。
はっとする。鏡を見る。そうか、わたしが存在するのは愛されているからだ。
恋とか愛とかについて知ろうとすることが、だからわたしはすきだ。
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