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【小説】 PMS発電所

「課長。PMS気味なので、明日から発電所に行ってきます」
 今日は火曜日。生理は来週に来る予定だ。
「もうそんな時期か。無理するんじゃないぞ」
 課長は何か言いたげだったが、それ以上は何も言わなかった。

 PMS。月経前症候群のことだ。
 生理の約1週間前から、身体及び精神面に出現する不快・不安定な諸症状。もちろん、それらが出現しない女性もいる。
 しかし、人類の長い歴史において、多くの女性がこのPMSに悩まされてきた。現代の男社会にあっては、ピルを飲んだり痛み止めをたくさん飲んだりしてどうにかやりくりしていたのだが、昨年、総理大臣が女性になったことで事態は一変した。

「PMSを、力に変えましょう」
 女総理がそう言い出したのだ。いったいぜんたい、どんな力に変えるのかと思ったら、まさに力そのもの。電力だと言う。
「PMSの女性には、エネルギーがあります。ときに破壊神、ときに泣き女、ときに眠り姫となる女性たちのエネルギーを、存分に活用出来る社会にしようではありませんか」

 というわけで、市区町村ごとに、PMS発電所が設置された。それは一見、普通の岩盤浴施設か何かのようだった。

「おはようございまーす」
 水曜日、予定通りPMS期に入った私は、発電所に出勤した。
 始めに、看護士の面談を受ける。イライラやむくみ、眠気、そして精神状態などを考慮して、私の今日一日のお勧めスケジュールが提案される。もちろん、これに従ってもいいし、従わなくてもいい。PMSにストレスは大敵だ。

 私はまず、印刷室に向かった。そこで、郷田大貴の顔写真を印刷する。
 プリンタから出てきたA2サイズの郷田大貴がこれから受ける試練を想像して、私はニヤリとする。もうすでに私の中の攻撃性は、クラウチングスタートの姿勢をとっていた。いつでもトップスピードに乗れる。PMSだから。

 お勧めスケジュール通り、始めは音響室に向かう。
 ブース分けされた正面にある、薄い金属板に向かって大声を出す。それぞれのブースにヘッドホンが用意されているが、もちろん、つけてもつけなくても良い。理屈としては、金属板の細かな振動から、電力が作られるということらしい。
 ブースの正面上部にある、マグネット板。そこに郷田大貴をセットし、私は叫ぶ。
「おい!こら!ふざけんなよ!4年半、の時間を…返せーーーーーっ!」
 ワンワンワン。
 金属板が鳴る。10ワット。金属板の横にぶら下がった液晶に、生成した電力量が表示される。
「結婚したいって、言ったのは、お前だろうがーーーーー!!!」


 ひとしきり叫ぶと喉が嗄れてきたので、次の部屋に向かった。次は、格闘室。
 ここには、ボクシングジムにあるようなサンドバッグが並ぶ。ただ、この部屋のサンドバッグは少し特殊で、フーコーの振り子のように大きく振れるようになっていた。力をより良く電力化するためらしい。
 しかし、一度殴って、バッグが大きく振れて、また戻ってきたバッグをちょうど良いタイミングで打ち返す、というのはなかなかに難しくて、初心者はタイミングを外してしまい、バッグの揺れを止めてしまう。それだけなら良いのだが、手に大きなダメージを受ける。最悪の場合、グローブの中で指を骨折したりする。要するに、ここは上級者向けだった。

 すでにこの部屋の常連な私は、慣れた手付きでサンドバッグに郷田大貴を貼り付ける。今日もズタボロにしてやる。
 小さなパンチから、少しずつ、サンドバッグの振りを大きくしていく。大切なのは、タイミング。そして、腰を入れること。打ち負けないように、下半身をしっかり固定して。右から左へ、重心を移動する。
 パン…パン…という音が、ドス…ドス…という音に変わってゆく。
「好きな…人が…出来ただと…」
 次第に息が切れ、汗まみれになりながら、それでも私はグローブを降ろさない。
「あの…若いだけの…ビッチ…」

 そのとき。近くで、キエエエエ!!という叫び声があがった。
「こんの、不倫男ーーーーっ!!」
 どうやら、さっき入ってきて隣で打ち始めた人らしい。般若のような顔でミットを叩きつける女性は、マダムと呼んでいい年代だった。口元に、南野陽子ばりのホクロがある。
 ゴスッ。ガンッ。
 マダムは初心者のようで、怒りにまかせてがむしゃらに、痛そうなパンチを繰り出していた。
「ちょっと、すみません。こうやって打つんですよ」
 見ていられなくなった私は、マダムに打ち方を教えてあげた。

「さっきは、ありがとうございました。お昼一緒に食べませんか」
 郷田大貴を端から端まで粉塵に変えた私が、仕事を終えて部屋を出ようとしたところ、マダムに声を掛けられた。
 2人で食堂に向かう。
 食堂、と言っても、椅子も机もない。柔らかいカーペット敷の床に、大量のクッションが無造作に置かれている。たくさんの人が、床と同一化しながら何かを食べていた。隅っこで毛布をかぶって寝ている人もいる。おそらくあの人は、朝からずっとそうなのだろう。そういう人もいる。PMSだから。
 部屋は甘やかしそのものの環境だが、食べるものは全く甘くない。そう、なぜなら、PMS時に甘いものは身体に良くないから。身体に良いのは温野菜。特に、根菜類。身体に良いものだけを摂るようにと、行政からの徹底した指導が入っているそうだ。

 私とマダムは、並んでビーズクッションに沈み込み、根菜スープを啜りながら話をした。マダムは夫に不倫されたらしい。確かにさっき、そんなことを叫んでいたっけ。
「1度や2度の過ちじゃないの。もう子どもが小さいころから、ずっとよ」
 マダムの瞳に、般若の炎がチラチラ踊る。
 なぜ離婚しないんですか、という私の問いに、マダムは、子どもが成人するまでは我慢しなきゃと思って、と答えた。


 マダムとは、食堂で別れた。なんとなく、早めに午後の仕事をしたくなったのだ。
 アメニティとして廊下に置かれている、貼るカイロとひざ掛けを取り、ぺたりと背中にカイロを貼り付けた。ぶるっ、と身震いする。少し寒気がしてきた。

 午後は化学室の予定だった。
 まだ、誰もいない部屋の明かりを点ける。真っ白に明るかった午前の部屋とは違い、温かいオレンジ色の光が部屋を照らした。
 ここも、カーペットとクッションで出来た部屋ではあったが、食堂とは違って、フラスコが壁際に無数に並んでいた。
 私は、そのひとつを手に取り、ビーズクッションに沈んでひざ掛けにくるまる。
 いつからだろう。廊下を歩いていたとき?すでに私の頬には涙が流れていた。私はその涙を、手に持ったフラスコで一つ一つ丁寧にすくっていく。

 古今東西、女の涙には不思議な力が宿ると言われてきた。最新の研究がそのエネルギーの原理を解明したのは、まだついこの間のことだ。
 女の涙を分解して生まれる、エネルギー。それが電力に変わるのだそうだ。そしてそのエネルギーは、金属板の振動やサンドバッグの振れとは比べ物にならないほどの大きさだった。圧倒的に、電力の産出効率が良いのだという。

 郷田大貴に振られてから、私がこの部屋に来たのは初めてだった。つまり、泣いたのはこれが初めて。前回のPMS周期はずっと格闘室にいたし、今の今まで、ずっとやり場のない怒りを持て余してばかりいた。
 それなのに、溢れ出した涙は、一度堰を切って溢れ出すと止めようが無かった。ぶるぶる震えながら、えぐ、えぐとしゃくりあげる。フラスコに鼻水が入ってしまいそうだった。鼻水などの不純物が混ざると、発電の段階で爆発が起きてしまうので、絶対に入れないよう注意してください、ときつく言われてあるのに。
「子どもが出来た、なんて。一緒に、家族になろうって。子育て、しようって。悩もうって。い、い、言ってたのに。どう、どうしてそ、れを、他の、だれ、だれかと」


 けっきょくその日はフラスコ3つ分、なみなみに満たすまで私の涙は枯れなかったし、その後の一週間、発電所にいる間、私は泣き続けた。特によく働いたとして、特別手当がついたほどだった。
 そうして、私の大きな怒りと大きな悲しみは、たくさんの電力となって、たくさんの人に届けられるのだ。どこかにいる、郷田大貴と、その家族にも、きっと。

 PMSが終わり、生理が終わり、怒りと悲しみを出し切った私を待っていたのは、諦めだった。すっきりしたような、虚しいような心を抱えて、私は元の会社に復帰した。
 私を心配してくれていた課長が、合コンを開こうかと言ってくれたが、丁重にお断りした。課長の知り合いなんて、気まずくて恋愛なんて出来ない。
「じゃあさ、街コンは?ちょうど今週末、ほら、そこの交差点のカフェでやるんだって。行ってみなよ、気分転換にさ」

 そう言われて参加を決めた街コンだったが、案の定、ちゃらちゃらしたやつらばかりで、何も楽しくなかった。
 私がふてくされて、一人、輪の外で店の外を眺めていたときだった。
「あ」
 交差点で信号待ちをしている集団の中に、発電所で会ったあのマダムがいた。ダンディな男性と、腕を組んでいる。横には、高校生ほどの女の子が2人。マダムは、口元のホクロがなければ気づけなかったほど、発電所の時とはうって変わって穏やかな表情をしていた。
 絵に描いたような、幸せそうな家族だった。そこに、不倫などという致死性の爆弾が潜んでいるようには、とうてい見えない。まるで円満そのもの、といったその家族は、横断歩道を渡って、道の向こう側へと消えていった。

 もし、あのまま郷田大貴と結婚していたら。私はああなっていたのだろうか。裏切りと、それへの怒りを押し殺した、あの家族のように?
 私は、私の手で粉塵と化した郷田大貴を思い返していた。次に発電所へ行く時は、もうあいつの写真は必要ないだろう。失うべきでないものを失ったのは、私ではない。憐れまれるべきなのも、きっと私ではない。私の心にぽっかりと空いた諦めの穴に、軽蔑が降り注いで、蓋をした。

「すいません。ここ、空いてますか。僕どうも、雰囲気に馴染めなくて」
 気の小さそうな男が一人、私に話しかけてきた。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!