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なんのために、きみは計算する

人が集団で生活する限り、なにに対しても評価はついてまわる。仕事、家事、育児、勉強、人間関係。ものを書くのだってそう。コンテストに通るか。いいねがいくつ付くか。

評価を気にすべき、目標にすべきという立場があるのはわかるし、それをどうこう言うつもりは全くない。ただ私は、評価を気にしながら何かに集中したり、何かに魂を込めたりする方法を知らない。

以前、私は個別指導塾の講師のアルバイトをしていた。生徒は、下は5歳から、上は17歳まで。そのとき出会った5歳の男の子Aくんは、やんちゃで、生意気で、とても頭の良い子だった。「おれ、頭いいから!」なんて大きな声で言っていた。

そんな彼を受け持って、すぐのころ。
宿題の計算問題の丸付けをしたところ、実力のわりには少しミスが多いか、という内容で、いつもどおり、「はい、なおして」とだけ言って返却をした。するとAくんは、真っ直ぐな目を向けて、ねえ、と聞いてきた。
「なに?」
「なんで怒らへんの?」
不意をつく質問に、えっ、と固まる私。確かに、Aくんのお母さんは厳しく子育てをされているという噂だった。
「え、なに、怒られたいん?」
「いやー…べつにそういうわけじゃないけどぉ〜。まあいいやっ」
そう言って彼は、計算を解き直しにかかった。

それからの私は、話を蒸し返すこともできずに授業を終え、彼の言葉を家に持ち帰ってもんもんとすることとなった。

「なんで怒らへんの?」と言った、彼の表情を思い出す。ふざけてるみたいに、少し笑っていたかもしれない。だけどあれはふざけてはいない、彼の本当の質問だった。あんなに真っ直ぐな質問を投げかけられたというのに、「怒られたいん?」で済ませてしまった、自分の機転の利かなさが悔やまれる。つぎ、ちゃんと伝えなきゃ。

かくして翌週、宿題の丸付けと解き直しを終えたあと、私はAくんに向き直った。
「あのさ、ちょっとこれ、大事な話なんやけどな。こないだ、なんで怒らへんの? って、先生に聞いたやん」
「うん?」
「あれはな、計算ミスして、先生とかお母さんとかが怒ることは、ほんまはそんな大事なことじゃなくって、Aくんが、ミスをして、『悔しい』とか、『何が違ったんやろ?』とか、そういうことを思う気持ちの方が、ほんまは何倍も何倍も大事やからやねん」
「ふぅーん」
できるだけ丁寧に伝えたつもりだったが、足をぶらぶらさせたAくんは、終始私の目を見るでもなく、どこかふわっと宙を眺めて聞いていたので、「あ、これたぶん聞いてないな」と内心私はがっくりした。
やっぱ分かりにくいか、こんな話。

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しかし、ご家庭でのフォローもあったのだろう、その後のAくんの態度を見て、私はAくんがちゃんと私の言葉を理解していたと知ることになるのだった。

それまでもあった集中力がさらにグングン伸び、全くソワソワしなくなった。まるで先生(私)なんか居ないみたいに、先生(私)の視線なんかどうでもいいみたいに、算数の問題に熱中する。

たまに集中しすぎてパフォーマンスが落ちているように思われるとき、「ねえ、一回だけ、一分だけ、休憩しよ?」と声を掛けるのだが、「今いいところ!」と却下されては「疲れてるから、ね、ちょっとだけ」と休みを挟もうとすることが私の仕事になった。

「おれは頭がいい」と主張をすることも、ぱたりとなくなった。
ただひたすら、負けず嫌いと好奇心を全力で問題集や算数クイズにぶつけ続けて、年長さんが終わるころには、小2の問題集を一周し終わっていた。

きっと彼はこの先、「自分はいったい何のために勉強しているのだろう」なんて考えて虚しくなることなんてないんだろう。
本当のモチベーションを確固たるものにしたきみは、鬼に金棒、無敵だ、と、Aくんをまぶしく見ていた。

お母さんに褒められる。
コンテストで受賞する。
それらは評価であって、それ以上でも以下でもない。
私にとってそれは目的にはなりえないし、繰り返しになるが、そもそも、評価を気にしながら何かに集中したり、何かに魂を込めたりする方法を知らないのだ。

だから、もし私が評価のためにものを書くようになったら、すぐに分かると思う。読めばわかる。あるいは、書けていないかもしれない。その時はどうか水をぶっかけてほしい。もっと大事なことがあるだろ、と。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!