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【小説】 痴漢、おかん。

 ママ友というのは薄い付き合いだ。

 たいてい子どもが大きくなったら関係も途切れる。
 しかし私には、娘が高校生になった今も一人だけ、仲良くしているママ友がいる。
 それが今日お宅に招かれている節子さんだ。節子さんは快活で、さっぱりしている。くよくよしがちな私は、節子さんのそういうところが好きなのだ。

 でも今日は、少し気になることがあった。それは、節子さんの娘、節美ちゃんのことだ。

 節美ちゃんは先日、学校へ行く途中の電車で、痴漢被害に遭ったらしい。娘の信恵が節美ちゃんにこっそり聞いたそうだ。節美ちゃんは少し元気がなさそうだった、と信恵が話してくれた。

「いらっしゃい」
 節子さんはいつもの通り、私を出迎えてくれた。いつも通り、目の下の隈が濃い。疲弊しているのかいないのか、分かりにくかった。

 通された居間で節子さんの淹れたマテ茶をすすりながら、ご近所の話など、一通り他愛のない話をしたところで、節子さんが切り出した。
「信子さん、信恵ちゃんから聞いた?娘のこと」
「ああ、ええ。電車の話?」
「そうなの。もう私ほんと腹が立って」
「そうよね。そんなことするなんて、最低の人間だと思う」
「ね。私達がどれだけ大事に娘を育ててきたか、分かってんのかって感じ」
「悔しいよね。犯人、捕まってないの?」
「みたいよ。娘も、どんな人だか確認できなかったみたいなんだけど、同じ電車の娘のお友達も、被害に遭ったんだって。その子は、スカートの中を盗撮されたみたいなんだけど」
「最低、常習犯なのね」
「もう私、本当に腹が立って。藁人形に五寸釘打ち込んでやろうかと思ったくらい」
「分かるわ。一刻も早く捕まって、社会的に抹殺されてほしいわよね」
「そうなのよ」
「ごめんね、ちょっとお手洗い借りていい」
「どうぞどうぞ」

 そう言って私はトイレに立った。ドアを開け、ふう、と便座に座る。
 目を上げると、トイレの扉の内側に、藁人形がぶっ刺さっていた。特大の五寸釘が一本、ちょうど心臓の位置にずぶりと刺さっている。
 そしてドアノブには、紐が括り付けられた金槌がぶら下がっていた。何だこれは。いや、なんだも何もない。どう考えても、五寸釘用の金槌だった。
 衝撃的な光景に私の尿意もやる気を失い、用を足したか足してないか分からないまま、私はトイレを出た。

「節子さん。あの、トイレ」
「え?あっ、片付けるの忘れてたわ」
「節子さんがやったの」
「もちろんそうよ。藁人形に五寸釘打ち込んでやろうかと思ったくらいって、言ったでしょう」
「思ったくらい、っていうか、思ったのね」
「そうね、結局それが一番良い案だと思って」
「節美ちゃんは、何て言ってるの」
「あの子は知らないわ。トイレのたびに藁人形を目にしたら、何度も事件のこと思い出しちゃうでしょう。あの子が学校から帰ってきたら、私のクロゼットにしまうの」
「それなら、わざわざトイレに出さなくてもいいんじゃない。クロゼットにぶら下げたままで」
「だめよ、娘は忘れてもいいけど、私は忘れちゃいけないの。復讐が達成されるまでね。トイレのたびに、どこかにいるクズを思い出して、あの金槌で、コンコン、って叩くのよ」
 節子さんは楽しげに、コンコン、と金槌を振る動作をする。
「なるほどねえ」
 私は妙に納得してしまった。節子さんほど快活な人でも、怒るときは怒るのだ。このコンクリートジャングルでどこからか藁を仕入れ、トイレの扉をだめにしながら、呪いという形で怒りをぶつけるのだ。
「でもイライラし過ぎちゃって、便意がどこかへいっちゃうこともあるの。おかげで便秘気味だわ」

「あらそれは大変。たくさん水を摂ってね」

「そうね、たくさんトイレに行かないと。そうだ、せっかくだし、信子さんも帰りにコンコンしていってよ」
「そうね、そうさせてもらうわ」
 私も、コンコン、と金槌を振る動作をした。

 数日後、娘たちが通学に使う電車で、40代の男が線路内に飛び込み、死亡した。
 目撃者によるとその男は、いきなり自分の胸を鷲掴みにし苦悶の表情を浮かべたかと思うと、あっという間に転がるようにして線路内に落ちていったらしい。

 ホームには、カメラ機能がオンになった男の携帯が残っていたという。

これできっと、節子さんの便秘も治ることだろう、と私は安堵した。


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