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時代の流れに思いを馳せた / 映画『プラダを着た悪魔』を久々に見て
映画『プラダを着た悪魔』が好きで今まで何度も見てきたのだけど、最近久々に見たら「あれ?」と思った。
終わり方は以前と変わりなく大好きだが、物語前半に違和感や不快感を抱かずにはいられなかった。
「プラダを着た悪魔」=上司であるミランダの発言が、思いっきりパワハラだったからだ。(この映画は2006年公開の18年前の作品)
十何年か前に初めてみたときは、「パワハラ」という言葉は浮かばなかったような気がする。(調べたところ、パワーハラスメントという言葉は2001年に生まれた和製英語らしい)
私が当時抱いた印象は、ムチャぶりばかりする怖い鬼上司(でも仕事は完璧)という程度で、違和感や嫌悪感のようなネガティブな印象は抱かなかった。ミランダがあまりに厳しすぎて、ただただ怖かった記憶。
でも、令和時代を生きる今の私には、ちょっとムチャぶりの範疇を超えているように感じた。フィクションだからオーバーなのは当然なんだけど。
例えば「嵐で飛行機が欠航したせいで明朝の娘たちの発表会に出られない。今すぐ私を家に帰して!」とか「ハリー・ポッターの出版前の原稿を入手しろ」とか。
フィクションだから笑えるものの、実際にこんな命令(しかも偉そうに)する上司がいたら正直殺意湧くかもしれない。笑
まぁ、ハリポタ原稿は本人も無理だと分かってて辞めさせるために指示しただけなんだけど。(しかも運良く達成できてしまう神展開w)
たった20年弱でこんなにも世間的感覚や自分の受け取り方?が変わるんだな、と驚いた。
今の時代もこんな上司は実在するのかもしれないが、もしも今このようなキャラクターを日本のドラマで放送なんかした日には「パワハラ!不適切だ!」と一部からクレームが来るのだろう。
映画の中に出てくるファッションは全く時代遅れに感じなかったが、部下をこき使うような態度や同僚からの侮辱的な発言に関しては、以前よりも嫌悪感を抱いたし、時代遅れな発言に感じた。
※当時はミランダのような態度が当たり前だった、という意味ではなく、「当時の私は別にそこまで違和感を抱かなかった」という意味。
パワハラや差別的な態度に嫌悪感を抱くこと自体は良いことだとは思うが、正直、自分の中の「常識・正しさ」がすっかり時代の流れに同化している感じがして、それも自分の意思ではなくて、無意識のうちに自分の中の感覚を変えられた、みたいな変な感じがした。うまく言葉にできないけど。
語弊を恐れずに言うと、テレビやSNS、家庭外でのコミュニケーションなど外部からのインプットを通して、「今の普通はこうだよね、これが正解だよね」を少しずつ少しずつアップデートされていたのかと思うと、ちょっと怖く感じた。
変わっていくのが「良いこと」だけだったらいい。だけど、世の中そんな都合良くいくわけない。きっと、気づかないだけで「悪いこと」も同じように変化しているのだと思うとなんだか怖い。
少し前に『不適切にもほどがある!』というドラマが放送されていたが、常識ってどんどん変わるし、今適切なことが未来では不適切になっていることも十分あり得るし、「これが絶対正解!」なんてこの世にはないのだと痛感した。
「時代の流れ的にこれが正解だから」という理由で、自分の頭で考えることもないまま安易に選択するのはなんだか違うような気がする。
「本当にそれでいいの?本当にそう思うの?」と自問して、少し立ち止まって考える癖をつけたい。
時代の流れについていくことも大事だけど、あまり時代の波に飲み込まれすぎないようにしたい。受け身じゃなく能動的に!
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