以前、小説『君たちはどう生きるか』を読んであれこれ書いたのだが、もう一つずっと印象に残っている言葉がある。
「貧乏ということについて」という章で出てきた言葉。
以下引用はすべて、小説内で「叔父さんが少年コペル君に宛ててノートに書いた言葉」という設定だ。
私は最初、これを読んで少し驚いた。
権力に媚びる姿ならまだ分かるのだが、貧しくてみすぼらしい自分を卑下して金持ちにぺこぺこしてしまう人のことを「卑屈な根性を持っている、軽蔑に値する」という厳しい視点で考えたことがなかったからだ。
続きはこうだ。
「本当の優しさとは、相手の自尊心を傷つけないこと」と、作家の東田直樹さんの本にも書いてあった。(彼はそれを13歳で書いていた!)
叔父さん、なかなかキツイな!と思ったが、その後にはこんな言葉が。
貧乏であることに引け目を感じるのは、
卑屈な根性を持っている証拠。
それは、軽蔑に値する。
自分に対してはそれくらいの心構えでいなさい。
しかし、他者に対しては違う。
自分も同じ境遇に立ち、それでも自信を失わず堂々と生きてゆける日までは、人に対して軽蔑の目を向ける資格や権利など一切ない。
他者に対して大切にすべきは、思いやりや優しさ。
優しさとは、相手の自尊心を傷つけないこと。
それだけは、決して忘れてはならない。
「自分を卑下する」ことについても少し考えた。
そして「謙遜」と「卑下」はどう違うんだろう?と思った。なんとなくニュアンスは分かるものの、じゃあ説明しろと言われたら意外と難しい。
「謙遜」の意味を調べたら、類義語として「卑下」についての説明もあった。
今度は「卑下」を辞書で引いてみる。
「卑下」の意味に「謙遜」があった。
「謙遜」の意味には「卑下」はなかったのに。
今度は「卑しめる」「卑しい」の意味。
いろんなバリエーションのディスる系の意味が出てきた。一気に負のオーラが出てきた。
「謙遜」で出てきた「おごる」の意味もついでに。
つまり、偉そうで嫌なやつってことだな。
最初に調べた「謙遜」の意味に、それぞれの単語の意味を付け足してみた。
卑下は、自分自身を蔑み見下すこと。
叔父さんの言葉を応用するとつまり、自分を卑下する人間は、卑屈な根性を持っていて軽蔑に値する、ということだ。
他者はダメで、自分の自尊心なら傷つけていいなんて、おかしいもんね。ベクトルが自分に向いているだけで、確かにそれもまた人間を見下した卑屈な根性であると言える。
優しさは、自分にも、いや自分にこそ、向けてあげないといけないはずなのに。
「謙遜」と「卑下」は似てるようで全然違った。
たとえお金がなくても、高い服やアクセサリーを身につけていなくても、広い家に住んでいなくても、noteで面白いことが書けなくても、あまり自分を卑下しすぎないよう気をつけようと思った。
他者には優しさと思いやりを。
自分には優しさと少しの厳しさを。
そういう姿勢を、忘れずにいたい。