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生きててよかったね、とコーヒーから囁かれているような気持ちになった / 小川糸『ライオンのおやつ』


以前、小川糸の小説に出てきたセリフが印象に残っていて、あれこれ書いた。


もうひとつ、「この表現、素敵だなぁ」と印象に残っていた言葉がある。

じっくりと味わって飲みたかったので、自分の部屋に持ち込んで海を見ながらコーヒーを飲む。生きててよかったね、とコーヒーから囁かれているような気持ちになった。苦いのに苦すぎず、濃いのに濃すぎず、絶妙な塩梅だ。これなら、砂糖もミルクも、必要ない。

小川糸(2019)『ライオンのおやつ』ポプラ社、p.46



初めて読んだとき、
なんて素敵な表現だろう!と思った。



「生きててよかったと思った」でも
「今までで一番美味しいコーヒーだった」でもなく

生きててよかったね、とコーヒーから囁かれているような気持ちになった


なんと味わいのある表現!


香りや味をじっくりと味わいながら、主人公がじっとコーヒーを見つめている様子が頭に浮かんだ。
(描写はない、あくまで私の勝手なイメージ)


私もコーヒーが大好きで毎日飲んでいるが、
「生きててよかったね、とコーヒーから囁かれているような気持ち」なんて味わったことがない。

(基本インスタントだし、生死を意識した中でコーヒーを飲んだ経験がないから仕方ないんだけど)


そもそも、「食べ物や飲み物から言葉を囁かれる」という発想や語彙自体がなかった。

なんてオシャレで、風情のある表現なんだ。




読んでいる途中でも、こういった素敵な表現に出会えて感動できた時点で、ストーリーの展開や全体的な面白さは正直どっちでもよいと思えてくる。


私にとっては、これこそが、
読書をしていて最高に楽しい瞬間だから。

「この表現、素敵!」と、作者の言葉のチョイスに驚かされて感動する瞬間がいちばん好きで、その瞬間に出会うために読書をしているようなものだから。

note初投稿でも似たようなことを書いたけど。




それから、この描写も良かった。
句読点で緻密に計算されたリズムが最高だった。

 席に戻り、まだ湯気の立つ小豆粥に、今度は梅干しをのせて食べる。すっぱい、けどおいしい。塩鮭も、のせた。これも、しょっぱい、けどおいしい。体が、おーかーゆー、おーかーゆー、と両足を踏みならすようにして更なるお粥を要求する。おかわりした分も、あっという間に食べてしまった。

『ライオンのおやつ』p.40


あえて付けられた読点のおかげで、一口ずつちゃんと味わいながら食べている様子が伝わってくる。



もしも読点がなかったら、こうなる。

 席に戻りまだ湯気の立つ小豆粥に今度は梅干しをのせて食べる。すっぱいけどおいしい。塩鮭ものせた。これもしょっぱいけどおいしい。体がおーかーゆーおーかーゆーと両足を踏みならすようにして更なるお粥を要求する。おかわりした分もあっという間に食べてしまった。

読点なしバージョン


うん、全然違う。
なんかさらさらしすぎ。早食い感ある。
これじゃあ、しっかり味わってないように感じる。

読点の偉大さを痛感する。

「のせた」とか「おいしい」とか、あえて「ひらがな」にしてる感じも、主人公の純粋さや食材の素朴さが伝わってきて良い。作者の意図が伝わってくる。


この表現に出会って、改めて日本語ってすごいなぁ、おもしろいなぁと、しみじみと思った。

読書って、ほんとにおもしろい、楽しい。



母がよく言っていた。

「若い頃は、徹夜で読むくらい本を読んでたのに、最近は本が読めなくなった。最後まで読む集中力がない。それに老眼でもう文庫本の小さい文字が見えない」って。



今の私は子育て中で、ゆっくり本を読む時間がなかなか取れないが、私も確実に、母と同じ状態になる気しかしない。

だから「子育てが落ち着いたら読もう」と後回しにせず、今のうちからできるだけ読書を楽しんでおきたい。

読むペースは遅くていいから、自分なりに読書を楽しんで、素敵な表現をたくさん見つけて、感じたことはここにたくさん記録しておきたい。



生きててよかったね、とコーヒーから囁かれているような気持ちになった

そんな美味しいコーヒーを、
いつか私も飲めるといいなぁ。


そして、生きててよかったね、と囁かれているような気持ちにさせてくれる本にも、いつか出会えたら最高だ。

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