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私に会社を辞めさせた本/『極夜行前』『極夜行』/角幡唯介 ★★★★★ Popcorn in a Strip Club vol.2

 今回は昨年読んだ本ですが、『極夜行前夜』『極夜行』という二冊の本を紹介していきたいと思います。読め読めと方々で勧めているので、私の知人たちはもううんざりしているかと思いますが、文句なしの★五つという本の基準を示しておこうと思い、稿を寄せたいと思います。

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 「会社を辞めさせた本」というタイトルで、何か自己啓発書や起業を勧める本かと思った方もいるかもしれません。そんな生易しい本ではありません。ある狂った男の実話冒険譚、ノンフィクション本の紹介です。

 この本は何か新しいことを始めようか迷っている人、やってみたいことがあるけれど最後の一押し、勇気が出ないという人に読んで欲しい本です。(犬好きの方にも特におすすめしたいと思います。)

 著者の角幡さんは元記者の方で、現在は探検家を生業とされています。自分で決めた探検の軸が金の力でブレていくのを防ぐため、一切スポンサーをつけず、著作で稼いだ自費を探検資金に自分で全てを企画、準備するというコンセプトのもと、活動をされている方です。彼の人生最大の探検がノンフィクションとしてこの二冊にまとまっています。

 物語は著者が30代も後半に差し掛かり、突然六分儀を買いに行くところから始まります。そして読み進めていくと、だんだん彼が「冬季の陽の昇らない極夜帯を気温マイナス40度の中、GPS無しで4ヶ月間ただただ彷徨い続ける」というなんとも虚無的な探検を計画していることが分かってきます。目的地も目的もない旅です。

 そして、そんな闇への旅のための準備に、彼はなんと4年という歳月をかけます。その間に彼は結婚し、子どもが生まれます。それでも彼は、準備と訓練のため、夏場も含めた一年のほとんどを家族そっちのけでカナダやグリーンランドの極夜帯で過ごし、常に死と隣り合わせの世界に身を置きました。もちろん死んだら家族が露頭に迷います。これだけ父親の子育てや家族への無関心ぶりが問題になっているご時世、相当にヤバいおっさんです。自己中心的で、かなりのサイコパスです。その時点で私はグッと引き込まれてしまいました。


 彼は「文明の利器になるべく頼らない、現地のやり方になるべく従う」というルールを勝手に自分で課します。(とはいえ、現地の猟師も冬は滅多なことでは出歩かないそうですが。)ゲームの実況動画でよくある縛りプレイというやつを現実世界で自分の生死をかけてやってやろうというのです。

 自分で自分に課したルールの下、人間が居住する最北端の村に住み着き、旅の相棒となる子犬を買って信頼関係を作り、調教するところから始まり、何十キロにもなる荷物を引いて歩くためのソリを作り、現地のやり方でカモメを捕まえて自分で保存食を作り、夏の間にカヌーで食料のデポを置き、自分の位置を知る術を身に付け、銃で食糧を捕まえる術を身につけ、探検に旅立ちます。


 彼は一体何のためにそんなことをするのでしょうか。著者自身もその答えを持たないまま、何か見えない力に突き動かされ、闇と冷気の世界へと吸い込まれていきます。準備の途中から数多の学びがあり、幾度となく失敗をします。探検に出てからも常に生死の境を彷徨います。「そんな状態から生還した人間が、21世紀現在はたして何人いるのか」というほど過酷な体験が綴られ、物語はついに佳境を迎えます。長年連れ添った相棒の犬(とても可愛くていいやつ)を殺して食べるかどうかというところまで追い込まれるのです。そして、その先でようやく、著者は自分自身が無意識のうちに抱いていた探検の真の目的にたどり着くのでした。どのような結末に終わるのか、ここでは申し上げません。是非とも実際に読んでいただきたいところです。

何かをやろうとすれば、必ず意味や理由を問われる時代です。何かの組織に入ろうとすれば必ずと言っていいほど面接があり、こう訊かれます。「志望動機は?」「何でそんなことしたいの?」「どうしてそうするの?」「何でそう考えるの?」 友達や親戚にでさえ聞かれることがあるでしょう。

 けれど何か理由なんていつでも明確に自覚できているものでしょうか? 無理やりに言語化した理由で、自分の内面を正しく表現できているのでしょうか? 行動した後で、ようやく自分の衝動の理由がわかる。そんなことはざらにあると思います。言語化できない衝動の猛々しさを巧みに操って未来を切り拓いていくことの美しさ、この本はそれを教えてくれます。


本には読むタイミングというのもあります。私がこの本に出会ったのは2019年の1月のことでした。仕事は順調すぎるほどに順調でした。毎年自分で設けたテーマを着実にクリアし、次々に新しい経験をして、人間関係は良好で、査定も良く、全てはうまくいっていました。しかし、30代を目前に控え、身の振り方に迷っていました。誰もが通るありきたりな迷いや不安だったと思います。

同じ頃、ミャンマー時代の同い年の友人でありメンターでもある男が日本で仕事を探すため、1ヶ月ほど私の部屋に居候していました。夜な夜な酒やお茶を飲みながら話をするのが日課でした。このままでは人間的な成長に先が見えてしまっていること、まだまだ自分の能力を持て余しているような気がしていること、この3年で自分の興味が今までと違う方向に向かっていること、その中で温まってきた構想があること、生まれてきたからにはめちゃくちゃやってやりたいこと、そして何よりもっと人の底の恐ろしさを知りたいということ、知らねばならないということ。「リスクを取らないことがリスクだよね。」そんな風に話していたのを覚えています。そんな時に例の書店でたまたまこの本を手に取りました。

途中、著者は度々以下のようなことを言っています。「人間が人生のうちで最も大きなことが成し遂げられるのは気力、体力、知力、経験が全てバランスの取れた最高潮を迎える30代だ。その30代のうちに成し遂げなければ一生成し遂げられないであろうことを私は今成し遂げなければならない。」

 その言葉に震えが止まらなくなってしまった私は、気づけば2冊の本を一睡もせず一晩で読んでいました。読み終えたのは翌朝の出勤の電車の中でした。日の短い時期で、ビルの隙間から差し込むオレンジ色の朝日が物語の結末とシンクロしていました。会社の最寄り駅を出ると、一年のうちで最も冷たい風が、地を這う人々に吹き付けていました。毎年のように同じ風に吹かれていましたが、極夜帯で吹く風に比べればそれがどんなに暖かく明るいか、私はその時初めて知りました。であるならば、もっと冷たく暗い場所を求めて歩いていかなくてはならない、闇と冷気を求め、全てを捨てて虚無の世界に旅立たなければならない。そんな風に感じました。そして、その日のうちに辞表を書き、上司に提出しました。

 この本を読むにあたって注意点がいくつかあります。極夜行前→極夜行という順番で読んで欲しいということ。また、極夜行の探検本編は前夜譚におけるエピソードからするとややドライブ感に欠け、中だるみすること。(虚無への旅なのだから、中だるみするに決まっています。また、何もないことのキツさというのがこの中だるみに色濃く現れていて、著者の探検を追体験するという意味においても必然的な中だるみだと私は考えます。)けれども、それを乗り越えて、是非最後まで読んで欲しいということです。彼の冒険を誰しもが自分なりの人生の何かに重ね、感動を覚えるはずです。評価は文句なしの★★★★★

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