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タレントの語源になったタラントのたとえ  発達障害児が決めた高校受験


聖書にタラントのたとえ話というのがありまして、いわゆる芸能の「タレント」の語源になったんだそうです。

ある雇い主が遠くの街へ仕事で出かける間、3人の雇用人に自分のお金を預けました。
一人には10タラント 
もう一人には5タラント
残りの一人には1タラント

(タラントは古代ギリシャに由来するお金の単位)

10タラントを預けられた者は、
それを元手に商売をして、もう10タラントを稼ぎます。
5タラントを預けられた者も同じように、もう5タラントを。
でも1タラントを預けられた者は、それを土の中に隠します。

雇い主が帰ってきて3人を呼び集め、
預かったお金でさらに10タラント、5タラントを稼いできた2人を喜び、
土に埋めた1タラントを主人に返した1人はひどく叱かられ追放されてしまうという話。

長いことキリスト教主義の一貫校に通っていたので、何度もこの話を聞かされました。

1タラントを埋めた人、手堅いよ。
褒められていいじゃない、
商売が失敗したらどうすんのさ。
そもそも、なんではじめに貰う額が違うんだよ〜
可哀想じゃん、1タラントの人。

イエス様のたとえ話ですから、
本来の意味を汲み取ればいいんだけどね。
天邪鬼な子だったから
そんな風に思って聞いてました。

長いこと忘れてたこの話、
思い出したのは、
自閉症スペクトラム障害の長男を小学校に上げた時。

いつもご機嫌で優しい長男は、
集団に入ると落ち着きも、
協調性もなく、
ロッカーや机は荷物でぐしゃぐしゃ、
受験中もうわの空、
おしゃべりだけど一方的で友達ともうまく関われずバカにされて、

なんで外に出るとこうなっちゃうの?

もう家でこのまま二人で過ごしていたい、
学校っていったい何のためにあるのだろう。
と思っていた時でした。

息子は何タラントもらって生まれてきた?

それが何タラントであっても、
そのタラントを使い、
世に出て何かを得てくる。

それはきっと嬉しいよね。
生きてる喜びを感じるよね。
誰だってそうだ。

いつかそんな日がくるために、
今、何ができる?

トラブル続きの義務教育の期間。

もういいんじゃない?
ここじゃなくても、どこか二人で
安心して通える場所、探そうよ。
と私は何度も折れまくり。。。

それでもやっぱり学校は子どもにとっての日常で。
そんな時は
いつもこのたとえ話が頭の中に浮かぷ。

この子が今日このトラブルの中で学んだことを、
それが小さなことでも、
それを一緒に喜んであげよう。

中学の3年間は内申点に振り回された日々でした。

発達障害の子どもはね、どんなに頑張っても取れませんよ、良い点なんて。

中3にったとき、
どうやっても伸びない内申点で、
どこに進学先を決めようかと、
かかりつけ医やら、心理士やら、
通級指導教室などなど、
私はほうぼうに相談していたけれど、

内申点に振り回されいたのは私の方でした。

当の本人は、
手厚い私立やサポート校を勧めても知らんぷりで、
入試の際内申点の比重が少なく、
当日のテストが重視される中堅の公立高校へ行くと自分で決め、
そして合格しました。

いつも一緒の仲間も同じ高校を受けていて、
一緒に行きたくて頑張ったみたい。

15歳らしい可愛い動機で
自分で踏み出した一歩。

これが私と息子の
義務教育時代のお話のしめくくり。

これからまた何が起こるかわからないけれど、
私は大いに喜んであげようと思います。



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