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かくも短き不在『映画秘宝』25年。

 1995年の『映画芸術』ベストテンは、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95)と『エド・ウッド』(94)がそれぞれ邦画・洋画の1位だった。その結果に編集長の荒井晴彦氏が、「いくらデキのいい怪獣映画だといっても亀が空飛ぶ映画が一位か!? デタラメな映画を撮り続けた女装趣味の監督がいましたというだけの映画が一位か!?」と嘆いた。同じ年に創刊された『映画秘宝』は、以降25年にわたって、そうした〈デタラメな映画〉や〈亀が空飛ぶ映画〉を一手に引き受ける場となったのだから、これは、ある一面においては『映画芸術』から『映画秘宝』への、実に象徴的な転換の年だったのではないだろうか。
 創刊当初の『映画秘宝』は、『映画秘宝Vol.1エド・ウッドとサイテー映画の世界』『映画秘宝Vol.2 悪趣味邦画劇場』といった、古式ゆかしい映画雑誌からは相手にもされない失敗作やプログラムピクチャーに愛憎をこめて綴った格好の旧作ガイドだったが、新作に対しても有効だと実感したのが1996年刊行の『映画秘宝Vol.6 底抜け超大作』である。

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 この年、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)の解説で知られる映画評論家の水野晴郎が監督した映画がひっそり公開された。異業種監督が盛んな時代だったが、蓮實重彦『秘本・草枕』(※1)を撮るという噂も出ていた頃なので、和田誠とまでは言わないが、映画評論家が撮る映画に何らかの輝きが見られるのではないかと、実は少しばかり期待していた。主演までも水野が兼ねた『シベリア超特急』(96)と題されたその映画は、演技も演出も稚拙でしかなく、映画評論家の北川れい子「映画をバカにすんなっ!! 史上最低だね」(『勝負 ニッポン映画評』ワイズ出版)と罵られたのもやむ無しと言わざるを得ない出来だった。
 しかしながら、「史上最低」の映画に価値を見出すのが『映画秘宝』である。『底抜け超大作』では本作の細部にわたってツッコミ倒すことで笑いへと転化させ、後のカルトムービー化に一役買った。同じ号では、橋本忍の怪作『幻の湖』(82)にも、真面目に観れば退屈極まる失敗作でしかないものに付加価値を生み出していた。
 とはいえ、それから25年が経った今も同じ視点でしか語られないのは映画批評の停滞と言われても仕方ない。いまだにシベ超、シベ超と嘲笑するだけで、水野が加藤泰や沢島忠をいち早く評価し、ヒッチコックの日本未公開作を買い付けて『バルカン超特急』(38)という原題とはかけ離れた邦題を付けて公開した視点から監督作を読み解くこともなく、橋本忍の作品歴を未映画化作品も含めてたどれば『幻の湖』に行き着くのも必然だと分かるのに表層的なトンデモ描写に十年一日の如く嗤っているだけである。
 そうこうしている間に『映画秘宝』の仮想敵だった『キネマ旬報』が、ベストワンに『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)、『ジョーカー』(19)を選ぶ時代となり、もはや他誌にはない独自の視点は薄れたと言わざるを得ない。むしろ、そうした作品の特集を『映画秘宝』でおなじみだった書き手が『キネ旬』で書くことも珍しくなくなってきた。〈『映画秘宝』は役割りを終えた〉という声が寄せられるようになったのは、最初期のコンセプトに照らし合わせれば、あながち見当違いとも言えない。4半世紀前には際立っていた視点が普遍化されたことによる弊害が押し寄せてきていたのだ。

 しかし、近年の『映画秘宝』に目を通していれば、それは画一化されたイメージで語られたものでしかないことに気づくはずだ。従来の『映画秘宝』的なコアな記事と共に、普遍性のある記事を組み合わせたハイブリッド型の誌面が形成されていたからだ。誌面を例に取るのが伝わりにくいならば、2020年1月に洋泉社からの刊行を終えて休刊した『映画秘宝』が、2020年4月に双葉社から復刊されることを告げるweb動画『HIHO RETURNS』を観れば、〈映画秘宝的〉イメージと異なる意図が感じられるのではないだろうか。

 のんを起用し、『映画秘宝』を書店で購入することを心待ちにする女子の高まる気分を映し出した入江悠監督による2分ほどの動画には、邪悪さも暴力も呪詛の念もない。筆者は編集長の岩田和明氏に、「なぜ監督が三池崇史、園子温、白石和彌、小林勇貴らではないのか?」と尋ねた。『映画秘宝』的な〈映画の暴動〉を撮るタイプの監督に撮ってもらった方が、復刊の狼煙として相応しいのではないか? しかし、岩田氏はそれを明解に否定して、『映画秘宝』のコアなファンではない層にアピールする動画にしたかったと語っていた。だからと言って、従来の読者をおいてけぼりにもしていない。塚本晋也を起用することで、ゆるふわな雰囲気にダークな色合いが仄かに漂う。 

 ところで、『映画秘宝』の復刊号では、脚本家の荒井晴彦氏による2010年代日本映画ベストテン&ワーストテン選出を行っている。昨年、荒井氏の監督作『火口のふたり』(19)公開に合わせて『映画秘宝』でインタビューを行うことになり、荒井氏は『映画芸術』の編集長でもあることから、岩田氏との編集長対談という形で掲載することになった。筆者は取材構成を担当したが、意外に反響があったことから復刊号で第二弾を行うことになったわけだが、『映画芸術』でも『映画秘宝』の特集を組むことになり、続けて取材が行われた。当初は休刊を受けての特集になる予定が、復刊を祝う特集へと変更され、筆者も寄稿の依頼を受けていたが、特集の内容が変わったために書きあぐねているうちに時間切れとなった。本稿の前半は、そのとき途中まで書いたものの流用である。
 あだしごとはさておき、『映画芸術』で『映画秘宝』の特集が組まれると聞いて筆者の脳裏に浮かんだのは、創刊50周年記念号にあたる『映画芸術』1996年秋号(No.380)の「かくも長き存在 映画雑誌50年。見た。感じた。書いた。」と題した映画雑誌特集である。当時、筆者は高校3年生だったが、そこには毎号読んでいた『キネ旬』『映画芸術』『映画秘宝』の姿はなく、『映画評論』『映画批評』『季刊フィルム』など、かつて存在した未知の映画雑誌ばかりが取り上げられていた。しかし、この特集を目にしたことで、古書店で映画雑誌のバックナンバーを片っ端から漁るようになり、『映画秘宝』の原点に『映画評論』佐藤重臣編集長時代)や『映画宝庫』があることを知るきっかけとなった。そして『映画秘宝』も、あの特集で取り上げられていた映画雑誌と同じ運命をたどったのだと、感傷的な気分になっていた最中に急転直下の復刊劇となった。

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 さて、〈かくも短き不在〉の後、前述したように独自の価値観が薄れた今、新生『映画秘宝』が何を生み出すかは、これから真価が問われることになる 。しかし、こんな時期でも『映画秘宝』と『映画芸術』が共に書店にならび、それぞれの誌面に両誌の編集長が登場し、よくもまぁと思うほど2人とも好き勝手なことを喋っているというのは――苦笑する人も、怒る人もいるだろうが、雑誌というのは編集長のテンションが如実に誌面に反映するだけに、なかなか頼りがいのある話なのではないかと思っている。

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※1.『秘本・草枕』……東京大学副学長だった蓮實重彦は、定年退職後の1997年末に、それまで趣味として書き溜めていた脚本の中の1本である夏目漱石『草枕』を原作としたソフトポルノ映画『秘本・草枕』を撮ると『映画芸術』『週刊新潮』などで発言。
「ところで、僕には、東大を定年退職したら、夏目漱石原作のソフト・ポルノ版『草枕』を撮るというプロジェクトがありまして、『秘本・草枕』という題名の脚本はほぼできているのですが(一同驚き)、これをナミさんにしたいという女優が他の人の映画を見ている限りは全くいないのに困っています。中国か香港から借りてくるかということさえ考えていますが、本当に女優がいない。台湾も女優がやや払底していますね。伊能静がいいと言っても、やはり限界があると思います。」「撮影に入るのは早くても今年の暮れか来年の初めです。冬の淡い光を涸れた芝生の上に走らせたいのです。」(『映画芸術』第382号、97.春/『帰ってきた映画狂人』河出書房新社)
 この監督作は、蓮實の東大総長就任によって「学長を引き受けた今となっては、もう(中略)実現不可能でしょうね」(『週刊新潮』)と企画が中断し、現在にいたっている。近年、『ユリイカ 総特集 蓮實重彦』で、本作について入江哲朗の問いかけに答えて蓮實は、「『秘本・草枕』というテクストが物理的に存在しているわけではありません」と脚本等の存在を否定。イメージの構想を練ったことはあると明かしている。

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