見出し画像

あれから30年も忘れられた『稲村ジェーン』

 『稲村ジェーン』のBlu-rayとDVDが発売された。これがいかに画期的かは、少々説明がいる。
 とりもなおさず、桑田佳祐が今のところ唯一監督した映画だが、VHSとLDが発売されて以来30年、DVDになることもなく今に至っていた(その理由は容易に想像がつく)。とはいえ、〈幻の映画〉というほど騒ぐ気がしなかったのは、LDを持っていたからで、数年に一度は観ていた。
 というわけで、大ヒットしたものの、ひどく罵倒されたことでも知られるこの映画を、〈それほど悪くないんじゃない?〉 と、思っている立場としては、当然、Blu-rayも買いました。デジタル・リマスターの美しい映像で久々に観たが、大いに堪能した。
 なんてったって、1965年の湘南を舞台にしながら、ノスタルジーとも無縁に、退屈な何も起きない青春を、たいした起伏もなく、ぶっきらぼうに描いているのが良い。サーファーの話なのに、波乗りシーンすら無いのだから、愛想も何もあったもんじゃない。
 メインキャストは新人だし、サザンの楽曲以外は、けっこうマニアックな音楽になっており、エンディングに流れる『真夏の果実』と、挿入曲の『希望の轍』がなければ、かなり地味な映画である。ラストの唐突な幻想場面は、カルト映画的ですらある。
 この映画が惜しいのは、〈音楽映画〉に徹しきれていないところで、フツーの映画にしようとして音楽を遮ってしまう。観客はサザンの音楽をたっぷり聴きたいのであり、物語などシンプルなものでいい。前年に公開されたホイチョイプロダクションの『彼女が水着にきがえたら』で、サザンと桑田の楽曲を5曲ほど使っていたが、劇中音にかき消されてしまう箇所があり、後のビデオとテレビ放送ではダビングをやり直して、音量が調整されていた。
 5年後に作られていたら、『稲村ジェーン』は違う編集になっていたと思う。90年代半ばになると、ウォン・カーウァイ、岩井俊二といった監督たちが次々に現れ、劇中で一曲まるまる流して、編集も音楽に合わせるスタイルを一般化させたからだ。クロード・ルルーシュという先達がいるとはいえ、ミュージック・ビデオ的演出を映画に導入することがこの頃から一般化したのである。

 公開当時、最も的確に欠点を指摘したのが、『週刊テーミス』に載ったビートたけしの冴えわたった批評だった。曰く「音楽映画なのに無駄で邪魔なセリフがあり過ぎて、音楽を殺している」「いろいろ凝った絵があるんだけど、あれはスチールのきれいさなんだ。いってみれば絵葉書のたぐい」。
 いずれも、けだし名言である(後に『仁義なき映画論』に収録された)。これに桑田が反論したことで、当時はもう珍しくなっていた映画論争になりかけたが、たけしは沈黙し、翌年公開されたサーファーが主人公の『あの夏、いちばん静かな海。』が桑田への返答になっていた。

画像1

(『週刊テーミス』1990年9月26日号)

 この映画が公開された1990年の夏、筆者は12歳だった。日本映画は『天と地と』『タスマニア物語』『オーロラの下で』『少年時代』などがあったが、内容空疎な作品ばかりだった。9月に入って、東宝で『稲村ジェーン』、松竹で『3-4X10月』が一週違いで公開された。大手映画会社が、当時よく使われた言葉で言うところの〈異業種監督〉にゲタを預けて、一方は大ヒットし、もう一方は興行的には不発でも高い評価を得たが、プロの監督たちが作る箸にも棒にもかからない映画よりも、遥かに刺激的であることは小学生でもわかった。
 Blu-rayの発売に合わせて、『キネマ旬報』で本作のプロデューサーである森重晃氏にインタビューしたところ、的場浩司の役は、最後まで寺島進が候補に残っていたという話が面白かった。バランスを考慮して的場になったそうだが、たしかに加勢と寺島の並びではカゲがある。本作の翌年に『ADブギ』(TBS)で浜田雅功を加えて主演を張った加勢と的場が陰と陽の組み合わせで成功していたのを見てもわかるように、この配役は正解だったと思う。それに、このとき起用されていたら、北野監督は『ソナチネ』に寺島を使うことはなかったに違いない。



この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?