見出し画像

いつかの絵具 見知らぬ群青

こんばんは、今の私は夜です。

あなたの夜はどの様に更けていくのでしょう?
もしくは、あなたの夜はいかがでしたか?

夜明けの彼方へ立つのなら、消え入りそうな
背中しか見えないかもしれませんね。

そしてそれは、いつだって
顔見知りの色とは限りませんよ。

だって私達は海のことを、
小指の爪ほども知らないのですから。

画像1

あなたは何色が好きですか?
もしくは、見たことが無いけど、
見てみたい色はありますか? 
(質問が多すぎる、と感じていますか?)

私は、海よりはよく喋り
真夜中よりは静かな群青が好きです。
(全ての群青のことは、もちろん知りませんよ。)

顔見知りの群青の背表紙
気の知れた群青の壁 そして
愛してやまない群青のコップの底

見知らぬ群青に、私はいつだって
恋をしているのです。

画像2

私には、いつの間にか持っていた
絵具のチューブがあります。

いつからか分からないのですが、
掌に転がっていたのです。

私はきっと、いつか、
この絵具のチューブを開け
中に詰まった色を思い切り使う

そんな日が来るのではないかと
首を長くして、待っていました。

しかし、そんな日はまだ、
依然としてやって来ません。

それどころか、中身がどんな色なのか
私はちっとも知らぬままなのです。

画像3

それにしても、私の周りには
自分の絵具を使って、自由に、
思いのままに絵を描いていく人が
随分といるものです。

そして私は、愚かで思慮の浅い人間です。
妬ましく思うこともあります。

何かと自分を比較する必要は無い
と口を酸っぱくして、様々な人が
私に言いましたし、私も
その正しさは、十二分に知っています。

しかし、時に正しいと認めた事実の
裏側に流れる言葉は、想像を通り過ぎ
言葉にならない感情の約束に
流れ込んでいることがあります。

それに関しては、私達がいつかに、
無意識に受け取った、他者の瞳が
起源となっている事がほとんどです。

それを捨て去る事は、残念ながら
足元の砂粒の故郷を見つけるほど
難しい事と言えるでしょう。

私はあえて、言葉にしないまま
並んだ絵を見つめてしまう事があります。

画像4

夢想家が優れているのは、夢を見る事は生きる事よりも遥かに実用的であり、夢想家は行動家よりも生活から遥かに広く、遥かに多様な悦びを引き出すからなのだ。さらに正確な、さらに直接的な言葉で言えば、夢想家こそが行動家なのだ。
-Fernando António Nogueira Pessoa

私は西瓜の種ほど小さな問題を、
一生の難題の様に考えてしまう
面倒な節があります。

(だって皆さん、西瓜の種はこんなにも
小さいのに、条件が揃えば、
あんなにも大きな西瓜になるのですよ。)

時に私の想像力は、力強く
地面に穴を掘っては、私を沈めていきます。

必要なのは気の済むまで沈む事
あるいは、
少し爪先の方向を変える事。

教えを与えてくれたのは
古の賢い言葉でした。

私は、ポルトガルの詩人
フェルナンド・ペソアの言葉で
爪先の方向を変える事を学んだのです。

画像5

夢想家の力、想像力とは偉大なものです。

あるも、ないも、司る
素晴らしくも恐ろしい力。

引き出すのは、喜びだけでなく
悲しみや不安や怒りもあります。

しかしそれに気が付けた時から
幾分か、私は、沈む日々が
少なくなった様に思います。

私は私の、行間を読む事に
やっと気がついたのです。

その怒り、悲しみ、不安
湧いて出る言葉の隙間と源を、
想像力で追いかけていくのです。

自分自身ですら気がつかなかった
感情達の細かな表情を
私は見つめて、私に寄り添うのです。

自由と変化は、その繰り返しで
耕された瞳にやって来ます。

画像6

しばらくして私は、少しの自由と
歩き回る力を手に入れました。

今でも、
開かない絵具のチューブのこと
いつかくる永遠の夜のこと
不安定な月の満ち欠け

たくさんの不安を、私の想像力は
時として運んできます。

しかし私は、それすらを見つめます。

(見つめたくない時だってありますよ。
 紅茶を飲んでさっさと眠りたい夜の方が
 むしろ多いかもしれませんね...。)

私の瞳は如何様にも
物事を捉えることができるでしょう。

私が私の想像力をただ、
夜明けと同じくらい信じるだけで良い。

私は、絵具の色を想像しましょう。

私達の想像力は、きっと
私達の爪先をどこへでも
導く力を持っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?