見出し画像

24/4/8(月) 言葉があるから逆に思考が制限されてる気がする

写真は友達の猫を預かったときのもの。
どちらも穏やかで賢い子たちで、ケンカすることなく、
一週間仲良く過ごしてくれた。

不思議なことにというか、
お互い遊ぶときなどは、
全然鳴いたりしなかった。
初対面のときシャーと言ったきり、
そこからは、お互い無口で過ごしていた。
外で野良猫たちを見ていても、
猫同士で話しているのを見たことがない。
Youtubeで上がってるものも
だいたいケンカしているときの威嚇か
発情期の時のものが多い。
ただ、人間になにか訴えるときには
鳴き声を発する。
遊んでほしいとか、なでてほしいとか、
おやつ食べたいとか。
これは人間が常に声を発しているから、
声を出さないと動いてくれない生き物だと
思っているからなのではと思う。

猫と人間では種族が違うが、
人間は初対面の相手に対して、
目や態度で意思の疎通を図ることはできない。
「天気がいいですね?」とか
「どこ出身ですか?」とか
適当な鳴き声を出して、沈黙を埋め
コミュニケーションを図ろうとする。

僕はこの人間の意味を持つ言葉という名の
鳴き声が、人間の思考と能力を制限しているのでは
と最近思う。
言葉を組み合わせて思考すること、
脳に浮かんだその言葉を間違わないように
発すること、
そしてその言葉を聞いて、
相手が理解する行為。
これらが時間の無駄となって、
効率を下げているのではないだろうか。
猫のように言葉を介さなくても、
動きや目線などからお互いの考えてることを
瞬時に理解し、
それこそ空気を読むように、
適切な距離感を保つことができるのではないだろうか。
もしかしたら鳴き声ではなく、
テレパシーみたいな能力に進化していくのではないか。

そもそも言葉のせいで思考が制限されている気もしている。
例えば、僕がある女性を好きになったとする。
言葉で考えると、

顔が好き、体型が好き、服装が好き
でもそれは不純な行為と思われる。
内面が好き、
優しいとこ、気遣いできるとこ、
明るいとこが好き。
他にも明るい人はいるのに、
なぜこの人が好きなのか。
好きな音楽が合う、
食べ物の趣味が合う。
一緒にいて楽しい。
いやもしかして、
ただセックスしたいだけでは?
いやいやそんなことはない、
僕は内面が好きなのだ。
でも彼女が僕のことを好きじゃなかったら、
振られたら傷つくな。
今後気まずくなって
一緒に御飯言ったりできないかも知れない。

みたいな感じで、めっちゃごちゃごちゃ考えてしまう。
でも今ある言葉の概念を忘れて
一連の思考をまとめる鳴き声や目線やボディランゲージが
あるかも知れない。
例えば、手を広げて「だぁーだぁーまー」
と鳴けば、
相手に僕の感情の全てが伝わるかも知れない。
それでOKをもらうにしてもNOであったとしても、
僕自身も脳の容量もそんなに使うことなく、
労力も時間も使わず、
仕事に打ち込むなり、次の恋愛に行けるかも知れない。
相手も然り。

言葉を持つことで人間はここまで進化したと
言われているが、
美しいとか、かわいいとか、かっこいいとか、
ヤバいとか、言葉の枠に縛られて、
本来もっと違う感情を自分の中に
生じさせているはずなのに、
枠にはめて考えてしまうことで、
イノベーションが起きず、
進化が限界を迎えているのではないか。

なんか書いてて、自分が何を言いたいのか
わからなくなってきた笑

こ、これも言葉に縛られているからだ。
なんとなく頭に言いたいことはある。
これを言葉を使わずテレパシーで
まるっとデータを渡して
みんなの方で処理してもらって
ちゃんと伝えられればいいのにな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?