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それでも正しい姿に憧れる

会社という組織において追求しなければいけないのは業績。会社としての目的であり正義だから、まったく間違っていない。

経営理念や方針にどんなに共感している組織でも、業績を追求することに責任を負わなければならない経営者と、求める正義がそれぞれ異なる社員とで軋轢が生まれることがある。

正義と正義のぶつかり

組織が継続していくためには、経営者は社員を雇い入れ、鼓舞し、時には過ちも受容し、それでも価値基準の軸から外れた場合は罰を与えたり、排他したりしなければならない。

人間誰しも完璧じゃない。
時には失敗したり誘惑に負けたり、過ちも犯す。

営業数字を上げるけれども社内で不倫する奴。
営業数字を上げるけれども挨拶すらまともにできない奴。
営業数字を上げるけれどもお金に汚い奴。
当たり前すぎて、モラルと言うにはあまりにも稚拙なことでも、いい大人が躓く。

そんなとき経営者は、業績を上げている人材ならば、仕事以外の部分で過ちを犯しても、人間性には目をつぶり能力を優先して存在を許容する、という判断をしなければならないこともある。
一方で、その判断を受け入れられず、経営者への信頼を失う社員も出てくる。

業績と正義と人情と

誰しも過ちはある。
ただ、自分が是としない過ちの場合、自分の周囲で起きてしまうことを許容できる人とそうでない人がいるということだ。

ちなみに経営者が認識しておかねばならないことは、起こった過ちは隠し切れない、ということだ。静かに、小さな波となって気づかないうちに組織を一回りし、いつのまにか公然の秘密となる。
またその影響は当然、本人だけでは終わらない。

どんなに優秀でも、自分の仲間と不倫した上司の指示に、今まで通りは従えないのが人情。
数字を上げられなくなったら、挨拶できないのはただの常識がない奴扱いになるのが人情。
不正して得たお金で家族を高級店に連れていくとする。そのあと事実を知った家族は、どんなに罪悪感を抱いてもその食事を吐き出すことすらできない。そんな十字架を、家族にさえ平気で負わせられる人と一緒に働けない、と感じるのが人情。

その影響はシロアリのように組織を蝕む。

それでも正しい姿を追い求める

経営者として間違った判断をしたわけではないのに、信頼関係に疑問を持たれるのは経営者としてもつらいだろう。
しかし、アレルギー反応を起こしている社員は確実にいる。

社員とて、全員に清廉潔白を求めたら組織経営が立ち行かないことなど百も承知だ。

それでも。
それでも、「正しい姿でありたい」と願うのが、また人間なのだ。

少なくとも同じ目的に向かって仕事をしようとした以上、自分が働く組織が正しくあるためにもがいていると信じたいのだ。
揺らいだ時こそ、自分が選んだ会社の目指す姿や価値基準は変わっていないと確信したいのだ。

人間は過ちを犯すからこそ正しい姿に憧れ、それが貫けなかったとしても、正しくあろうとする姿に感動し、共感する。

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