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日本建築の歴史を考える③ 帝と貴人の寝所

前回までの記事では、「床と多多美(畳)の文化」

そして、「ユカとトコの違い」

について触れました。
今回は、貴人の邸宅に置かれたある家具について触れていこうと思います。


古代の皇族・貴族の邸宅には、多くの家具が存在していました。それらは、正倉院におさめられた聖武天皇の遺品にも数多く見られます。

そのうちの一つが、ベッドです。
ベッドと言えば、近年の洋風建築で日本にもたらされたと考えがちですが、日本で最古のベッドは何と古墳時代の「埴輪」でその存在を見ることができます。
大阪府の美園古墳で出土した家形埴輪

美園遺跡出土_家形埴輪

の中には、床から3.5cm程度上がったベッド状の部分があります。

また、どうやら中国の皇帝が用いたベッド(龍床)

古代中国ベッド

によく似たものが用いられていた様子もあり、大陸との交流の中で、権威を持つ者の寝所にベッドを置く習慣がもたらされたと考えられます。

現存する家具としてのベッドで最古のものは、正倉院宝物にある聖武天皇

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のベッド、「御床(ごしょう)」です。

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758(天平勝宝8)年の第一回献物を記した目録、『国家珍宝帳』によると、奉献された品には

「御床二張 並塗胡粉具 黒地錦 端畳 褐色地錦 褥一張 廣長亘両床 緑絹袷覆一條」

とあります。
この御床、結構大きいもので、長さ3m、幅1.5m。
見た目は、超キングサイズのすのこベッドといったところでしょうか。

これを、聖武天皇と光明皇后は1台ずつ、並べて使っていたそうです。
つまり、2台合わせて3m四方というかなり大きなベッドだったことになります。そして、その上に厚畳、敷布団(褥)を敷いて使っていました。もちろん、枕や掛布団(覆)もあります。

今でこそ木地剥き出しになっていますが、かつては真っ白に塗られていたようです。塗料は「胡粉」とありますが、現代の鉛白ですね。
かつては化粧品としても使われていました。
どんな塗料なのかはこちら

をご参考に。うーん、結構危ないものなのでは。

そしてこのベッド、「斗帳」というカーテンに囲まれていました。
何だかお姫様ベッド

天蓋ベッド

のイメージになってきましたが、この場所こそ奈良~平安時代の聖なる「ユカ」でした。

実は伊勢神宮内宮正殿で、ご神体(霊城)を納めてある器(御船代)も、同じようなベッド状の家具(御床)に乗せられています。
どうやら、御床はただのベッドというわけではなく、神につながる者(や物)がその神聖さを保つための場所という意味合いがあったようです。

聖武天皇が生きた奈良時代は、正倉院宝物にも見られるようにまだ貴人の邸宅内に多くの家具がありました。

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これは嵐山町web博物館にある、平城京の邸宅模型です。
しっかりとした壁に囲まれていて、部屋割りもあったようです。
これは大陸系の建築文化とも言えるでしょう。
だからこそ、室内にも大陸の流れをくむ家具類が多く配置されたとも考えられます。

(上の動画は、寝殿造を復元した建物です)
一方、寝殿造は壁が少ない開放式の構造で、建具などで間仕切りをしている点が特徴的。家具類もかなり減っていきます。
先ほどの御床も、平安時代になると見かけなくなってしまいました。

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では、寝殿造で貴族たちは壁がない吹きさらしのような場所にいつもいたのか、そもそも収納はどうしたのか(貴族の館には宝物などもあるはず)?
そして聖なる「ユカ」はどこに消えてしまったのか…?

次回は、その辺りを含め、平安時代の寝殿造を「ユカ」の視点から掘り下げていきたいと思います。


このような時期ですが、せっかくですので何か気付きがある毎日を!
その一助になれば嬉しいです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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