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開けることは想定外?

今日は缶詰の日。明治10(1877)年の今日、北海道開拓使石狩缶詰所が作られ、日本で初めての缶詰工場として生産を始めたことがその由来です。

ちなみに缶詰の製造法は、あのナポレオン・ポナパルトが外国遠征のため食糧の長期保存法を公募したことから発明されました。

当時の兵士の携行食は、干し肉、塩漬け、酢漬けなど。あまり美味しいとも言えず、栄養価も偏りがち。しかも処理が不十分で食中毒を引き起こすこともありました。
海軍(水兵)は特に野菜が手に入らず、ビタミン不足で壊血病になるケースも多々ありました。

壊血病とは
ビタミンCの欠乏によって起こる疾患で、体内のタンパク質を構成するアミノ酸であるヒドロキシプロリンの合成が低下し、組織間をつなぐコラーゲンや象牙質、骨の間充組織の生成と保持に障害を受ける。
これがさらに微小血管の損傷につながり、出血の原因となる。
3–12か月に及ぶ長期・高度のビタミンC欠乏により、脱力や体重減少、鈍痛に加え、出血(皮膚・粘膜、歯肉)、歯の脱落・変化、創傷治癒の遅れ、低色素性貧血、易感染性、古傷が開くなどの症状がみられる。
 成人では生野菜の摂取不足や長期間の感染症・熱病の後に起こり、大航海時代は太洋を航海する船中でよく発症し、致死的であることから恐れられた。
(一般社団法人 日本血栓止血学会より引用)


食糧の確保は常に指揮官の悩みの種だったのです。特に遠征が多かったナポレオンにとって、これは非常に頭の痛い問題でした。

※ちなみに、古代の軍隊で遠征時の糧食確保は、基本的に「現地調達」です。そのため、当然のように略奪が行われました。

そこで、ナポレオンは懸賞金付きで食糧の長期保存法を募集します。
その募集に応じたのが、フランス北部、シャロン=アン=シャンパーニュ生まれの、二コラ・アベール

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でした。
彼は、

①広口瓶にあらかじめ調理しておいた食品を詰める
②コルク栓をゆるくはめる
③湯煎(ゆせん)鍋に入れて沸騰点まで加熱する
④30~60分加熱を続けて瓶内の空気を追い出す
⑤コルク栓を押し込んで密封する

という手順で、瓶内を真空にし、殺菌する「瓶詰め」の技術を開発しました。そう。「缶詰」ではなく「瓶詰め」

彼は料理人で、せっかく作った料理が腐ることが許せませんでした。そこで「腐らない」方法を研究し続けた結果生み出された技術だったのです。瓶詰めも缶詰も製法は同じため、アベールが缶詰の生みの親、とも言われます。

ちなみに「缶」詰めを開発したのは、イギリスの商人ピーター・デュランド

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です。アベールが1810年に瓶詰めの技術を記した本を出版。それらが英訳されイギリスでも出版されたことがきっかけでした。

ガラス瓶は重い上に割れやすいことが欠点です。そこでデュランドは、ブリキ缶を使った「缶詰」を開発します。
ちなみに、当初の缶詰は非常に製造に手間がかかるものでした。

まず、ブリキ缶は細工師による手作り。3mm厚のブリキ缶を円筒状に加工し、そこに切り抜いたブリキの円板をはんだ付け。
そこに食品を入れ、蓋をはんだ付けして密封。
その後、十分に湯煎してから小さい穴をあけ、脱気。そして最後に小さい穴をはんだで塞いで完成です。

…手間がかかりますね。そのため、当初の製造能力は、1人の職人が1日がかりで作業しても、せいぜい60個程度だったと言われています。

1812年、デュランドの特許技術を基にして、ブライアン・ドンキン

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ジョン・ホール

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が世界最初の缶詰工場を設立し、翌年の1813年より陸海軍に納入を始めました。ちなみに、129名の隊員全員が失踪したことで有名な北極探検隊(フランクリン遠征隊)もこの缶詰を携帯していました。
ただ、この時期の缶詰は手間がかかるため高価で、軍や探検隊などの特殊な顧客以外が手にすることは殆どありませんでした。

さらに缶詰産業が大きく発展したのはアメリカでした。
1861年に始まった南北戦争時、生産量と種類ともに急速な技術革新が起き、大量生産が可能になったのです。

ちなみに日本には缶詰の製法が伝わったのは明治の初めです。
1871(明治4)年、長崎で松田雅典という語学学校の職員が、フランス領事のレオン・デュリー

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の指導でいわしの油漬缶詰を作ったのが始まりとされています。

デュリ―が持ち込んでいた牛肉の缶詰の美味しさと、それが数か月前に作られたものであることに驚愕した松田は、デュリ―に頼み込んでその製法を学びます
※大の親日家だったデュリ―は、快くその申し出を受けたそうです。デュリ―はその後、日本を愛するあまりアメリカ領事への赴任を拒否、日本に残り、開成学校(現東京大学)の教師となります。


ところで…実は、缶詰には、当初から大きな欠点がありました。
それは「開けられない」こと。

厚さ3㎜の分厚いブリキ缶をどうやって開けるのかについては、実は誰も考えていなかったのです。
そのため当初は、

・金づちと鑿で開ける(製造元推奨)
・ナイフでこじ開ける
・銃で撃つ(!)

くらいしか開け方がありませんでした。

しかし、いかんせん手間がかかります。
しかもナイフが破損したり、缶詰を撃った跳弾で怪我をする兵士が出る始末。さらに撃った缶詰の中身が飛び散るなど、散々なことになるケースが多発しました。

そんな悩みを解決した大発明が、「缶切り」でした。
しかも、その発明は1858年のこと。缶詰の発明から実に半世紀も後の事だったのです。
発明者はアメリカの発明家、エズラ・J・ワーナー

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でした。この技術の開発は、南北戦争でアメリカ軍を大いに助けたのです。

もし彼の発明がなければ、もしかしたらいまだに私たちはナイフで缶詰をこじ開けていたかもしれませんね…。

ちなみに現在は缶切り不要の「イージーオープン缶」が主流になっており、あまり缶切りを使う機会はありません。
ただ、イージーオープン缶は比較的衝撃に弱いという欠点があり、陸上自衛隊の戦闘糧食I型のように軍事用で空中投下を前提としている缶詰の場合、イージーオープン缶は使えません。
そういった缶詰の場合には、従来の缶切りが必要な方式が使われていることがあります。


というわけで、今日は缶詰に関する歴史と雑学でした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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