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地理学者が育てた「大地のリンゴ」

今日は地理学者にして探検家、そして天文学者でもあるマルティン・べハイム

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の誕生日。

彼は1459年、ドイツの裕福な商人の家に生まれます。そして貿易に携わる中で、当時大航海時代の最先端を走っていたポルトガルのジョアン2世

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の宮廷に出入りするようになります。そこで彼は、当時大流行していた「探検」に興味を抱くようになります。
ジョアン2世に気に入られたことから航海委員に任命され、新航路発見のため西アフリカくらいまで探検に出たこともあるようです。
※この宮廷で、べハイムはコロンブスやマゼランとも交流を持ったと言われています。

また、当時のポルトガルは世界中の地図を買い集めており、べハイム自身が製作したとされる地図も残されていることから、商人のネットワークを生かした地図の収集を主導していた可能性もあります。

そして彼は、1841年、故郷であるニュルンベルクに里帰りした際、自身のポルトガルでの経験を周囲に話していたところ、ニュルンベルクの市長から「地球儀製作」の依頼を受けることになります。

その後べハイムはおよそ1年をかけ、1493年頃に地球儀を完成させます。
彼はその地球儀を「Erdapfel(大地のリンゴ)」と名付けました。

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完成した地球儀は、直径50cmの金属製。書き込まれた地名は1100カ所以上という手の込んだものです。
赤道や南北回帰線、更に北極圏や南極圏が描かれており、さらに人魚や帆船など111枚もの細密画が添えられており、装飾的にもとても美しい仕上がりでした。

地球儀に描かれた世界地図は、プトレマイオスの世界地図に基づいています。

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まだ南北アメリカ大陸到達前なので、南北アメリカ大陸はまだ存在しません。アジア(中国)の東の沖合に日本(Cipangu)があり、いくつかの島を経てヨーロッパに到達しています。
そのため、現在の太平洋にあたる部分は極めて狭く描かれています。
アジアに関する記述はマルコ・ポーロ

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の『東方見聞録』、また、ヨーロッパの西側の島々は、キリスト教の世界観に基づくものもありました。

この地球儀は当時の世界観をよく表しています。
ちなみにこの誤りは

・コロンブスがアメリカ大陸をインドと思い込んだ
・マゼラン艦隊が太平洋で、食糧・水不足で絶望を味わう原因になった

原因ともなりました。

もっとも、彼らの命懸けの探検の成果を通して世界図の誤りが修正され、測量技術も進化して現在の世界地図


が製作されるに至ります。
今となっては「誤りが多い」世界地図ですが、当時の人々の夢と技術、世界観が凝縮され、これを信じて命懸けの探検に挑んだ人々が多くいたことは、歴史のロマンですね。

ちなみに、この地球儀は現存する最古の地球儀として、今もニュルンベルクのドイツ国立博物館に保存されています。

というわけで、今日はマルティン・べハイムについて書いてみました。
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