寄付指数ランキング03

「有徳人」から見る日本の寄付文化 前編

今回の記事では、今回の災害などで改めて注目されている「寄付」について考えていきます。

まず、諸外国と現状を比較しつつ、日本の寄付文化を構成する価値観の源流にさかのぼります。
最終的には問題点やその解決方法などについてもできるだけ考えていければと思っています。

日本の寄付文化の現状

日本における「寄付」の現状を見てみると、対GDP比や金額では、他の先進国と比較して明らかに低調です。
特に個人寄付の金額が少ない点に特徴があります。

(内閣府ホームページから引用)
米国から比べると、対GDP比(ざっくり言えば、収入に対する寄付の割合)が1/20です。イギリスから比較しても1/7、決して多いとは言えません。


また、「世界寄付指数」のランキングでは、日本は110位から120位の間を行き来している状態です(2017年度は140か国中111位)。

世界寄付指数は、英国のチャリティー団体「Charities Aids Foundation」による世界140カ国に対する調査結果によるランキングです。
調査は、
・困っている見知らぬ他人を手助けしたか
・チャリティー団体などに寄付をしたか
・チャリティー団体などにボランティアとして自分の時間を費やしたか

の3点、つまり寄付行為やボランティアを行ったかどうかについて行われ、その結果を指数化してランキング形式にまとめてあります。

下のデータは2017年度版世界寄付指数ランキングです。
Charities Aids Foundationのサイトから引用しました。

左から
国名、総合順位、3項目の割合の平均
困っている見知らぬ他人を手助けしたか、の順位、全体に占める「行った人」の割合
チャリティー団体などに寄付をしたか、の順位、全体に占める「行った人」の割合
チャリティー団体などにボランティアとして自分の時間を費やしたか、の順位、全体に占める「行った人」の割合
です。


日本のランキングで特徴的なのは、
「寄付をしたか」についてはそれほど低くない(40位台)
のですが、
「見知らぬ他人を手助けしたか」が極端に低い(130位台)
ことです。

ボランティアの項目については、およそ真ん中(70位台)ですね。
先進国の中では低い方です。


これらのことをまとめると、日本は

・見知らぬ人に手助けをする、という文化に乏しい
・寄付をしている人は少なくないが、1人当たりの金額は小さい

ということになりそうです。


現代日本ではなぜ寄付文化が発達しないのか

この根底にはいくつかの要因があると考えられます

まず第1に
日本は戦後、「大きな政府」路線を継続したことにより、「福祉は公助(政府が行うべきもの)である」という意識が定着したこと
があります。

戦後の日本は、国民皆保険や年金制度など、諸外国に比較して「高負担高福祉=大きな政府」の路線を基本的に歩んでいます。

寄付は、民間による所得再配分(富裕層から貧困層への富の移動=平均化)やセーフティネット(貧困層を救済するシステム)の側面もあるため、それが必要とされる社会では発達しやすい、という論理が成り立ちます。

大きな政府は、政府自身が所得の再配分を行い、セーフティネットを構築するため、寄付の文化は発展しにくいということになります。

つまり、所得再配分やセーフティネットの役割を政府が担うのか、民間が担うのかという違いです。
日本の場合は、やはり前者にあたります。他に北欧諸国などは該当します。
後者は、先進国でいえばアメリカ、その他発展途上国の多くが該当するでしょう。

ただ、比較的高負担高福祉の路線を歩んでいるイギリスは寄付が多いことから、この要因が絶対的なものではなく、別の要因もあると考えられます。


そこで第2に
日本は、比較的宗教に対しての意識が緩いこと
を挙げたいと思います。

寄付文化は、宗教的な義務・互助意識によって発展するケースも多く見られます。
例:イスラームや仏教の喜捨、キリスト教の慈善活動など

日本の場合、そのような強く広範な影響力を持つ宗教的な規範に基づいた寄付のシステムが、特に戦後になってからは長らく存在していなかったことは大きいでしょう。


ちなみに、日本の寄付に対する税制面の優遇など環境整備の遅れを指摘する向きもありますが、個人的には寄付指数ランキング上位に多くの発展途上国が含まれていることを考えると、無関係ではないにせよ、文化としての定着度合いの方が重要であると感じます。


日本は昔からそうだったのか

実は、戦前は日本も寄付文化が活発で、
・福祉の多くの部分は寄付で賄われていた
・公教育の施設なども多くは寄付で建てられていた

ことはあまり知られていません。

戦前は、公助による社会福祉はあまり機能していなかったため、富裕層がその役割を担うことは当然視されていました(後述します)。

さらに、富裕層だけではなく庶民の間でも寄付は一般的な行為でした。
よく知られるところでは、寺社に対する「お布施」などですが、それ以外の世俗的な部分でも寄付の文化は存在しました。

例えば、近代でいえば
義務教育である小学校の校舎建設なども寄付で賄われていた
ことは驚きです。

例えば、上の旧開智学校校舎も、寄付で建設されています。
建設費11000円(当時の県令(県知事)の月給が20円、大工の日給が0.2円(20銭)です)の7割を地元(現在の長野県松本市)住民からの寄付で賄っています。
つまり当時の寄付金は大工の日当38500日(およそ105年)分です。

大まかに現在の価値に計算し直すと、建設費総額が6億2000万円くらい、その7割ですから実に4億3000万円ほどの寄付が集まったことになります。

その他の地域でも、公共施設が寄付によって建設されているケースは少なくありません。
よく考えれば多くの寺社も(国分寺などは除き)身分の貴賤はあるにせよ、多くは寄付によって建設されています。


さらに、古代~近代までの日本社会は、民間による互助も機能していました。
寄付とは若干異なりますが、江戸市中の低所得者向けの長屋(集合住宅)では、大家にあたる人物は家賃の取り立てを無理に行わなかったと言われています(大家は下肥として店子の排せつ物を販売して収入を得られたから、ということもあります)。
むしろ、おさめられない家庭には差し入れをするなどかえって世話を焼いたり、借金の保証人になったりと、「大家を親と思え、店子を子と思え」と表現されるような強固なコミュニティを形成していました。
※店子=家を借りている人

ということは、日本における寄付文化は昔から不活発であったとは言い難いのではないでしょうか。


そして、このような戦前の寄付文化を探ると、どうやら古代から受け継がれる2つの価値観の流れに行き当たりそうです。
しかし、さらに辿るとその流れは結局1つの原点にたどり着くような気がします。

ちょっと長くなってきましたので、続きは次回の記事ということにしたいと思います。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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