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コロナの数学科1年生

はじめまして.現在どこかの大学で数学を専攻している大学院2年生です.

ここ2年ほどコロナウイルスが流行っていましたが,私個人としては理論系の大学院生ということもあって社会的にはかなりダメージの少ない人間でした.

もちろん幾許か不便はありましたが.そうは言っても一人でも進められることが多かったので,世間的には苦労をしていないほうだと思う,という意味です.

特にコロナの流行り始めた初期段階では学部生の入校が激しく制限されていたのに対して,研究のために通学する必要がある大学院生はいくらか入校させてもらえる機会をいただけていました.

そうした自分の立場から,コロナの時期に入学が決まった学部一年生,その時期の二年生が受けた影響について話したいと思います.

具体的には,勉強への悪影響について昔の自分との比較によって話したいと思います.

コロナによって学生が不便を被ったのは間違いありませんが,この社会的な状況は誰が悪かったわけでもありませんし,不可抗力と言えばそれまでです.

ここで注目したいのが,その中で発生するデメリットを学部一年生が主張することは大変困難だということです.

何故なら彼ら彼女らは「普通の学生生活」がどんなものかを体感していない為,比較によってその辛さを言語化する,ということができないからです.

よってその比較ができる人間としてどのようなデメリットがあるのか書き出すことには一定の価値があると考えてこの文章を書きました.

また先に宣言しておきますと,リモートの良い部分に関しては今回取り扱うつもりがありませんので,正直に行ってこの記事はフェアではありません.

しかしこの記事はそもそもフェアであるかどうかを気にせず悪い部分について観察することが目的ですので,それを承知の上御覧ください.

○学部一年生の講義を構成するもの

あれは学部一年生の春ごろのことでした.私は数学を勉強するのがとても楽しみで数学科に入ったという,いわゆる真面目な学生でした.

一週間で24単位,つまりおよそ12コマの授業が入っていましたが,一日数学の講義で埋まっているという日はありませんでした.

どちらかというと外国語の講義ですとか,卒業単位数に関わる教養科目が多かったです.

数学の講義は「集合論」「線形代数学」「幾何学序論」「解析学序論」...などの講義を受けていましたが,今思えばどれもその後大学で習う数々の数学の基礎になるようなもので,とても大事な講義でした.

授業外での勉強時間が平均して一日あたり2時間はあったことを思うと,そこそこ真面目な一年生だったのではないかと思います.

サークルにも属していた(いわゆるポケモンサークル)のですが,行くも行かないも自由で週一回だけあるサークルだったので,勉強の息抜きとして非常によく機能していました.

概要としての私の当時の環境はこういう感じですが,真面目な学生にとってのコロナによる影響というのはこうした大枠が崩壊することよりも,その生活の型にあると思います.

例えば集合論の第一回目の講義,講義の冒頭で先生が話してくれたのは大体以下のようなことです.

「学部一年生の諸君,数学科への入学おめでとうございます.君たちはわざわざ数学科という特殊な環境に飛び込んできた稀有な感覚の持ち主ですので,数学を徹底的に基本的な部分から積み上げていく,という取り組みに強く関心があると期待しています.」

「その第一段階として学部一年生には必修科目という形で『集合論』の講義が設定されています.」

「今の所,全ての理論数学で用いられている論理展開や概念は,集合と論理記号という2つの要素で構成されていると言っておおよそ間違いがありません.」

「ですから本当の基礎の基礎としての集合論の習得に励むことは今後あなた達の四年間の生活の質を格段に変えることに成るでしょう.」

「そうは言っても今日はガイダンスですから,この講義の概要の説明であるとか,単位の取得方法であるとかについて簡単に述べて内容に入ります.」

そうして集合論という講義の大体の大まかな役割であるとか内容について話してくださいました.

先ず重要なのが,これを「この世のどこかにいる映像の中の数学者」が話すのと「実際の教室で眼前に佇む数学の専門家」が話すのでは,情報量に差がありすぎるということです.

これは例えば「ディズニー映画を見る」のと「ディズニーランドのアトラクションを体験する」の情報量の違いとも言えますし,「ライブ映像を見る」のと「ライブに参戦する」の情報量の違いと言っても良いです.「テレビで見る海外旅行特集」と「海外旅行」の情報量の違いとも言えるでしょう.

つまり,「自分のくつろぐことが可能な部屋の中で孤独に映像授業を見る」のと「数学を志す仲間たちと共に同じ教室で冷たい椅子に座りながら教室特有の緊張感に包まれて,自分よりも何倍も数学の知見を蓄えた人間の講義を見聞きする」という情報量の違いです.

これは先ず,数学者という生き物がどういった雰囲気の生き物かということを直接観察できるという意味で重要です.

また,冷たい椅子に座るまでの間に,生活習慣を気にしながら早起きをしてご飯を食べ身支度をし,家から大学まで登校して体を十分に動かしたあとにその内容を聞いているという身体的な状態としても重要です.特に太陽光を浴びながら歩いているということは絶対に無視できないレベルで重要です.

更に真面目な学生にとっては,自分が講義中に質問をできることも重要です.

そして自分の疑問に対して即答できる先生の能力の高さを体感し,教員として尊敬できるかどうかはさて置き,数学者として尊敬できる部分を見つけておくということも重要だと思います.

そうして大学の数学コミュニティに溶け込んでいって,自分の数学に対するモチベーションを上げるということです.

また,大学の先生側としても実際の講義に出ることは重要なことです.

というのも,なにかものを説明する時というのは説明をする「相手」が存在します.

通常はその相手に向かって話しかけるわけです.講義形式なのだからそんなことを意識しないだろうと思われるかもしれませんが,これは真面目な学生にとっても先生にとっても重要です.

つまり,講義中に前の方の席で先生の話を聞いて,その内容に頷いたり首をかしげるなどのジェスチャーをマメに行い,なおかつ質問を定期的にすることで,先生はその何人かの特定の学生に向かって話してくれるようになります.

これにより,先生側が困っている学生の顔を見て補足説明を入れてくれるということが発生します.

これができないのは学生としても先生としても大きな痛手です.つまり大学の講義というのは先生のワンマンショーではなく学生と先生で作り上げるものだったにもかかわらず,オンライン授業で学生がカメラに顔を写してくれないとそれができません.

しかも実際の教室では意欲のある学生が前の方に陣取ることを思うと,先生側はその学生の座席の配置で語りかける学生を絞ることができますので大人数に対する話し方をよりコントロールしやすくなります.

以上が「すぐに思いつく」「教室内での」メリットです.

○学部一年生の日常を構成するもの

さて集合論の講義が終わりました.次は線形代数の講義です.教室を移動しましょう.この流れの中で重要なことがあります.それは友達との「会話」です.

俺「いや一時間半の講義結構集中力やばいわ」

友「それな」

俺「てか次なんだっけ?」

友「たしか線形代数じゃね?教室は・・・」

俺「時間割表見ないとまだわかんないわ.どこ?」

友「えーと・・・この建物の三階っぽい」

俺「おっけー行くべ」

友「てか集合論どうよあれ」

俺「数学の言葉が全部集合論で書けるとか言ってたじゃん」

友「言ってたね」

俺「流石にスケール凄いよな」

友「まあそうだけど,あそこまで基礎からやり直すってだるくね?」

俺「それはそう」

友「てか論理記号の真理値覚えれた?」

俺「『かつ』『または』と『否定』は良いけど,『ならば』がまだ覚えられてないわ」

友「わかる」

俺「真理値表の証明もあれ凄いけど素朴すぎてビビるわ」

友「それな」

 とかいう会話をしながら教室移動します.

この後半の会話が特に重要で,講義内容の自分の理解度に対して周りの反応がどうか,ということを比較できます.

講義内容が話題になりますし,その内容に対する感想が聞けて自分の中にいろいろな視点を取り込むことができるます.

そして何より,この会話をするために「通話をつなぐ」という工程が挟まらないことも大変重要です.

その会話ならオンラインでもできるじゃん,ではないのです.学部一年生のうちは同じ必修の講義を取る仲間がいますので,その仲間と一日中行動をともにすることに成ることから一日中同期の人間と数学の雑談ができる,ということが重要なのです.

線形代数の講義が終わったあとは昼休みになり,学食まで歩きます.この間も講義の内容に関する雑談ができるうえ,陽の光を浴びながら歩くことができます.こうしたことが重要だと言うことです.

更には学食につくと今度は学食に関する雑談ができます.

友「値段あたりの摂取カロリーが一番高いメニュー調べてえええ」

俺「自由研究じゃん」

友「こういうメニュー見ると気にならん?」

俺「ならんわwww」

友「どっちにしろコスパいいメニュー探さないと金が辛い」

俺「あー一人暮らしだと大変やな」

友「丼物が3パックなのディスアド過ぎる」

俺「パック?」

友「遊戯王3パック分」

俺「金銭単位が独特過ぎるだろwwww」

私の場合は共に行動していた友人に遊戯王ユーザーが居たのでこんな会話になりましたが,こういう中身があるようでない話をしながら,学部一年生にとってはかなりハードな「集合論」と「線形代数」で溜め込んだ疲れを解消できるというのは重要です.

しかも席に付けばまた線形代数の話をするわけです.

友「ベクトル空間の定義あれ理解できた?」

俺「いやあれ一発は無理でしょ.なにあれ」

友「どう考えても学部一年生がやることじゃないwww」

俺「あんな定義の仕方するのどういう気持なんだ」

友「スカラー倍はわかるけど体ってなんなのあれ」

俺「体は要するに係数じゃなくて?」

友「いやそうなんだけどそうじゃないじゃん」

俺「そうね」

友「実数と複素数ぐらいしかなくね」

俺「体?」

友「そう」

俺「まーーー流石に名前ついてるぐらいだしそんなこと無さそうだけど」

友「でもすぐ思いつかなくね」

俺「それはそう.三限終わったら聞きに行かね?」

友「え,どゆこと」

俺「いや,体の例が他にどんなのあるかとか」

友「マジ?」

俺「マジ」

先生に実際に会いに行けるというのはとても重要です.見ず知らずのどこかの大学教授にメールで質問をしに行くのではなく,自分の講義を担当していた先生に突撃するのですからそんなに大きな不安もありません.

これが実際にメールを書くとなると書式もどこにメールしたら良いのかもいまいちよくわかりませんし(シラバスに書いてあるというのは大学に属して長くなれば既知の情報かもしれませんが,案外高校から上がりたての学生からすると共有されていない情報です)質問をするためのハードルも高いです.

特に新たな学問に踏み出したばかりの学生にとって,自分の疑問を適切に言語化できる能力は標準装備ではありません.

こうした会話を通して数学に対する感覚を共有していくわけです.

○最後に

ある意味で普通の学生生活を書くことで,相対的にリモート授業のデメリットを明らかにするような文章になったかと思います.つまり学生生活から失われた要素というのは,上記のすべてです.

しかもこの文章はかなり即興で書かれているものですので,当然ながらまだ書いていないようなデメリットがゴロゴロと出てくることも目に見えます.

この文章がなにかの役にたつかどうかは知りませんが,いつか誰かがコロナの与えた影響について調べたときに少しでも参考になれば幸いです.

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