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∃ハチミツ s.t.

   ∃ハチミツ s.t.
                          もこmoko059

     1

 大学の向かい側にある行きつけのカフェ。そこは二階建ての古い木造建築で、二階が店主の住居、一階がカフェになっている。店内はこぢんまりとしていて、入って左右の壁際にソファーと低いテーブルがそれぞれ一組ずつあり、他は奥のカウンター席のみだ。左のソファーがない部分の壁際には本棚があり、文学や哲学関連の書籍がたくさん並んでいる。店の至る所に毛玉がいくらかついたパンダのぬいぐるみが居て、店内に黒砂糖の匂いが立ち込めている。知る人ぞ知る、文学部の人間がたむろする空間だ。私は数学科の学生だから空気的な矛盾がある。それでも私がこの店に訪れるのは、前に日本文学に真剣に取り組んでいる友人に招待されたことがあり、それ以来友人と共に定期的に訪れているためである。
今日も三限が終わったあと友人とカフェにやってきた。エアコンによる冷気と外気との温度差に鳥肌を立てながら、カウンター席の右端の席を二つ確保して、足元にリュックを置いた。
「店長、パンケーキ二皿お願します」
 誰もいないキッチンに向かってそう言うと、あいよ、と奥から声が聞こえてきた。すると店長がスッとやってきて準備をし始めた。それが店長のいつものやり方だ。いつか店に無言で入ってきた人に本だけを盗まれてしまわないかと心配している。
「俺はまだ大学の数学の文化に慣れていないから、慣れるまで我武者羅に数学の勉強に取り組む必要があるんだ」
「その文化って何者よ」
「表記法。詳しいことは省くけれど、数学は論理記号と集合っていう二つの武器を使ってあらゆる事象を記述するらしいんだよ」
「らしいって、少し弱腰な言い回しだね」
「うん、まだ学びたてだから、先生からそう言われてはいるものの、確信を持てていないんだよ。恐らく沢山触って質感を感じ取れるようにならなきゃいけないんだけど、いやあ、難しい」
 私は多くの思考が言語ベースだから、こうやって悩んでいることを言語に落とし込むことは一種の習慣だ。これが文学の友人と気が合う所以かもしれない。
「自由に思考できてない感じか」
「自由に――うん、確かにそんな感じかも」
 自由に、という言い回しが腑に落ちた。友人は言葉に敏感な人で、いつもこうして意識の外側にある実際の状況に適した言い回しをしてくれる。友人は納得したように相槌を打つと、カウンターテーブルの隅に追いやられている布巾を手に取って、机の上に少し残った汚れをこすりながら話し始めた。
「それならアタシも覚えありまくりだわ。場面を選択すると何か別に起こってることが消えちゃうんだよ。文章媒体を使いこなせる感じがしない」
「自由に使いこなせたらつまり神作家では」
「いやそれな」
 新しいことに飛び込んだ自分達にとって、自由度が得られていないという感覚は共通した問題だ。キッチンからパンケーキを焼く音が聞こえてくるけれど、店内が元から甘い匂いに包まれているせいで、美味しそうな匂いがするという類の話になる事はない。私はそのことを状況に対する構造の面で楽しんでいる。店長はパンケーキから一瞬目を離して、ファミレスによくあるようなガラス製の細長いコップに水を注いでこちらに寄越してくれた。それを我々が受け取った後、友人は話を続けた。
「自覚的に、選択的に言葉を使うようになって以降、普段自分が使わない言葉を使う全ての人が参考資料になったんだよね。お前もその一人よ。」
「え、マジで」
「マジマジのマジ。私の周りには数学する人間なんざお前しかおらんからな、独特な言い回しが散見されるで」
 勉強させていただいているこちらとしてはとても嬉しい。自分が人の役に立っているかどうかという悩みを抱えている類の人間ではないのだけれど、役立っていると言われて嬉しいのは道理だ。
「マァジか、そりゃ嬉しいね。数学の人間っぽい言い回しが何なのかまだ自覚できてないわ」
「まあそんなもんじゃね」
「そんなもんかあ」
 友人の言い方に従えば、自分の言い回しを自覚できるようになったらいいなと思う。
友人は汚れが取れて満足したのか、布巾をまた隅のほうに追いやった。
「言い回しの勉強で最近講演会とか行くんよね」
「講演会って、なんの講演会よ」
「作家さんを招くタイプの講演会があれば行けるだけ行ってる。ほかのジャンルの講演会でも、近い範囲で聞きに行けるものは出来るだけ聞きに行ってるよ」
 自分の大学はいわゆる総合大学なので、そういうやり方は賢いと思った。自分もできるだけ色々なジャンルの人々に会おうと思っているけれど、勉強との時間的な都合の管理が難しいと思っていた。講演会なら予定として組み込むことになるから、数学をしない時間を指定できて良いかもしれない。
「ちなみに収穫の程は」
「なかなかいいね。最近だと、生物の人が、生物は単体だと再現性が取れないから複数の個体に対して実験を行って傾向を見る。みたいなことを言ってたのが面白かったなぁ」
 物理は再現性を重視し、化学はそれに加えて物質の成分的なピュアさを重視し、生物は数をこなして統計にかけて傾向を見る――というのは理系の人間の共通認識だ。その部分を抜き出しているのは流石文章の人間だなと感心する。
「その講演会行くの、今予定してるモノがあれば俺も行きたいわ」
「お、いいね行こう行こう。直近だとこれかな」
 友人はスマホを操作して私に手渡した。画面には他大学の『児童文学会定期講演会』の宣伝画像が映っている。
「児童文学ってなに」
「うーんと、児童文学はそのまんま児童を想定して作られた作品のことだけど、分かりやすい例で言えば絵本なんかがそうだね」
「なるほど。そこで言う児童の定義はどこまで?」
「一番高年齢でも十一歳とかかなあ。あたしは専門じゃないけど、それぐらいの印象があるわ」
「結構広いね」
 本を児童文学という括りで見たことはなかった。やはり知らないジャンルがあるものだなぁ、とぼんやり思った。
「よっしゃ行ってみよう。何考えてるか全然分からんジャンルの人の話聞こう」
 そう言うのとほとんど同時に分厚いパンケーキが大きな皿に乗せられて運ばれてきた。ホイップクリームとハチミツがたっぷりかかっている。
「ありがとう店長、いただきます」
「いただきます」
 そういうと店長は、またキッチンの奥へスッと姿を消した。
ナイフとフォークを手に取り、一口サイズに切り分けホイップクリームをたっぷりと乗せて食べる。物理的に甘い空間に包まれて、高カロリーの背徳感を味わう昼下がりだった。

     2

 講演会に行く約束をしたのは夏休みに入る直前で、開催日そのものは夏休みに入ってからだった。開催場所は都心の他大学で、普段使わない電車で大学に向かうことに新鮮味を感じた。友人とは現地集合だ。駅から大学にかけての道のりは長い坂道になっていて、太陽の日差しとコンクリートからの照り返しがいくらか体に堪えた。大学に到着したが講演会まで時間があったため、学食を利用してみた。自分の大学の学食と比べて明らかにクオリティが高いことにしょげつつも、おいしさに満足して、講演の開かれる講堂へと足を運んだ。講堂へ入ると既にお客さんや主催している児童文学会の学生がいた。客層は子連れの母親や児童文学に興味があるのであろう高校生や大学生、大学教員らしき人とに大別できた。私は講演に来る客層を予想していなかった為、普段遭遇しない人々を見て内心盛り上がった。友人が既に来ていないか講堂内を見回したが、まだ居ないようなので一緒に座ることを想定して隣の空いている席を探して確保した。児童文学会の学生たちは、作家の方がまだ到着していないことに焦っているようだった。私はその作家の方が時間ぴったりに来るタイプの人なのだろうなぁ、と傍観していた。子供たちは大人しくしている――というより、保護者に大人しくさせられていて、少し不服そうな表情をしている。その従順な様子から、私立の幼稚園から小学校受験をさせられる類の子供たちかもしれないなぁと推測した。そんなことを考えていると遅れて友人が到着して、私の姿を見つけると最短距離でこちらへやってきた。席へ座るなり友人が口を開いた。
「先生まだ来てないみたいじゃん」
「時間丁度に現れるタイプだろうとか勝手な事考えてたわ」
「企画側としてはそれだとたまったもんじゃないだろうけどね」
「第三者万々歳やな」
 友人はリュックを開けるとその中からB4ノートと筆箱を取り出した。ああその手があったか、と思い、自分も筆記具をリュックから取り出した。私のこの筆記具は暇な時に数学をするために持ち歩いていたものだった。
講演会が始まるまでの間、友人と子供時代の話をした。会場に子供がいる為その話になった。大学受験が始まって以降子供と触れ合う機会など無かったので、子供の集団を見ること自体が久々だった。
それから少しして作家の方が会場に到着したようだった。それが講演開始予定時刻の五分前ぐらいのことだったから、開催側は大変だな、と声には出さない労いの言葉が頭によぎった。そして数分後、児童文学会の学生が簡単な挨拶と関係者各所へのお礼などをし、作家の先生が登壇した。古めかしい丸眼鏡をかけた白髪で強面のおじいさんだ。背筋がしっかり伸びていて、年齢を感じさせない佇まいをしている。
「ご紹介に預かりました阿部です。今日はお集まりいただき有難うございます」
 強面な外見と裏腹に声のトーンが柔らかく、それにつられて会場の雰囲気も柔らかくなった。阿部さんはいくらか簡単な挨拶を述べた後、絵の話をし始めた。
「みなさんは"ウサギ"と"うさちゃん"の違いについて考えたことはありますか?」
 何を言っているのか要領を得られず、しかしこの話し方だと次にその発言の主旨が来るのが道理だな、と変な先読みをした。すると阿部さんは黒板の粉受けから白チョークを手に取り、黒板に絵を描き始めた。ミッフィーの様なウサギの絵だ。
「これが"うさちゃん"。で、こっちが――」
 そう言うと今度は、あまりにも写実的なウサギの絵を描き始めた。肉食動物をいち早く感知するために楕円形の目が顔の側面についていて、発達した耳に浮かび上がる血管が透けて見えているように赤いチョークで耳に血管を描き足した。これが子供たちに大ウケで、大人達は面白さ半分感嘆が半分といったところだった。その反応を見て阿部さんが話し始めた。
「私は元々動物園の職員だった為、ここで言うウサギの側(がわ)を長年見てきたわけです。絵本作家を始めるにあたり、この二つの差をどう扱っていくかというのはひとつの課題だったわけであります」
 そこからの話題は動物園の職員としての感覚と絵本作家としての感覚をすり合わせる話から、単に動物に関する話まで様々な話を聞くことができた。それらはほぼ普段自分が意識しないことに関する話だった為、当初予定していた言葉の勉強はもちろんのこと、知見が広がる良い機会となった。一時間半ほど話を聞いた後、阿部先生に対して質問をする時間が設けられた。そこで何か質問をしようと思ったが、幼稚園ぐらいの年代の子供たちの強烈な挙手の嵐に、私の挙手などいとも簡単に封殺されてしまった。
「はいそこの君!」
 最初に指された幼児は嬉しそうに質問を投げた。それが、自分を思考の渦へと叩き落した。
「シロクマもハチミツがすきですか?」
 自由度、という言葉が私の中を突き抜けていった。新しいことに飛び込んだ自分たちにとって、自由度が得られていないという感覚は共通した問題だ。今目の前で、その共通問題に最も囚われていない発言が飛び出した。あの幼児はまだ扱える言葉の範囲こそ乏しいが、乏しいが故に誰よりも自由に質問をすることができた。この考えが正しいかどうか分からないが、少なくともこの瞬間の私にはそう思えてならなかった。なにより、私から自発的には思いつけないであろうその質問の内容が、良いものに思えてならなかった。もちろんあの子は良い質問と悪い質問の差について満足に思考を巡らした事がないだろうし、そんなことを考えて質問した訳ではないであろうことも分かっている。しかし良い質問は良い回答よりも思いつかない物だと直感している私にとって、その質問ができることが羨ましく、また信じがたいことでもあった。私はそれ以降の阿部さんの話があまり耳に入らなくなるぐらいに打ちひしがれていた。言葉が思考の自由度を奪うとすれば、想像力とは何か? 語彙力と思考の相関は? 残りの講演時間はそうしたことに思いを巡らせる時間と化してしまった。この講演のあとの視覚的な記憶はほとんど残っていないが、帰路にて友人とそれらのことについて語り合ったことは覚えている。その日の夜、布団の中で私はじわりと忍び寄る敗北感と、肺の辺りが重力に逆らえずに重くのしかかってくるような深い疲労感に包まれて眠りの底へと沈んでいった。

     3

 自由度を手に入れたくて、夏休み中は数学に没頭していた。数学の文化に慣れる為に。松本幸夫先生の『多様体の基礎』を読み始めた。内容はとても丁寧だが、そのくどさからラブレターと呼ぶ人がいると聞いたことがある。それでも数学の文化に慣れきっていない私はこの本を読むのに大変苦労を要した。
そんなある日、私は学内にある理系棟でクーラーを浴びながら勉強していた。学内で勉強すると、昼ご飯を何にするかという問題が必ず浮上する。そこで夏休みに入って以降行っていない、あのカフェに行ってパンケーキを食べようと考えた。夏休みの大学はほとんど人がいない事と、日本人に対するある種の信頼感から、外に出るときは貴重品以外をすべて大学内に置いて行っていた。数学科の先生はそういった行いに対して寛容だ。感情や習わしよりも、合理性や気楽さを取る人の割合が高い。それゆえ大学の事務の人とは話が合わないことがほとんどだ。よく考えたら数学書は洋書でなくとも一冊あたりの平均価格が三千円を超えるから、貴重品と言えなくもない。しかし数学科以外の人間がやってきて数学書を勝手に盗んでいくだろうか? そうは考えにくい。財布とスマホを手に取り、並木の陰を利用して涼しさと歩行距離の短さとのバランスを考えながら炎天下の学内を歩いてゆく。校門からカフェまでの間は日影が全くないから、冷気と黒砂糖の匂いを求めて耐え歩くしかない。カフェに着くといつもの右奥のカウンター席に座り、そしていつも通りキッチンに向かって声をかけた。
「店長、パンケーキ一皿お願いします」
 いつもなら友人と話しながらパンケーキを待っている時間も、今回に限っては持て余してしまった。相変わらず端に追いやられている布巾を手に取って、カウンターテーブルを軽く拭く。するといつもスルーしていた本棚が目についた。席から立ち上がって本棚の中を見ると、意外と絵本もたくさん置いてある事に気づいた。しかし冷静に考えてみると、こんなにパンダのぬいぐるみがたくさん置いてある店の本棚に絵本がない方が変かもしれない。そうか、日本文学専攻の友人と話をするためにこのカフェに来ていたから変な勘違いをしたんだなと、その違和感は自己解決された。そしてもう一度並んでいる絵本を見て、講演のことを思い出していた。
「パンケーキできたよ」
 キッチンの方を見ると、店長があのパンケーキを私の席に置いてくれていた。
「あ、ありがとうございます。いただきます」
 席について食べようとすると、パンケーキにかかっているハチミツが目についた。私は講演会で回答を聞いたから知っているけれど、店長に質問をしてみることにした。
「店長、シロクマもハチミツが好きだと思いますか?」
 店長はきょとんとこちらを見て、少し考えてからこう言った。
「そもそも普通の熊って、そんなにハチミツが好物なんかね?」
 確かに。そう返すと、店長はいつものように店の奥にスッと消えた。私はナイフとフォークを手に取りパンケーキを切り分けると、山盛りのホイップクリームとハチミツをつけて口の中に放り込んだ。講演で出会ったあの幼児に密かな感謝を抱きながら、数学への決意を新たにするのだった。

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