見出し画像

【映画感想文】【君たちはどう生きるか】「わけがわからない」の価値



観る前のこと

7/14公開で、どの道、夏休みが明けたら観に行こうと思っていたのだけど(たぶん子供と一緒に見るのは色んな意味で難しいだろうなと思ったため)、米津玄師インタビューをネットで見て、ああ これはもう絶対観ないと駄目だと強烈にプロモートされる。

この人のことばは、私の心に刺さりまくる。

『なんてものを見てしまったんだ』という感覚ってすごく大事な気がするんですよね。音楽を作る人間の視点として話しますけど、創作意欲の源泉というか、根っこにあるものは、そういうトラウマ的な体験から生まれるものだと思うんです。その衝撃から翻って、自分の輪郭を意識し出すような。

孤独と熱意が人間性を育む――米津玄師が宮﨑駿から受け取ったものhttps://news.yahoo.co.jp/articles/40534ba3ba6013aaf007152bd4f94822712ad802?page=2

これは、彼が小学1年生でもののけ姫を観たときのエピソードから。

今の時代って、子供にはなるべくショックを与えないというか、「悪いもの」をできるだけ排除しようとするし、何かと「傷つく」「傷ついた」という言葉がさかんに使われて、傷つくことそのものが排除されるべきだ、という風潮があるのかな、と感じていて、私も知らず知らず、誰かを傷つけていないかということをビクビクするようになっているところがあったけれど(いや、もちろん傷つけるのは良くないことなんだけども…)

そんな社会が辿り着く先って、もしかしたら「何も感じない」人間の錬成なのかもしれん、、、と、このインタビューを読んで思った。

自分にしてみたって、人生での出来事(ポジティブ、ネガティブ両方)や、トラウマチックな物語に出会うことで、何かを感じて、考えて、ここまで歩んできた、私の輪郭を作ってきたのではないか。占い師がやれているのも、たくさんのものを経験してきた、感じたストックゆえだ。

映画感想文

ここからは、映画そのものの感想を。

「わけがわからない」

ストーリーを追っていくと、まあそういう感じで、後半のジブリ作品のごった煮というか、千と千尋、ハウル、ポニョ、風立ちぬ、のエッセンスがいろんなところに踊っている。私はこれら全部めちゃくちゃ好きで死ぬほど観てるけれど、これらの「わけのわからなさ」についてこれる人なら行ける。と思う。

でもね、翻って、ジブリの一番最初の「風の谷のナウシカ」で言いたかったことが、ど真ん中のテーマなんじゃないかな。それも、映画じゃなくて漫画の方。(漫画は映画のその後のストーリーが描かれている)

米津さんのインタビューにも紹介されている、『ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ!』というナウシカの台詞。墓所の主との対話が、宮崎駿がいちばん言いたいことなんじゃないかなあ。

私がナウシカ漫画を読んだのは大学生の頃。正直、その時は台詞の意味がよくわからなかった。いい事は良くて、悪いことは悪くて、命は光そのものだと、墓所の主のようなことを考えていたから。でも今はナウシカのいうことがよくわかる。

生きる力っていうのは、ぬくぬくと守られた環境を作って、強固にしていく知恵、方策のことではなくて、どんな場所で何があっても輝く、その強さ、尊さのことをいうのだ。

ジブリ作品は、一貫して、そういう人間の強さ、尊さを描いている。そうであってほしいという、宮崎駿の祈りと、勇気づけで出来ている。

「この世は生きるに値する」

そんな宮﨑駿のメッセージが炸裂するのは、物語の最後。

特に、子供産んだおかあさんは刺さるんじゃないかな・・・私はもう、全部それに持っていかれたな、くらいの感じ。米津玄師の主題歌の歌詞のさいごも、ここのエピソードに沿っていて、聴く度に泣いてしまうよ。


深い感想をシェアできる友達がいる幸せ

主人と2人で観に行ってるんですけれども、まず、観終わったあとに、あーじゃない、こーじゃない、と同じような視点で感想が言い合えるの、最高。

タイトルを「友達」としたけど、この点はまじで主人、最高の友達。

アーティスト気質の人で、私にジブリの魅力をたくさん教えてくれたのも彼だし、あんまり常識の枠でものを見ない人なので、喋ってて面白い。

「常識の枠」について、たとえばのサンプルを上げるけど、ポニョを観て、「親を名前で呼ばせるリサはおかしい、そうすけを放って一人で出かけるなんて育児放棄だ」という感想を10年くらい前にその辺の人から聞かされて、物凄くテンションが下がったことがあって、まあ、そういう現実的な視点、決まった枠から何かをジャッジして作品に物申す態度、ということです。

そういうのをしたり顔で分かった風に言う人、私は好まないんだけど、主人はそういうつまんないことは絶対に言わないので、良い。

色々話したけれど、「あれさ、墓の入口を開けた理由が、『ペリカンに押されたから』っていうの、なんか面白いよね」「うん、面白い」「大した理由がないのがいい」ってしばらく言ってて、そういう意味わかんないところに着目するとこも、なんかこの人ならではだなと・・・(これは私の中ではつまらなくない)

そしてもちろん、他のお友達も続々、お店に来てくれた折に喋ってます。中でもタロットの視点持ってる人との対話は本当に熱い。

なぜなら、タロットは、生きることと死ぬこと、人生のサイクルすべてを、考察対象にしていて、「人間とはなにか」というテーマが詰まっているから。

誰かが決めた「良い」「悪い」「常識」じゃなく、一体、人間ってどういう存在なの?ということすべてを真摯に考える人、わたしは、そういう人が好き。それが本当の知性だと思ってる。(もちろんね、タロットやってなくてもこの視点を持っている人はたくさんいる。宮崎駿も、米津玄師も、そう)

「わけがわからない」の価値

説明されたもの、理屈が通ったもの、把握できるものしか受け取れない、受け取らない、という態度は、情報化社会の発展とともに、だんだん広がってきている気がしている。

情報が多いことは価値だけど、ジャッジする枠の多さ、言葉の多さで「わかった気になる」のは、知性、感性の意味では退化なのでは、と思う。

「カテゴリーにテンプレートを貼り付けて、言外に出ようとしない感情的劣化が進んできた」

という言葉を、先日のnoteでシェアしたけれど、これは、雑誌の「君たちはどう生きるか」の映画感想文特集の中の、宮台真司氏の言葉で、最近の若者を、大学講師として35年見続けてきて、感じていることなのだという。

私が言う「わけがわからない」は、おそらく、ここでいう「言外」と同義だ。

言葉を尽くせば尽くすほど、それの本質から外れていく気がするけれど(苦笑)、人生で、よくわからないもの、トラウマチックなものに出会うことは、自分や世界の輪郭を見る上で、とても意味のあることなんじゃないか、と、この映画そのものや、諸所のひとの言葉を読んで、思う。

映画の話ではないけれど、近所のアーティストさんとお店で話した折に、旅の話になった。彼女は、学生のときに旅行で訪れたインドで、人生観が変わったのだという。インドには、「わけのわからないもの」が、たくさんあったと。

もちろん、これはインドをディスってもいないし、称賛してもいない。ただ、日本で生きる私達の常識では、理解を超えるもの、受け入れがたい風景がそこにあった、ということなのだと思う。(だいぶ前の話なので、今はもしかしたら、少し違うのかもしれないけれど)

彼女はそれを自分の意識からシャットアウトはしておらず、大切なものとして、持ち続けているようだ。その時に出会った日本人のお友達とは、まだ連絡を取り続けているんだって。

私は、「わけのわからないもの」にどれくらい出会ってきたかなあ? ともかく、こういうことを考えるくらいだから、まだ感性は死んでいないと、信じたい。

そして映画の話に戻って

というわけで、「感性で受け取りにいく映画です」というのが、映画の紹介。映画館の大スクリーンのほうが、やはり受け取れるものが多いと思うので、気になる方は、ぜひ上映しているうちに観に行ってほしいです!

映画ストーリーにはほとんど脇にしか出てこない、「君たちはどう生きるか」の原本も、また読み直したいなあ、と思わされました。漫画は読んだけど、小説にも手を出してみよう。


この記事が参加している募集

映画感想文

記事がお役に立ちましたら、お気持ち分サポート頂けると嬉しいです(*^^*)