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【短編】 深夜の対話(後編)改訂版

※この記事は物語の後編なので、
先に前編を読まれることをお薦めします。
https://note.com/mokkei4486/n/n2b5c0c272dfa

 獣の大半は火を恐れるが、稀に、それを恐れぬものが居る。よく調教された犬や軍馬、輓獣ばんじゅう、あるいは……野にある熊である。特に、成熟した雄熊は、人が焚く火を恐れない。野山や川に在るものだけで餌が足りなければ、彼らは平然と人家を荒らす。食糧庫やゴミ置き場を漁り、時に人を喰う。

 今、私の目の前に居るのは、たいそう立派な雄熊である。かつて私を蹴った輓獣に比べれば小さいが、人よりは遥かに大きい。
 その熊は焚き火の向こうで、何やら虚ろな眼をして頭を揺り動かしながら、鼻をひくひくさせている。煙の匂いを嗅ぎながら、目の前の私に戦う意思があるかとか、私の後ろにある自動車が動き出すかといったことを、確かめようとしているのだろう。
 幸いにも、今は腹が膨れているのか、私を喰う気は無さそうだ。

 襲ってくる気配が無く、何より、今この手中に在る拳銃の一撃で絶命させられる相手ではない。下手に攻撃をすれば、返り討ちに遭うだけだ。これほどの無駄死にはない。
 私は、静かに撃鉄を戻した。

 私が山林で熊と相対するのは、これが初めてではない。駐屯地の近隣で鉢合わせたこともあれば、赴任先で遭遇したこともある。
 しかし、捕らえて食料にしたことはほとんどない。熊をたおして捌く時間があるなら、侵入者に目を光らせておくべきだ。(当時の私達の任務は、終わりのない国境警備だった。)

 熊に出くわしたら、無闇に抗うのではなく、熊自身の意思で「お帰り頂く」のが最良である。
 熊というのは、基本的には警戒心の強い生き物だ。彼らは、火を恐れない豪胆さがある反面、大きな音を嫌う。鳴り物や自動車、大砲の音で、追い払うことが可能である。また、彼らは蛇を ひどく恐れるため、落ちている紐に驚いて逃げ出すこともある。
 しかし、万が一、人のほうが先に背を向けて逃げ出せば……彼らは、迷わず追いかけてくる。彼らの認識としては「己の姿を見て逃げ出す獣」は【餌】なのだ。

 私は、目の前の「珍客」に、あえて声をかけてみる。
「よぉ。……どこかで、ゴミを漁ったか?ひどいにおいだぞ……」
私が話しかけたからといって、熊は別段 動じない。むしろ、地面に伏せて休みそうな気配さえ見せている。火の側は暖かくて心地が良いのだろうか……。
 私は、熊の顔から目を離さぬよう、それでも決して眼は見ないように、注意して後退し、停めていた車に近寄った。(ほとんどの獣にとって「見慣れない相手と目が合う」ことは「攻防の始まり」を意味する。)
 扉に手が届いてからも、用心して、開ける時を見計らう。

 意を決して扉を開け、素早く車の中に逃げ込む。間髪を入れず、大切な【盾】とも言うべき扉を閉める。
 私は、可能なら眠っていたサーヤ達を起こしたくはなかったが、ある程度の力を込めないと、自動車の扉は閉まらない。申し訳ないと思いつつ、バタンといわせて閉めてから、後ろを振り返ると、やはりサーヤとドンは起きていた。一足先にアイクが車内に逃げ込んでいるので、その時の音で起きたのかもしれない。
 外の異変に気付いているドンは吠えたくて堪らないらしいが、助手席に居るアイクが後ろを向いて背中を撫でてやり、静かにさせている。不用意に妹を怖がらせたくないのだろう。
 ドンを宥めていたアイクが、小声で私に尋ねる。
「カンナ!あれは、何?」
「雄の熊だ」
「どうするんだ!?」
「……車を動かそう」
私は、言うなり鍵を回してエンジンをかけ、ライトを点けて、その光が熊のほうを向くようにハンドルを回した。
 寛ごうとしていたところを突然まばゆい光に照らされて、熊は驚き、たじろぐ。
 私は、あえて大きな音を出してエンジンを吹かしてみせてから、ぶつかる寸前まで距離を詰めた。小心者の熊は飛び上がり、転びそうになりながら後ろを向いて、一目散に漆黒の森の中へ消えていった。

 熊の尻が見えなくなっても、私は樹々の合間を照らし続ける。「戻ってこない」という確証は無い。他の何かが現れる可能性もある。
「凄い……!」
アイクが、小さな声だが興奮気味に言った。私は、安堵の溜め息 混じりに「大人しい奴で良かった……」と応じる。
 熊にも、性格というものがある。もし、あれが気性の荒い奴だったら、あるいは空腹だったら……私は危なかった。
「俺、カンナのお父さんに会えたら『カンナは熊よりも強い』って話してやるよ!」
彼は、声を低めるのをやめた。
「……強いもんか。戦っちゃいない」
 アイクは何か言いかけたが、気が急いていた私は「あの火を消してくる」と言い残して車を降り、焚き火や煮沸道具の後始末を始めた。
 やがてアイクも降りてきて、何も言わずに私を手伝い始めた。
 聡明な彼は、私が火を消して再び車を走らせようとしていることに気付いているようだ。

 後始末を終え、全ての荷物を車に積み終わったら、アイクと私は再び車に乗り込む。
 サーヤは、ドンの頭や背中を撫でてやりながら大人しく待っていた。
「また、しばらく走るよ。2人は、私に構わず寝てくれ。……眠いだろ?」
しかし、アイクは「眠くない」と答え、サーヤも同意するように頷く。
「そうか?……まぁ、眠くなったら、寝ればいいさ」
 私は、念入りに周囲を確認してから、加速板アクセルを踏んだ。


 森の中とはいえ、人が整備した車道は在る。ただ、真夜中なので、自分が運転する車の他には何も走っていない。また、ラジオは「休止」の時間帯で、スイッチを入れても雑音しか鳴らないので、とうに切ってある。
 それでも、アイクは興奮が冷めやらないのか、ずっと起きている。後ろの座席でも、ドンが足元で機嫌良さげに息を弾ませているので、サーヤも起きているに違いない。私達の会話に、興味があるのだろう。
 やがて、話題は熊のことから、私が居た軍隊に関することや、私の家族のことへと変わっていった。かつて私が従事していた国境警備についてはあまり関心を示さなかったアイクが、私に姉が居ると知った時は、何故か非常に興味を示した。
「どんな人!?」
「まぁ、そうだなぁ……一言で言えば『変人』だ。男よりも時計が好きだし……三度の飯より、修理が好きだ。だから友人も少ない」
 アイクは「酷い事を言うなぁ……」と呟いた後、次の質問をした。
「幾つ違うんだ?」
「歳は同じだよ。双子だから」
「双子!?じゃあ、そっくりなのか!?」
「いや。私達は、全く似ていないよ。見た目も、性格も」
「そうなのか?」
「そういう双子も居る」
正直、私は姉のことが好きではない。このまま姉について語り始めたら、悪態ばかりになってしまうだろう。これから彼らを連れて行く家に、その姉が居るのだから……細かいことは、伝えないほうが良いだろう。
「カンナは、お姉さんと仲が悪いのか?」
気付かれたか。
「まぁ……そうだな。良くはないな」
「そうか……」
アイクには大人顔負けの分別がある。自分が知りたい事でも、相手が話したくなさそうなら潔く諦める。短い付き合いの中でも、私は そんな場面を何度も見てきた。
「なぁ。別のことを訊いてもいいか?」
私は、一旦は「早く寝ろよ」と応えたが、彼がまた「眠れないんだ」と言うので、質問を聞いてやることにした。
「どうして『守衛』になりたいと思ったの?」
「ん?……そうだなぁ……」
幼い頃の記憶を、たぐり寄せる。
「最初のきっかけは、父が仲間と心底楽しそうに働いているのを見て『羨ましい!』と思ったからなんだ」
「きつい仕事なのに?」
「それでも、父さん達はいつも笑っていたよ。みんな、ガウス先生からは信頼されていたし、先生はほとんど留守だったから……自由な時間も、たくさんあったんだろうな。自分達で鳥を撃って、その肉を食べながら酒盛りまでしていたし……」
「良いのかよ、酒なんて!」
「酔い潰れるほど飲まなければ良いのさ」
酒盛りと言いつつ、飲んでいたのは父を除く2人だけだ。厳格な父は、休暇中にしか酒を飲まない。
「子どもの頃は、天文台に遊びに行くのが大好きだった。……でも、先生と『坊ちゃん』が来ている間は、連れて行ってもらえなかった。お二人の邪魔をしてはいけないからって……」
「その『坊ちゃん』ってのが、ラギのおっさんか!?」
「まだ『おっさん』なんて歳じゃないぞ」
「そういえば、歳知らないや」
「ラギさんは28、私は26だ」
「ふーん」

「……2人は結婚してるのか?」
「なんでそうなるんだよ」
「えっ……俺達の母ちゃんは、19で結婚したぞ」
単に、私が質問の意味を勘違いしただけか。
「海沿いの人は結婚が早いという話は、本当なんだな」
この国では、何故か昔からそうらしい。特に漁師や船乗りは結婚が早く、地域によっては15歳前後で婚約し、両者が18歳になるのを待って正式に婚姻する風習もあるという。(いにしえの時代は成人年齢が15歳であったことに由来すると云われている。)
「内陸の人は遅いのかよ」
「そうだな。大抵は25歳から30歳くらいでするもんだ」
「なんで、そんなに待つんだよ!?学校ってのは、15歳で終わりなんだろ?」
確かに、15歳で中等校を出たら働きだすのが一般的だ。しかし、そこから更に高等校へ進み、学問を極めるか、何らかの「訓練」を受ける人も少なくない。姉は時計職人の養成校に通ったし、私は陸軍入隊に向けた訓練校に通った。(どちらも高等校の一種である。)
「結婚までに たくさん働いて、できるだけ金を貯めるんだよ。……それか、ラギさんみたいに学問を極めたり、役者や歌い手になるための修練に励んだり、軍人や憲兵になって、任務に邁進したり……いろんな生き方がある。家族を作るだけが、全てじゃないさ」
アイクは、窓の縁にある僅かな凹みに肘を置いた。
「俺は……できるだけ、字を読まずに稼げる仕事がしたいなぁ」
「契約書を正しく読めなかったら、いとも簡単に騙されるぞ」
私の応えが面白くなかったようで、今度は両手を頭の後ろで組んで、背もたれに体を預けた。
「俺、農夫か狩人になりてぇ」
「だったら、算術をしっかり勉強しろ。売り値の交渉で負けないように」
「なんで、そんな、母ちゃんみたいな事ばかり言うんだよぉー!」
「大きな声を出すな。サーヤが起きるだろ」
アイクは、不満げに唸る。

 勉強の話が出て嫌になったのか、途端に静かになった。私は、彼がこのまま眠ってくれることを期待しながら黙っていた。
 しかし、真っ暗な外ばかり気にしていたアイクが、ふいに私のほうを向いた。
「なぁ。カンナの家に着いた後……俺達は、どうすればいいんだ?」
「……ひとまず、ラギさんが無事に帰ってくるまで、うちで待っていれば良いよ。ドンを放せるような庭も在るし……」
「その後は?」
「その後、か……。それは、今ここでは決められないなぁ」
 彼らを育てられる孤児院もしくは養親を探すのは、私達の責務だ。しかし、今はまだ その事について彼らと話し合う時ではない。
 まずは、憲兵に見つからず逃げ延びることが喫緊の任務である。



 その後もアイクは私に家族のことやロクサスの街のことをしきりに訊いてきて、それに答えてやるうちに、気付けば空が白んでいた。さすがに疲れが出始めた私は森を出て、安心して車を停めていられそうな場所を探して、町の中を走った。
 停められたのは、まだ開いていない食料品店の前だった。人が住んでいそうな建物ではなく、この駐車場や周辺の道路を含め、全く人気ひとけが無い。開店まで、あと5時間はあるだろうか。
「すまない。私は、少し寝るよ……」
欠伸をしながらアイクにそう言うと、彼もいよいよ睡魔に襲われたらしく、ほとんど聴き取れないような返事をした。

 やっと眠れそうだと思ったのも束の間、外が明るくなったことで、ドンが目を覚ましたらしい。窮屈な場所には飽き飽きしているだろうし、そろそろ小便もしたいだろう。何度も鳴いて、「外に出たい」と訴えてくる。その声で、全員が起きる。
 私は、何も言わず外へ出て、ドンが居る場所の扉を開けてやった。ドンは出てくるなり全身の水を払う時のように大きく身震いをしてから、街路樹の一本を目がけてひた走り、森でやっていたのと同じように小便を ひっかけた。戻ってきたら、今度は「水をくれ」とか「腹が減った」と主張するだろう。
 その前に、私はサーヤの具合を確かめてやる必要がある。長いこと狭い場所で眠っていたので体が痛むだろうし、誰だって寝起きには用便がしたいものだ。何より、慣れない旅で体調を崩すかもしれない。私が最も恐れているのは、それだ。
「サーヤ、おはよう。まだ、夜が明けたばかりなんだけど……町へ来たんだ。駐車場に居る。外へ出てごらん」
私の手に掴まって、外へ出たはいいが……ぼんやりと、立ち尽くしている。
 明るさの判らない彼女にとって、早朝は真夜中と同じかもしれない。辺りは静まり返っているし、自分はまだまだ眠いのだ。
「寒くはないか?」
何も言わない子だからこそ、頷くか、首を振るだけで事足りるような訊き方で、何度も聴き取りをする。
 彼女は、寒さや体の痛みについては否定したが、空腹であり、便所にも行きたいらしい。森の中なら、適当に穴を掘ってそこへすればいいが……さすがに、町中で それはさせられない。
 私は、彼女に「少しだけ待っていてくれ」と伝え、食料品店の裏手に回った。こういう場所には、必ず蛇口と排水口があるはずだ。

 案の定、それは在った。しかし、当分来ないだろうと思っていた店の人間が来てしまった。木箱を満載した小さめの運搬車が走ってきて、私を威嚇するかのようにすぐ近くで停まった。
「おい、兄ちゃん!こんな時間に何してる!!」
性別を間違われることには慣れている。今更、訂正する気は起きない。それよりも、運搬車から降りてきた男は明らかに私を警戒している。誤解を解かなければならない。
「すみません。私達は……リュウバから、車で避難して来ました」
「避難?」
「街に、隕石が落ちると聴いて……小さな従弟妹いとこを連れて、宿にも泊まらずに走ってきました」
「ありゃあ、彗星なんだろう?」
「分かりません……最近になって、街が滅ぶほどの隕石だと騒がれるようになりました」
私は、こういう時のために考えていた筋書きを告げた。任務完了までは、リュウバの住民を装って「親戚が住む西部へ逃げる」と偽り続けるつもりでいる。
 どことなく父の同僚の一人に容姿が似ている店の男は、腕を組んで首をかしげる。
「それで?うちの店に、何の用だ」
「その……ご迷惑でなければ、御手洗をお借りしたいのです。従妹いとこが、そろそろ我慢しきれないようで……」
「あー……別にいいけどよ。売り場には入らないでくれよ。これから、品を並べるんだ」
「ありがとうございます!」
「店の金に手を出しやがったら、頭をかち割るからな」
「もちろん、そんなことはしません……」

 私は、サーヤに事の次第を説明し、ドンには待機を命じてから、彼女を連れて再び店の裏に戻った。店主だという彼はまだそこに居て、私達に便所の場所を教えてくれた。

 無事に2人とも用が足せたら、改めて店主に礼を言うため、入るなと言われた売り場の出入り口に向かう。中にまでは入らずに店主に声をかけると、果物を並べるのに忙しい彼は「あぁ、気をつけて帰れよ」と、私達の顔も見ずに言った。
 しかし、いざ私達が裏口に向けて歩き出すと、今度は呼び止められた。
「待て待て。お嬢ちゃん、どこか悪いのか?」
やはり、私達が不審な動きをしないかどうか、見てはいたのだろう。
 サーヤは、知らない大人が自分に関心を寄せたということで、非常に警戒している。私の上着の裾を、節が白くなるほど力を込めて握っている。私は、その小さな背中を支えてやりながら、店主の問いに答える。
「この子は、目が見えません。それと……すごく人見知りをします」
「……そうかい」
それだけ呟いて立ち上がると、彼は売り場内をズカズカと歩いて冷蔵庫の前に行き、ガラスの扉を開けて、小さな牛乳瓶を2本取り出した。そして、それを私のところまで持ってきて差し出した。
「持ってけ」
「ま、待ってください!お金は……」
「要らねぇよ。どのみち、今日の夜には棄てなきゃならん」
「本当に良いんですか!?」
「今日中に飲めよ」
私は、深々と頭を下げた。
「あそこに座ってる犬っころも、おたくのかい?」
言われてみると、確かにドンが入り口の前に座って舌を出している。(ガラス張りの扉なので、よく見える。)
「犬は、牛乳が飲めるんだっけか?」
「飲めませんね……」
「じゃあ水をやろう」
私は断ろうとしたが、店主は飲用水の瓶を2本、売り物に違いない手提げ袋に入れて差し出した。
「これに、牛乳も入れな」
「ど、どうしてそこまで……」
「気にするな。ただの在庫処分だ」
ずっしりと重くなった袋の中で、瓶同士がぶつかり合ってカチャカチャ鳴っている。

 私は、仕事に戻りかけていた店主を呼び止めた。
「あの……!この街と、貴方のお名前を教えていただけますか?」
「街の名はワコト。俺の名はケイデン」
「ケイデンさん……本当にありがとうございました」
「気にするな。隕石の騒ぎが落ち着いたら、また寄りな」
その時は、ぜひとも客として何か買わせてもらおう。 





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