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【短編】 消せない番号

 この世に、二度寝に勝る気持ちいい事があろうか。予定より早く目が覚め、改めて眠り直す時の、あの何とも言えない心地良さと、眠りが浅いからこその不可思議な夢は、格別の多幸感をもたらしてくれる。
 それを妨げるものは、何物であっても赦しがたい。特に腹立たしいのは、予定通りに鳴りだすスマホである。今も、それが床の上でブーブー鳴っているのは解っている。しかし……動きたくない。
「和真。鳴ってるよ……」
隣の布団で寝ていた恒毅さんに肩を揺すられて、俺は渋々スマホに手を伸ばす。
 1分以上鳴れば止まるような設定に、どうにかできないものか。

 恒毅さんとの縁組から、早くも5年が過ぎた。しかし、日本は未だに同性間の婚姻を認めていない。あの時「法律が変わるのなんか待っていられない」と言った恒毅さんの判断は、正しかったと俺は思う。
 俺は新しい苗字や仕事には、すっかり慣れた。もはや、自分は生まれた時から「小野田 和真」であり、彼とは20年以上この家で共に暮らしているかのような感覚に陥る時がある。
 彼と暮らすようになってから体調は着実に良くなり、学生時代のような情交も、恐れずに享楽できるようになってきた。
 俺達は書類上こそ「親子」だが、実態は紛れもなく「事実婚状態」だ。

 今日は2人とも休みなので、一緒に朝食を食べる。よく焼けたトーストに蜂蜜をたっぷりかけて、無遠慮に かじりつく。
 隣で同じものを食べている恒毅さんが、俺に尋ねる。
「今日、出かけるんでしょう?」
そうだ。俺は今日、久方ぶりに悠さんと会う約束をしている。
 悠さんと知り合ったのは、俺が28歳の時なので……もう7年以上の付き合いになるのか。月日の流れは、本当に早い。
 あの頃の俺は、もはや人ではなく獣に近いような暮らしぶりで、悠さんとそのパートナー・吉岡先生に「拾ってもらった」に等しい。お二人の家で間借りした、あの期間が無ければ……俺の身体は、取り返しがつかないほどに壊れていたかもしれない。

 俺は今日、大切な恩人に誘われて出かけるわけだが、今回「ついて来てほしい」と頼まれた場所は、あまりにも意外な場所だった。なんと、彼は「先輩の墓参りに行きたい」というのだ。
 そんな所に、なぜ先生ではなく俺を誘ったのか……正直まったく解らなかった。



 指定された待合せ場所まで行くと、既に彼は居た。乗り換えに便利なターミナル駅の乗車券販売窓口の前で、見慣れたリュックを背負って仁王立ちしている彼を見つけた時、喜びと同時に安堵感が込み上げた。
 最後に会ったのは、悠さんが心臓発作で倒れた年だった。退院して自宅に居たとはいえ、悠さんは起き上がることも、口頭で話すこともできない状態で、ほとんど目が見えていなかった。布団の上で苦しそうに喘ぎながら、それでも俺を気遣っててのひらに文字を書いてくれた。
 そんな人が、見違えるほど元気になった。それだけ「時が経った」ということでもあるが……その間に、どれだけ手術を受け、リハビリを頑張ったのだろう。
「悠さん!」
俺の声に気付いた彼は、倒れる前と同じ笑顔で迎えてくれた。「よぉ」と軽く手を挙げてから「久しぶりだな」とか「元気か?」といった、お決まりの挨拶をしてくれる。俺のほうも「ご無沙汰してます」とか「おかげさまで」という定型文を、まずは返す。
「ちょっと、背が伸びたんじゃねえか?」
"背筋せすじ"なら、伸びたかもしれない。
「おまえ、補聴器使うようになったんだな」
「あ、はい……」
俺は、耳掛け式の黒いそれに触れながら答えた。昔は補聴器というものを「高いくせに、すぐ汗で壊れる」と敬遠していたが、最近のものは壊れにくい。(それでも、使うのは水に濡れる心配の無い休日だけだ。椎茸栽培の現場は、合羽かっぱが必要な水仕事が多い。)
 悠さんのほうこそ、今日は珍しく義手を着けている。墓前で「手を合わせる」ためだろう。俺は、このかっこいい左手を前にも見たことがある。彼の37歳の誕生日に先生が贈った、当時40万円以上もしたという高級品だ。防水仕様の黒いカーボン製で、5本の指は卵が割れるほどの繊細さを誇るが、なにぶん高価であるため、冠婚葬祭などの特別な日にしか使われない……とっておきの品である。

「とりあえず、電車で寺に近い駅まで行って、降りたら花とかを買うんだ」
「わかりました」
 快諾したのは良いものの、行き先が兵庫県内の寺院だと聴いた時は正直驚いた。奈良県在住の彼が、わざわざそこまで行くのかと。(彼は今も「体調の急変」を警戒しなければならない状態にあり、尚且つ通り道で俺を「拾う」のは容易い。誘われたことには合点がいった。)

 交通費は全て悠さんが負担してくれるとのことで、馴染みのない路線の特急列車に乗ることになった。互いに「移動中は寝る」というのが習慣なのでほぼ会話は無く、目的の駅に着いて起こされるまで、俺は腕を組んで寝ていた。


 乗車から2時間ほどで着いたのは、人生で初めて降りる駅だった。駅名の読み方さえ、ひらがな表記を見るまで分からなかった。そしてホームからの眺めを見て、とんでもない「田舎」に来てしまった気がした。とにかく山が近いのと、高い建物が病院くらいしかないのだ。
 それでも、駅の近くには活気の残る商店街があり、お供え物は簡単に手に入りそうだった。
「まずは、花を買いたいんだけどな。どういうのを買えば良いのか、分かんねぇんだ……」
「よく、スーパーの入り口で売ってるような花束で、良いんじゃないですかね……?」
俺だって、決して墓参りに詳しいわけではない。
「よし!花屋を探せ!」
まるで、子どもが結成した『探検隊』だ。

 商店街をまっすぐ進んでいけば花屋は見つかり、俺達はそこで できるだけ新鮮な「仏花」の束を2つ買うことにした。そして、悠さんはその店でまきの枝を見るなり「これも買おう!」と言った。ここまで槇に強く反応する人を、俺は初めて見た。
 花屋の次はコンビニに寄り、お供え用のペットボトル飲料を買った。悠さんは、定番の緑茶だけではなく、抹茶ラテ、スポーツドリンク、子どもが好きそうなジュースなどを、次々とカゴに入れていた。俺は、自分が飲むための麦茶だけを買った。

 駅から寺院までもバスに乗らなければならず、結構な長旅になってきた。俺は恒毅さんに「帰りは遅くなりそう」と連絡しておいた。


 たどり着いた寺院は、ほとんど「山の中」だった。秋に来れば、きっと素晴らしい紅葉が見られるだろう。しかし、今は緑に覆われている。
 寺院に隣接する墓地の入り口で、バケツや柄杓ひしゃく、墓石用のスポンジをお借りする。

 結構な広さのある墓地だったが、今は盆でも彼岸でもないので、俺達の他にお参りの人は居ない。悠さんからも「顔見知りに会いたくないから、あえて月命日を避けた」と聴いている。
 墓石に挟まれた通路をしばらく歩き回ってから、悠さんが「ここだ!」と言って足を止めた。年季の入った立派な墓石には「穂波家之墓」と刻まれている。悠さんがその墓石に向かって一礼したので、俺も同じように礼をした。(宗教的な作法ではなく、彼個人の意思だとは思われる。)
 墓石の隣には「霊標」と彫られた石板があり、そこには亡くなった人々の戒名、没年月日、俗名(生前の名前)、行年(亡くなった時の満年齢)が刻まれている。最も新しい日付と共に刻まれた「亘」という名の人が、悠さんを ここまで突き動かした先輩に違いない。その亘さんは、51歳で亡くなったようだ。
 そこから数人分を遡って見ても、8歳、30歳、62歳と、若い数字が並んでいる。
(すごく、短命の家系だ……)
 悠さんは、何も言わずに柄杓で墓石に水をかけ、スポンジで丁寧に洗い始めた。俺も「手伝います」と言って、もうひとつのスポンジを手に取った。

 墓石の掃除が終わったら、まずは花を供える。元からある乾いた花を回収し、空いた穴に水を注いで溢れさせてから、今日買ってきた花と槇を立てる。
 その時に、8歳で亡くなった子の名が「真希」であることに気付き、悠さんが「まき」という植物に強い関心を示した理由が解った気がした。(コンビニでジュースを買ったのも、この子のためだろう。)
 事故か病気かは分からないが、たった8年で世を去ったというのは、本当に痛ましい。

 次は持参した線香に火を点ける。俺が右手に線香の束を持ち、悠さんがライターで着火する。小さな火が風で消えないように互いの左手で守りながら、全ての線香に火が行き渡るよう、束の角度を調節する。線香といえど、束になれば存外よく燃えるので、不要な炎は手で払う。(決して、吹いてはならない。)
 無事に白い煙が上がり始めたら、備え付けの香炉に横向きで入れる。

 開栓したペットボトルを慎重に供物台に並べ、いよいよ手を合わせる。俺にとっては会ったこともない人達のお墓であるので、祈ったり、報告したりすることは特にない。「お邪魔しています」と、ご挨拶をして終わりだ。
 だが、悠さんにとっては……数年越しの【念願】が、ついに叶った瞬間だ。他の誰にも、邪魔されたくはないだろう。合掌して目を閉じたまま、ずっと祈りを捧げている。







 納得がいくまで報告やお祈りができたのか、悠さんは合掌するのをやめた。目には涙を浮かべ、墓石を見上げている。
「俺は……ここに眠ってる先輩が、大好きだったんだ……」
その一言で、俺は亡き恩師・隆一さんのことを思い出した。恒毅さんとの日々が充実していくにつれて、彼を思い出すことも、その【声】を聴くことも、次第に減っていった。しかし、決して消えることのない大切な記憶は……思い返せば、いくらでも出てくる。そのたびに、涙がにじむ。
 悠さんは、俯いて涙を零しながら語る。
「俺のこと、毛嫌いせずに……何でも教えてくれた。仕事に使う新しい義手うで、何個も作ってくれた……」
悠さんは仕事へのこだわりが強く、やや喧嘩っ早いところがある。職場内には、敵も居ただろう。しかし、亘さんは純然たる「味方」であり「理解者」だったはずだ。
「でも……葬式には、行けなかった。だから、せめて墓参りくらいは……と思って、真面目に病院通った……」
 悠さんは、立派だ。
 それに比べて、俺は隆一さんの墓がどこにあるのかさえ知らない。調べようともしなかった。故人に語りかけるなど、墓前や仏前に限らず「どこででも出来る」と本気で思っている。ある種の怠慢だ。
「今日、来られて良かったですね」
「まぁ……そうだな」
悠さんは、涙をTシャツの肩のところで拭っている。

 俺も、目鼻の奥が痛い。
「何だ、もらい泣きしてんのか」
悠さんが、真っ赤な目をして訊いてきた。
「いや……。俺にも、そういう人が居たことを……思い出してしまって……」
「会社の先輩か?」
「上司でした。死ぬつもりだった俺のために、救急車を呼んでくれた人ですが……事故で亡くなりました。こちらからは、一言もお礼が言えないまま……」
「そうか……」
どれほど深刻な話でも、悠さんは決して「やめろ」とは言わない。いつも、話し手の気が済むまで傾聴してくれる。
 だからこそ、もう何もかも吐き出したくなってくる。
「俺も……その人のことが……命を懸けられるほど好きでした……!!」
「おまえ、真面目すぎるぞ」
そんな言葉は、これまでに飽きるほど聴いた。
 それよりも、俺は自分の口から【後悔】が溢れ出るのを止められなかった。目鼻から滴り落ちるものを、拭う気にもならなかった。
「その人が結婚していることは知っていましたが、俺は諦められませんでした……。だから、だからせめて部下として、一日でも長く、共に働きたくて……あんな、ゴミみたいな会社に踏みとどまってしまいました……!!!」
俺の、人生最大の後悔である。隆一さんと過ごした時間は間違いなく【宝】であり、大切な【礎】なのだが、あの場所で自分達が採卵鶏にしてきたことは「虐待」の一言に尽きる。そして、人間同士も大半は醜い泥仕合に明け暮れていた。
(あそこには、クズしか居ない……!!)
職業差別をする気は無いが、少なくともあの企業は芯から腐っている。もっと早く見限らなかった自分は、愚かとしか言いようがない。
「なぁ、和真」
 危うく、あの病理的な『独りの世界』に引きずり込まれそうになっていた俺を、悠さんの声が引き止めてくれた。
「助けてくれた上司ってのは、女の人だったのか」
そう思うのは、俺が「結婚」という単語を口にしたからだろう。しかし……違うのだ。
 もう、誤魔化すのはやめようと思う。
「いいえ。男の人です……」
それを聴いた悠さんの表情は、至って真剣だが、疑問を抱いていることもよく判った。
 数秒の間があってから、勘のいい彼は気付いたようだ。
「おまえ、同性愛者なのか!」
「そうです……」
性的マイノリティーと結婚した人が、他のマイノリティーにも寛容とは限らない。それでも俺は、悠さんにだけは「いつか必ず打ち明けたい」と思っていた。誰かに説明できるほどの明確な理由があるわけではない。ただ、隠し続けることが苦しくなっただけかもしれない。

 悠さんは何も言わず、笑いもせず、ただ墓前に並んだペットボトルに視線を向けている。そして右手で後頭部をバリバリ掻いてから、口だけが「マジか」と言ったように動いた。
 頭に触れていた手を降ろすと、改めて俺の顔を見て言った。
「いや……うん。びっくりした。涙が引っ込んだ。……亘さん達も、びっくりしてると思う」
 俺は、自分が何をしでかしたか、そこでやっと気付いた。この場における最も肝要な事を、すっかり忘れ去っていたのだ!!
「うわあぁ、ごめんなさい……!!」
俺は猿か何かのように、地面に両手を着いた。無意識のうちに手近な小石を握りしめ、そのまま、墓前の敷石に頭を打ちつけたいくらいだった。
「落ち着け!大丈夫だから!」
悠さんが、まるで覆い被さるように俺の背中に両手を添えた。
「悠さん!亘さん!本当にごめんなさい!」
「怒りゃしねえよ。おまえはただ、自分が本当に苦しかった時期を思い出しちまっただけなんだろ?」
「わあぁぁぁ……!!」
頭が、どうにかなりそうだ。とてもじゃないが、起き上がれそうにない。
「どっか、落ち着いて話せる所を探そう」
 その時、人工物であるはずの義手も、彼の生来の右手と同じく「温かい」ような気がした。
 

 どうにか起きられるようになると、無様に尻を着いて敷石の上で座り込み、自分で買った麦茶を飲んで……ようやく正気づいてきた。
 俺が落ち着いてきたのが判ると、悠さんは供えていたペットボトルの蓋を閉め、全て自分のリュックに戻した。俺は、彼に言われた通りに借りた物を元の場所に返しに行き、再び穂波家の墓前に戻った。
 帰り際、俺は穂波家の方々に改めて謝罪と帰りの挨拶をしてから、初めに回収した古い花を持って、その場を後にした。

 その後は無事に予定通りのバスに乗り、駅前の商店街にまで戻れた。昼食がまだだった俺達は、ほぼ悠さんの独断で商店街の中のラーメン屋に入り、テーブル席で向かい合わせに座った。(昼飯時を過ぎているので、店内は空いている。)
 メニュー表に夢中の彼に、俺は改めて謝罪した。
「本当に、すみません……。大切なお墓参りを、台無しにしてしまって……」
「いや、台無しにはなってねぇよ。無事に完遂しただろ」
彼のほうは、もうすっかり「泣いた痕跡」が消えている。
「そりゃあ……『ここで言うのかよ!?』って驚きはあったさ。でもよぉ……俺は基本的に、誰が誰を好きでも、良いと思ってるんだ。正直、他人ひと様の恋愛には興味が無い。俺は、自分の身体からだとか稼ぎのことで頭が一杯だからな」
そして、今は「何を食べるか」で頭が一杯なのだろう。
「ただ……もしも自分が、誰かに『付き合ってくれ』って言われたら、きっぱり断る。既婚者だからな」
すごく公平な人だ。
「それに…………あれだろ?俺は諒ちゃんから、和真は『この世でいちばん信頼できる人の養子になった』って聴いてるんだけどよ。そいつは、つまり……コレだろ?」
そう言って、悠さんは親指を立てた。俺はもう観念して「はい」と言い、悠さんはそれに頷きで応えた。
「だったらもう、お互いに結婚してるようなもんじゃねえか。何を恥ずかしがってるんだ」
「は、恥ずかしいわけでは……」
いや、恥じてはいる。しかし、俺が恥じているのは「自身のセクシャリティー」や「恒毅さんとの関係」ではなく「墓前で情動失禁をしたこと」だ。
「……和真としては、秘密にしたいのか?」
セクシャリティーのことか。
「そうですね。できれば、あまり大っぴらには……したくありません」
「分かったよ。誰にも言わねえ」
俺は咄嗟に「すみません」と言いそうになったが、言えば再び「真面目すぎる!」と一喝されるような気がして、やめた。
 その店で食ったラーメンは、味がしなかった。


 帰りの特急列車の中。さすがに疲れたのか、悠さんは眠そうだった。窓際の小さなテーブルに肘を置き、降ろしきったブラインドに頭が着きそうなほど首を傾けている。隣に座っている俺からは、表情までは見えない。
 その姿勢のまま、彼は独り言かと思うような小さな声で言った。
「なぁ和真。すんげぇ馬鹿みたいな話、してもいいか?」
「どうぞ」
俺を笑わせようと、何か冗談を言う気なのだろうと思っていた。
 しかし、悠さんは墓前と同じく至って真剣な声色で語り始めた。
「俺……亘さんの携帯番号、未だに登録したままなんだよ。今かけたって別人に繋がるって、分かりきってんのにな……」
景色など見えるわけがないのに、彼は窓のほうに顔を向けたままだ。
「何つーか……【自分のスマホの中で、その名前と番号が並んでる】ってことに、すごく大きな意味があるんだ。俺の中では」
誰にも理解されなくていい、という意思はよく伝わった。しかし、俺の答えは違う。
「それ、すごく解ります……!」
「そうか?」
そこで、やっと俺のほうを向いてくれた。
「俺のスマホにも入ってます。例の『上司』の電話番号……」
なんなら、求人サイトから拝借してきた彼の顔写真も、連絡先のアイコンとして登録してある。もちろん生年月日も登録済みだ。もう決して歳を重ねることはない人の「誕生日」を、俺のスマホは律儀にカレンダーに載せ続けている。
「絶対に……消せないんですよね。何年経っても」
俺達が、その人と【繋がっていた証】である。他の誰が嗤っても、遺された人間にとっては宝物だ。消せるわけがない。

 悠さんは、ふっと笑った。
「今日、おまえ誘って良かったよ」
ささやかなことだが、俺は光栄だった。

 彼は、左手で俺の膝に軽く触れながら言った。
「次は近場で、もっと美味いもの食おうぜ」
あのラーメンは、悠さんの口にも合わなかったのか。
「その時は、おまえの『相方』にも会ってみたいな」
「お、俺達は、漫才コンビではありません……」
「じゃあ、何て言うんだよ。『旦那』でいいのか?」
「結婚は、してません……」
「事実婚でも『内縁の夫』って言うだろ」
 それは確かにそうなのだが……。俺はもう、第三者に恒毅さんのことを「ルームメイトです」とか「義理の父です」と紹介するのが、板についてしまっている。開き直って「内縁の夫です」などと、口に出したことは無い……。
「まさか、書類まで出しといて『彼氏』はねえだろ?」
(実に的確な正論だ……!)
俺は、再び観念した。
「と、とりあえず、旦那でいいです……」
会って名前を知るまでは、ひとまずそれで良いだろう。
「よっしゃあ!縁組おめでとう!!俺が奢るぜー!!」
「で!電車の中っすよ……!」
わりぃ」
 あれほど眠そうにしていた人が、完全に覚醒してしまった。だが、彼が元気なら俺は嬉しい。

 そして、何よりも嬉しかったのは、彼と自分の関係性が「これからも、何ら変わらない」という、確信が持てたことだ。
 彼を信じて、良かった。


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