小説 「僕と先生の話」 6
6. 本来の「普通」
ほとんどの従業員が帰ってしまった後を狙って、部長に退職の話をした時、僕は善治の名を出さなかった。ただ「健康上の理由」と告げた。「次の仕事は、決まっているのか?」という問いには、決まっていると答えた。次は製造職ではないことも報告した。
現場の戸締りを始めていた部長は、いかにも残念そうな顔をして「良い職人になりそうだったのに……」と呟き、しばらく黙っていた。やがて、おもむろに煙草を取り出して吸い始めると、いつもの穏やかな口調で「おまえの人生だ」とだけ言った。「弟子」が辞めることについて、反対や引止めの言葉は無かった。
ただ、社長以外の従業員には黙っておくようにと指示があった。
後日、目立ってしまわないよう気を付けながら、社長に退職願を提出した時、僕は殴られるかもしれないとさえ思っていたけれど、職人でも何でもない学生バイト達が辞めていく時と全く同じように「そっちに飽きたら、戻っておいで!」と、朗らかに言われただけだった。
その光景を見ている人は複数いたと思うけれど、在籍中、特に何もトラブルは起きなかった。変わらない激務が続いただけだった。
相変わらず「ポンコツ」と呼ばれ、何かと笑いものになっていたけれど、取るに足らないことだと思えた。
出勤最終日、仕事以外の話はほとんどしたことがなかった同僚達から、口々に「お疲れ様でした!」「ありがとうございました!」と言われ、一部の女性達から、缶コーヒーやお菓子をもらった。
人生初の円満退社だった。
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【7. 先生との暮らし】
https://note.com/mokkei4486/n/n389206587617
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