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小説 「僕と先生の話」 7

7. 先生との暮らし

 嘘みたいにあっさりと工場を辞めることができた僕は、一週間ほど静養させてもらってから、先生の家に通うようになった。

 仕事は、11時〜19時。まずは週3日から始めてみた。昼・夕の2食を調理して、先生と一緒に食べる。食材や日用品は好きなタイミングで買い行くことができるし、空いた時間にはテレビを見てもいいし、読書や昼寝をしてもいいのだという。先生ご自身も、昼食後には昼寝をするのが日課らしい。(先生は「午睡」という言い方をする。)
 最低でも週2日は出勤する契約だが、1ヵ月の出勤日数には上限があり、最低でも月8日は休まなければならない。また、合鍵は持たされておらず、先生が何らかの用事で家を空ける日は、出勤できない。先生が在宅中にしか、部外者の僕は中に入れない。
 従業員は1人だけとはいえ、勤怠に関する確かな記録を残すため、きちんとしたタイムカードが用意されている。
 今のところ、僕の出勤1日あたりの給与は約1万円となる。更に、給与とは別に渡される先生と共有の「食費」の中から、自分も食べさせてもらえる。
 受診や他の私用のために休むことも、もちろん可能だ。
 こんなに有難い労働条件は、そうそう無いはずだ。それなのに、どうして人材が定着しないのだろう?

 先生は、決して恐ろしい人には思えなかった。確かに風変わりな人だとは思うけれど、知的で明朗快活な、良識ある大人にしか見えなかった。あんな素晴らしい物語を、あれだけ真剣に学びながら描く人なのだ。
 先生は、僕が作る料理を とても気に入ってくれた。「君が来るようになって、体調が良くなった」と評価してくれて、配膳や掃除に関しても「几帳面だ」と褒めてくれた。
 大切なアトリエと寝室を含む3階部分の掃除と、下着を含む衣類の洗濯だけは、先生が「自分でやる」と言い張ったけれど、1階と2階は、好きに掃除させてもらえることになった。1階の奥には、来客が泊まれるようにきちんと整理された和室があり、そこの管理も任された。
 風呂場も1階にあり、そこの掃除も任された。先生は「タイムカードを切った後なら、入って帰ってもいいよ」なんて冗談を言っていたけれど、未婚女性の家で風呂に入るなんてことは、僕には出来なかった。
 善治がこの家で風呂に入ることはよくあるらしく、ほとんど1階に降りてくることもない先生は、あまり気にしていないようだった。

 初日には、契約書にサインをして、きちんとした「就業規則」と「労働条件通知書」が手渡されていたけれど、なんだか「転職した」という気がしなかった。仕事を辞めて、親戚の家にでも転がり込んだような感覚に陥った。


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【8. 来訪者】
https://note.com/mokkei4486/n/n8bf8a3993be7


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