小説 「僕と先生の話」 32
32.「過去形」にする
玄関先での攻防から数日。先生は寝室に閉じ篭りがちになった。「頭が痛い」とか「頭の中が うるさい」と言って、寝てばかりいる。食欲も減退している。相変わらず高頻度で来訪する岩下さんにも、会おうとしなくなった。
その日も、先生が まだ寝込んでいると告げると、彼は「顔を合わせない」という選択をした。和室で仮眠を取った後、応接室で仕事を始めた。
僕は、彼が多忙であることを承知の上で、先生が寝込みだす直前に「善治達が勤めていた会社に火を点ける」と宣言して出かけようとしたことを、手短に報告した。彼は、至って冷静に「ご友人のことで、動揺されたのでしょうね」とだけ応えた。
「これまでにも、そういうことはありましたか?」
「はい……」
残念ながら、予想通りの返事だ。
彼は、ノートパソコンのキーボードを叩くのをやめた。
「絵本の主題とは、かけ離れていますが……個人名を挙げた上で『殺してやる』と言ったり、具体的な社名を出した上で『社屋に火を点けてやりたい』と言い続けたり……【犯行予告】と受け取れるようなことを、繰り返し口に出されることが、数年前までは頻繁にありました。もちろん、それらを実行してしまわれたことは、一度もありません。先生は、ただ『感情』や『心境』を口に出されているだけで、具体的な予告ではありません。
むしろ……そのような発言が目立つ時というのは、非常に体調が悪い時です。犯行に及ぶどころか、身体が弱って日常生活が ままならなくなっていく前兆です」
先生が1階に降りてくる心配は無いけれど、彼はいつにも増して、声を低めて語った。
「頭の中で鳴り響くものに、苛まれているうちに……重症化の要因を作った加害者や、組織に対する【憤り】や【憎しみ】に心を囚われていき、だからこそ、それらへの【報復】ばかり考えてしまうのだと、伺っております」
ここまで流暢に語れるほど、先生の証言を正確に理解・記憶している彼は、やはり凄い。
「ただ……私はそれを『過去形』にしたいのです」
彼は、ノートパソコンを閉じた。
「『過去形』……ですか?」
「現在の吉岡先生は、実験室に閉じ込められてなどいません。複数の出版社と契約を交わし、精力的に活動する、正真正銘の【作家】です。素晴らしいものをお書きになります。現在の先生には、侮蔑を受ける謂れなど在りません」
「……僕も、そう思います」
「先生が、ご病気等を理由に差別的な冷遇を受けたのは『過去』のことです。それはもう『終わった』のです。
しかし……先生の心の中では、今も続いているに等しいのです」
僕は、出征先に取り残された旧日本兵が、終戦から数十年が経過しても「戦争が終わったこと」を知らないまま、独りでジャングルに潜伏していた……という有名な逸話を、ふと思い出した。
彼は、僕が出していたお茶を飲み干すと、しばらく、そのマグカップの絵柄を眺めていた。
「私は……自分が過去に受けた治療やカウンセリングの技法を、先生にお伝えし、試していただいたこともあります。釈迦に説法のようにも思えましたが……」
「カウンセリング、ですか……?」
僕の分のカップは無い。
「私は、中学に上がってすぐの頃……自転車で学校から帰る途中、車に撥ねられて、そのまま崖から落ちました」
「え、えぇ……!!?」
(それで頭を打って、頸が折れて…………それでも、生きて、動いていられるのか!!?)
「落下する瞬間には【死】を覚悟しましたし……落ちて、自分の上半身がバキバキになるところを、体の外から、見ていたような記憶があります。……あの瞬間、私は本当に『死にかけた』のだと思います」
(体外離脱……!!)
「奇跡的に、脊髄の損傷は軽微なものでした。意識が戻るまでには、1年以上かかりましたが……目が覚めてからの回復は、医療従事者の誰もが驚くほどの速さであったといいます」
(凄い……!)
「しかし……当時の私にも『心的外傷』と言うべきものは、残りました。事故の瞬間に感じた恐怖や、後遺症に関する悩みよりも……自分の父親が、頑なに私の将来を悲観することや、事故の加害者と何年も裁判で争っている姿が、私には、辛いものでした」
彼は、まるで小説のあらすじを話すように、淡々と語る。僕は、黙って耳を傾ける。
「私は、周囲の献身的な支えもあって、体は動くようになりましたが……頭を打った影響で、頻繁に意識を失うようになりましたし、口が利けるようになるまでは、本当に何年もかかりました」
(失語症か……?)
それでも、今の彼は編集者である。
「父は『こいつは、もう駄目だ!』としか言いませんでした。私を『頭が壊れてしまったから、もう働けない』と見なして、加害者側に、死亡事故と変わらない額の賠償を請求し……加害者の人生は壊れました」
吉岡作品が、一貫して【生命】や【生き方】について描くのは何故なのか、判った気がする。おそらく、担当編集者が彼でなければ、あれほどの哲学的な作品は生まれない。
「母や他の家族は、私の回復ぶりを心から喜んでくれましたが……父だけは、見向きもしませんでした。
どれだけリハビリを頑張っても『良くなった』と認めてもらえず……『もう駄目だ』と言われ続けたことが、とても悔しくて…………だからこそ、出来る事は必死に頑張りましたが、父の思い描く【当たり前】のことが出来なくなった私は、もはや相手にされなくなりました」
僕など比較にならない、壮絶な人生である。大いに悩んで、何度もカウンセリングを受けたのだろう。
「私が、吉岡先生と初めてお会いした頃……先生は『労災すら認めなかった加害企業に、正式な謝罪と賠償を求めたい』という考えに囚われ……弁護士に話す事柄について纏めておられたのですが、毎日とても苦しそうでした。私は……確かな手技と文章力を持った天才が、誰からも理解を得られずに、過去に囚われたまま、独りで苦しんでいることが『とても惜しい』と、心から思いました。同時に……私は裁判というものの苦しみを知っていましたから、それを『させたくない』と思いました」
「先生の……ブログを読まれてたんでしたっけ?」
「そうです。……デビューされる前から、私は吉岡先生のファンでした」
彼の眼が赤い。
「先生は『事件』による後遺症に何年も苦しまれましたが、それでも、ご自分の力で、見事に社会復帰を果たされました。しかし……先生の『過去』を知る心無い者達は、先生に対する侮蔑や、ひどいアウティングを、執拗に続けていました。それにより……先生の心は、再び折れました」
自分の過去を語る時には平然としていた彼が、悲痛な面持ちで語る。
僕は「ひどい……」と呟く以上のことは何も出来なかった。
「弊社の従業員の中には……吉岡先生に、暴露本や闘病記のようなものを書かせようと考える者が居ましたが、私は、先生には『過去』と決別して前を向いてもらいたくて、『事件』とは無関係の【絵本】を書いていただくことを提案しました。先生は動物が大好きだということも、知っていたので…………どこで何が起きても、ただひたすらに生きようとする動物達のお話を、書いていただきたいと思いました」
(どこで何が起きても、ただひたすらに生きようとする……)
「先生が、それに応えてくださったことが……私は、何よりも嬉しいのです」
僕は、素晴らしい映画を一本観たような気持ちになった。彼は、ノートパソコンを開きながら「長々と、すみません」と詫びたけれど、僕は少しも、長い話を「聞かされた」とは思わなかった。
僕はただ、彼に心から感謝していた。
彼が帰宅した後、僕は先生との食事中に提案した。
「先生。僕、明日は一人ででもお猿さんを見に行きたいんですが、もし良かったら……先生も、どうですか?」
「お猿さん?どうしてまた急に……」
「いいじゃないですか」
「……私は、サイが見たいなぁ」
「行きましょう!」
「だったら……早起きしないといけないね」
翌日、僕は動物園で先生と一緒に、様々な種類の猿を見た。寒空の下で仲間と体を寄せ合ったり、陽に当たったりしている彼らを眺めながら、先生は「やはり太陽は大事だ」と言った。「太陽の存在を忘れたら……私達は おしまいだ」とも言った。
その後、僕は「解散」を言い渡され、一人で園内を廻った。先生は、お目当てのサイを心ゆくまで観察したら、僕を園内に残して帰ってしまった。
それ以降、松尾くんから来訪の連絡があるまで、先生は毎日一人で同じ動物園に通い詰めた。
次のエピソード
【33. 夕陽】
https://note.com/mokkei4486/n/nadf57c1658fc
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