小説 「長い旅路」 36
36.時は来たり
俺は足繁く図書館に通い、学生達に混じって机に向かっては、母への手紙の文面を考え続ける日々を送っていた。
初めは大学ノートの中だけのマインドマッピングが続いたが、次第に文章の形になっていった。
俺はまず、恒毅さんとの暮らしがうまくいっていること、彼と居れば自分の体調が安定すること、そして、可能な限り長く彼と共に暮らしたいという意思を書いた。次に、ゲイを公表している拓巳と慎司さんが何故パートナーシップの宣誓をしたのかについて書き、続けて、その条例の最大の欠点(引越しに伴って解消されうること)を書いた。そして、だからこそ自分と恒毅さんは、意に反して関係が解消されることの無い【養子縁組】という手段を取りたいと説明し……「俺は拓巳と住んでいたから、もう気付いているとは思う」という前置きをした上で、自分達2人もゲイなのだと書いた。
もちろん、母に打ち明けることについて、恒毅さんの許可は得ている。(それをしてからでなければ、ただのアウティングだ。)
具体的な内容を考え始めてから、それが「手紙」と呼べる形になるまで、想像以上の日数を費やした。一週間近くは かかったと思う。
出来上がった手紙をポストに投函し、数日間は気が気でなかった。寝ても覚めても母のことばかり考えてしまい、父に殴られ続けた日々の記憶と混ざってしまったのか、母に殴られる夢さえ見た。その夢の中で、母は泣いていた。
俺は、赦されざる息子だ……。起きてから、そう思った。
俺が浮かない顔ばかりしているせいか、恒毅さんは何かと話しかけてはくれるが、ほとんど内容は頭に入らない。生返事ばかりしていると、やがては抱き寄せられたり、体温を計られたりする。俺は それに抗う気は毛頭ないし、彼の気遣いには感謝している。
ただ、彼の優しさに触れるたびに、心のどこかで、母を悲しませているような気がしてしまう。俺のことを「親不孝だ」と嗤う声が、どこか遠くで響いている。
彼が夕食を作る間、俺は少しだけ布団に入って休むことにした。薬を飲まずに眠れることなど ほとんど無いのだが、それでも体を横たえて頭を休ませる時間は重要だ。スマホには触れず、記憶の中にあるサイの食事風景を思い浮かべる。
(最近、見に行ってないな……)
以前は、何故かは説明できないが本当に「動物園でサイをじっくり見た日」でなければ、消化器がまともに機能していなかった。何を食っても吐き、下し……自尊心など、まるで無かった。最低でも週に2回は動物園に行かなければ栄養が摂れずに餓死するのではないかと本気で考えていたし、多い時には週6回(つまり、休園日以外すべて)あの動物園に入り浸っていたわけである。
それが、恒毅さんと知り合い、共に過ごす時間が長くなるにつれて、サイを見に行かずとも食欲が湧き、消化器の調子が安定するようになった。一度も動物園に行かない月、などというものが存在するようになった。
彼がもたらしてくれる安心感は、クロサイのそれに並ぶのか。……まさか。
くだらないことを考えていると、枕元にあるスマホが振動したのを感じた。薄暗い中で手に取ると、見慣れた名前が表示されている。……母からのLINEだ。
息が止まりそうだった。
あまりにも恐ろしくて、俺は反射的に起き上がり、布団の上とはいえ正座した。大きく息を吐いてから、意を決して、届いた文面を見る。
【手紙ありがとう。読みました。その件について、直接会って話がしたいから、父さんが居ない日に帰っておいで】
絵文字やスタンプの使い方は、普段と何ら変わらない。少なくとも、拒絶されてはいないということか……?
分からないが、父の出勤日に関する情報を訊き、母と会う日を決めるので精一杯だった。
約束の日時。俺は約半年ぶりに実家を訪ねた。母は、俺がこの家に住んでいた頃と変わらない様子で「おかえり」と言ってくれた。
靴を脱いでリビングにまで進むと、母が俺のすぐ側に立って訊いてきた。
「どっちに座る?」
食卓のほうにある椅子か、テレビの前のソファーか……。決めかねていると、母にソファーを薦められた。
俺が黙って座ると、母は台所へと消えていった。
テレビをつけてもしょうがないので、ただ静かに待っていた。
母は、2人分の飲み物と茶菓子を小さなプレートに載せて戻ってきた。そして、運んできた物をテーブルに置いたら、すぐにまたプレートを手に立ち去った。
この香りには覚えがある。恒毅さんを紹介した日に飲んだのと、同じ銘柄の紅茶であるはずだ。
俺が紅茶を啜っていると、母は俺が出した手紙を持ってきて隣に座った。それには「読んだら棄ててほしい」と書いたのだが、母は保管していたようだ。
「びっくりしたわ、これを読んで……」
俺はカップをテーブルに置き「ごめん」と率直に詫びた。
「謝るようなことではないわ」
何も言えない。ただ、ひとつだけ確信しているのは、今の自分が再びカップを手にしたら、震えで盛大に溢すだろう、ということだ。
「きっと……たくさん悩んだでしょう」
答えることが出来ない。悩んだことには相違ないが、今日話したい事はそれではない。
押し黙っていると、母が俺の名を呼んで、背中をさすり始めた。
「よく教えてくれたねぇ。ありがとうねぇ……」
その手の感触に、毎朝のように「あの養鶏場に戻る」と騒いでいた頃を思い出した。俺が夢や幻覚の影響で騒ぐたびに、母はカレンダーの前で、何度でも「事実」を教えてくれた。
やがて、母は背中をさするのをやめ、膝の上にあった俺の左手を握った。
「貴方が、どれだけ苦しんでいても……私達は『すぐに相談できる両親』ではなかった。……それは、本当に申し訳がないし、恥じなければならない……」
単純に、当時の俺には「親に相談する」という発想が無かっただけだ。信用していなかったわけではない。それよりも、むしろ……両親のことなど、忘れ去っていたに等しい。あんな ろくでもない場所で、ゴミのような連中と対峙しているだけで、ひどく疲れた。いつも、いかにして栄養を摂って、睡眠時間を確保するかで、頭が一杯だった。
「ごめんね、和真……」
俺が死に損なった時も、病院のベッドで、こんな風に抱き寄せられたことがある。あの時の俺には、何も聴こえなかったが……母は、今と全く同じ言葉を、何度も言っていたような気がする。あの後、母がノートに書いた言葉も「ごめんね」だった。
当時は「謝らなければならないのは自分だ」としか思わなかった。だが、今は……決して俺を責めず、親側の非を率直に詫びることができる、この偉大な母に、心からの敬意を表したいと思う。「俺は、この母の子で良かった」と、改めて思う。
これから先、どれほどの苦難や変化があろうとも…………俺の【母】は、この人だけだ。
「小野田くんと一緒なら、きっと幸せに暮らせるわ。母さんは応援する」
「い、い、良いのかよ……そんな……」
「良いに決まってるじゃない。30歳の息子が決めた事に、“老親“が口を出してもしょうがないわ」
これほどまでに、あっさりと受け容れられたことが不思議で堪らない。やはり、母は「勘付いていた」ということだろうか。
母は、友達と話す時のような笑顔と仕草で、俺に語りだした。
「前に、小野田くんと一緒に来たじゃない?その日……私、貴方が笑ってるところを、何年ぶりに見たか分からない」
俺は、笑っていたのか?……全く自覚が無かった。
「貴方が笑顔で暮らせるなら、それが一番」
母は本当に偉大だが、恒毅さんもまた素晴らしい人なのだと、改めて思った。
「貴方は……家を出てからのほうが、ずっと元気。それに、逞しくなった」
「そうかな……」
「そうよ。背筋が伸びたし、頭もスッキリしたわ」
髪型は……間違いなくそうだ。家に居た頃は、切れなかった。
「ほらほら。さぁ、食べて。せっかくだから」
母に再度薦められ、俺はやっと茶菓子に手をつけた。いかにも高そうなクッキーだ。食感と香りが、とても良い。
母は真正面から受け容れてくれた。だが、まだ問題は残っている。
「お、親父には……何て……」
「……『おまえの息子でいるのが厭になった!!』って、言ってやれば良いんじゃない?」
母も俺と同じクッキーを食べている。それを持つ手を動かしながら、欠片が落ちるのにも構わずに、俺が言うべき台詞を考えてくれる。
「母さんもね、最近になって……離婚を考え始めたの」
「え……!!?」
「あんな人と2人きりで居るのが、だんだん嫌になってきたわ。今更だけど……」
いよいよ見限られたか、あの糞親父は。
「34年、一緒に居るのかしらね?もう……終わりで良い気がするの」
母が幸せになれるなら、俺もそれでいい。
「だから、和真も突き放してやればいいのよ」
母は小気味よく語るが、それでは まるで【一家離散】だ。
「……母さんは、実家に帰るの?」
「まぁ、それが一番よね。おばあちゃん達は80歳を過ぎてるんだし……」
母には兄と妹がいて、俺には従兄弟が大勢いる。だが、母の両親は子や孫に依存せず、今も2人で健やかに暮らしている。
「……うまくいくと良いね」
「いくわよ。きっと」
父が離婚に応じなければ、事態は拗れるだろう。そうはならないことを、祈るしかない。
「和真は、小野田くんを今以上に大事にしなさいね。私達みたいにならないように」
まるで、結婚を控えた息子にかける言葉だ。
大事にしてもらってばかりいるのは、俺のほうなのだが……それは言わなかった。代わりに、ずっと言いたかったことを口にした。
「俺、母さんの息子で良かった」
「そう?……ありがとう」
母は、存外素っ気なく応えながら、破られたクッキーの袋を集め始めた。
「貴方が、こんな優しい人に育ってくれて、母さんは嬉しいわ」
その時の母の横顔を、俺は生涯忘れないだろう。
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