見出し画像

小説 「長い旅路」 37

37.遠足

 大きく鼻息を吐きながら、サイが乾草を喰っている。この光景は、本当に何度見ても飽きない。俺にとって、クロサイは他の何物にも代えられない、絶大な安心感をもたらしてくれる特別な動物だ。
 最近になって、いよいよ自宅がサイの置き物やぬいぐるみで溢れてきた。もちろん写真集も買ってある。だが、本物は格別だ。

 今日はこの場所で、初めて吉岡先生と恒毅さんの対面が叶った。悠さんは……来られなかった。体調が、依然として芳しくないらしい。とても残念だが、仕方ない。
 今は、3人で柵のすぐ外に並んで立ち、素晴らしい芸術品の鑑賞でもするかのように、誰も声を出さない静かな時間が続いている。
 俺は、この場所の匂いを胸いっぱいに吸い込む瞬間が、たまらなく好きだ。他の草食獣とは、やはり違うのだ。クロサイは、神聖かつ崇高なのだ。

 俺はこの場を離れたくはなかったが、恒毅さんの提案で他の動物を見て廻ることになり、大人しく付き合った。
 広大な園内を歩く間、俺はほとんど何も話さず、先生による極めて専門性の高い動物の解説や、園の歴史にまつわる話を、断片的とはいえ聴いていた。恒毅さんは、終始それらを興味深そうに聴き、時折、気に入った動物の写真を撮った。



 一通り動物を見て廻ったら、園内のフードコートで食事をすることになった。普段は「ぼったくりだ!」と言って小馬鹿にしている先生が、今日は「ご馳走する」と言ってくれた。
 券売機で食券を買い、それをカウンターの向こうに居るスタッフに渡したら、席を探す。屋内の席はほとんど埋まっていたので、確実に3人一緒になれる屋外の席を選んだ。俺達2人が並んで座り、先生がその向かい側だ。

 足元に鳩が うようよいる席で、先生は至って冷静に話しだす。
「そうか。2人とも『小野田くん』になるんだよねぇ……」
その問いかけに、恒毅さんが いかにも照れ臭そうに「そうです」と答える。
「じゃあ、これからは『和真くん』と呼んでも良いかな?」
「はい」
俺は、何も恥ずかしくない。
 やがて、食券と引き換えに渡されていた端末がバイブレーションを伴って鳴りだし、俺達は頼んだものを取りに行く。先生は、ライスがホッキョクグマの形になっているカレー、恒毅さんは、玉子にヒョウ柄の焼き印が付いたオムライス、俺は、レッサーパンダの顔を模った蒲鉾が乗っている うどんを注文した。(サイがモチーフの料理は無かった。非常に悔しい。)
 恒毅さんは「記念に」と全員分の料理を写真に撮ったが、先生は、撮影が終わるなり容赦なくホッキョクグマを ぐしゃぐしゃ に崩して食べ始めた。


 食事が終わり、恒毅さんが「トイレに行く」と言って席を立ってから、しばらく経った。園内は広いのだからトイレまでが遠いだろうし、混んでいるのかもしれない。なかなか戻ってこない。
 すると、先生が思いがけない話をし始めた。
「玄ちゃんが、前とは違う椎茸屋さんで働き始めたそうだよ」
「お、おめでとうございます」
俺は、玄さんの連絡先は知らない。
「奈良県だから、ちょっと遠いんだけど……本人は、すごく気に入ってるみたい」
玄さんは、俺と同じく大阪府内に住んでいる。椎茸の生産量は奈良県のほうが圧倒的に多いのだから、椎茸栽培の仕事にこだわるなら、勤務地が奈良県となる確率は高いのだろう。
「興味はある?」
「え……」
「そこも『A型』なんだ。利用者は随時募集中だよ」
A型作業所という所に、あまり良い思い出はない。狭苦しい場所で虚仮こけにされ続けた記憶と、しょっちゅう癇癪かんしゃくを起こし、そのたびに隔離されていた記憶しかない。
 だが、椎茸栽培の仕事には未練がある。一度も現場に出してもらえなかったのだから。

 俺は「興味がある」と答えた。すると、先生は何やら得意げに「よしきた。任せろ」と言い、カーゴパンツのサイドポケットからスマホを取り出した。
 すぐさま、俺のスマホに椎茸屋のホームページと求人票が送られてきた。
「一読してくれたまえ」

 その後、戻ってきた恒毅さんの前でその話は一切しなかった。


次のエピソード(最終話)
【38.旅の果て】
https://note.com/mokkei4486/n/n35eb53aa0c3d


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?