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小説 「僕と彼らの裏話」 50

50.逆鱗

 僕は、出勤前には必ず洗濯をして、晴れていれば洗った物をベランダに干してから出かける。それらを乾いた後に取り込む作業は、千秋に任せている。彼女は、伸縮性のマジックハンドを巧みに使い、独りでも問題なく洗濯物を取り込める。(ただ、重みのある布団や毛布の類を扱うのは難しいという。)
 僕がベランダに出て洗濯物を干している時、必ず千秋が様子を見にくる。毎回、僕の姿が見える位置に陣取って、何かと話しかけてくる。そして、僕が作業を終えて家の中に入るまで、絶対に窓を閉めさせない。
 僕が「駅で見たように、唐突に錯乱して飛び降りるかもしれない」と、本気で警戒しているのだろう。「そんなことはしないよ!!」と言ってやりたいけれど、残念ながら「断言」は出来ない。情けないようにも思えるけれど、自分自身の体調や心境の変化が、自分でも なかなか読めないのだ。


 この日は休みだったけれど、僕は普段と同じ時間に起きて、いつも通り洗濯物を干していた。
 彼女が見守る中、何事も無く作業を終え、空になった洗濯カゴを持って室内に入ると、千秋は何故か不機嫌そうに声をかけてきた。
「稔さぁ……そのダッサいTシャツ、どこで買ったの?」
「え、これ?……修平に貰った。知床のお土産」
僕が今着ているのは、すっかり洗い晒した土産物のTシャツだ。某有名スポーツブランドのロゴマークをもじった、パロディー商品である。確かに「ダサい」とは思うし、それこそが「売り」の商品であることも知っている。……とはいえ、部屋着としては申し分ない着心地と耐久性で、そこは気に入っている。もう何年も着ているから、それなりに愛着もある。
「そんなの、棄てなさい!!」
「なしてさ!!?」
彼女は、どうやら冗談ではなく本気で言っている。すごい剣幕だ。
「あいつが買った服なんか、見たくない!!……気持ち悪いから、棄てなさい!!」
しかし、いくら何でも酷い言い草だ。
「な、なして、そこまで修平を嫌うんだよ!?」
「あんたには関係ない!」
「あるっしょや!!あいつが『同窓会しよう』って言わなかったら、この結婚 無かったんだぞ!!?」
「知らないわ、あんな無礼者!!」
「何したん?あいつ……」
万が一、彼女の心的外傷トラウマになるほどの、ひどい侮辱や嫌がらせであったとしたら……僕としても、黙ってはいられない。
 彼女は、僕に背中を向けて黙り込んだ。
「……どうしたんだよ?」
 答えるか否か、相当 迷ったのだろう。かなりの間があった。それでも、彼女は打ち明けてくれた。
「あいつは…………あいつは、私の『本体』を見て、めそめそ泣きやがったの!!」
今にも泣き出しそうな、震えを伴った怒鳴り声だった。
 彼女が『本体』と呼ぶものは、無論、義足を外した状態の、自身の脚である。

 僕は、洗濯カゴを床に置いて、彼女の側へ歩み寄る。いつものように床に座るかどうかを決めかねて、ひとまず腰をかがめた。
 彼女の話によると、僕が復職した後、修平が一人で彼女の家を訪ねたことがあったらしく、その時、彼女は あえて「普段通り」の姿で修平を出迎えたという。驚いた修平は、玄関先に立ったまま、静かに泣き始めたのだという。そして、家に上がった後も「知らなかった」「すまなかった」と、泣きながら頭を下げ続けていたという。
「その時……『こいつは、すごく不幸せな人間だ』って、決めつけられた気がして…………私、無性に腹が立って……!!」
彼女の言い分も解らなくはないのだけれど、やはり……それなりに親交のあった同級生が 身体の一部を失ったとなれば、誰だって少なからずショックを受けるだろう。ましてや、修平は、授業参観で一度会っただけの僕の父親が死んだ後、実子の僕よりもずっと激しく泣いていたような奴だ。学校帰りに、遺された僕や母を気遣い、泣きながら「俺に出来る事はあるか」と問うてきたような奴なのだ。
「修平、優しいから……きっと『すごく痛かっただろうな』とか『苦しかっただろうな』とか……そういうことを、思ってしまったんだと思う」
「同情とか要らないの、私は!!」
今 身体に触れたら、引っ叩かれそうだ。
「私は今、それなりに人生を楽しんで、健やかに暮らしてるの!!『事故のショックで精神を病んで、ひきこもってる』とかじゃないの!!!」
「……あいつが、そんなこと言った?」
「それに近しいことを言ったの!!」
過去に2人が交わしていたメールの内容も、影響しているかもしれない。とはいえ、彼女の境遇だけを理由に「だから精神を病んでいるに違いない」と決めつけたのだとしたら、やはりそれは【偏見】だろう。
「私は!あんなクズ野郎と離婚できて良かったし!まるっきり奴隷みたいな教職を辞められたし!新しいパートナーが見つかって、素晴らしい友達も出来たの!!嘘偽りなく『幸せ』なの!!……くっだらない同情で、水を差さないでほしいの!!」
怒りの やり場が無いらしく、彼女は車椅子のアームレストや自分の脚を ばんばん叩いたり、上を向いて大声を出したり、落ち着かない。
「後ろに ひっくり返っちゃうよ……」
僕は彼女の後ろに回り、転倒しないようにグリップを掴んだ。
 彼女は、頭を抱えて大声で喚きながらも、暴れるのは やめた。
「ごめんよ。妙なこと訊いてしまって……。僕が悪かった」
その時に触れた肩が想像以上に硬く、僕は半ば独断で彼女の肩を揉んでやることにした。まずは さすってみて、特に硬そうなところを、重点的に ほぐしてみる。
 彼女は、少なくとも拒絶は しなかった。何度も ため息をついているし、頭の中は今も腹立たしい事で一杯なのだろうけれど、黙って僕に体を預けてくれている。
「……哲朗さんがさぁ、すごく巧いんだよ。こういうの」
「ふーん」
まだまだ、怒りは治まっていないらしい。
「いや、マジでプロみたいだから。びっくりするほど楽になる。すごく よく眠れる。……今度やってもらいな」
「うん……」


 千秋の言い分は、よく解る。彼女の性格からしても、修平の「涙」や「的外れな同情」が、逆鱗に触れてしまったのだろう。
 とはいえ、修平に悪意があったとは思わないから、僕は彼を責める気にはなれなかった。
 千秋が何故 怒ったのか、彼との連絡を経ったのか……折を見て、僕から修平に話そうと思う。


 いずれにせよ、彼女に「嘘偽りなく幸せ」と言ってもらえたことが、僕は嬉しかった。

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【51.世に遺す意義】
https://note.com/mokkei4486/n/n8d9b2215fa13

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