長い旅路 24
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長い旅路 24

24.違う空気を吸う

 先生の薦めで「ヘルプマーク」を荷物に ぶらさげて、恒毅さんとの旅行に出かけた。2泊3日の日程である。
 彼に指定された駅で待ち合わせ、そこから高速バスに乗る。
 ほんの数時間で目的の温泉街に到着し、まずはバス停近くの土産物屋を覗いて「帰りに買う物」に目星をつける。帰りも同じバス停から乗車するためだ。

 その店の向かい側に、何とも趣きのある、壁がすっかり蔦に覆われた喫茶店があった。(喫茶店は2階部分のみで、1階は別の店舗だ。)
 宿のチェックインまでは、まだまだ時間がある。彼の発案で、俺達は その喫茶店でガイドブックを開いて『作戦会議』をすることになった。
 注文した飲み物が来るまでの間に、彼が、テーブルに置かれた砂糖壺を指して「喋りだすかもしれない」などと冗談を言ったが、何が面白いのか、俺には解らなかった。
 俺は、そんなことよりも温泉施設が気になって仕方がなかった。

 彼は意外にも慎重派で、俺が「長時間の移動で疲れている」ことを前提に、初日の今日は宿泊先の温泉だけに入ろうと提言し、チェックインの時間までは、今 居る店の近辺で、ご当地ならではの雑貨が買える店を見て廻りたいと言った。
 俺は、従うことにした。


 彼の希望で覗いた雑貨屋には、湯の花や手ぬぐいといった「温泉街らしい」土産物もあったが、楽器を演奏する動物の置き物とか、何故か数千円もする雨傘とか、「物忘れを防ぐパン」とか、何やら怪しげな物も売られていた。
 俺は置き物の写真をカシャカシャ撮っただけで、何も買わなかった。ブリキで作られた蛙や、陶製の……猫だか兎だか判らない奇妙な動物達が、なんとも得意げな顔で、様々な楽器を持っている。音が鳴る仕様ではないが、これらを飾れば庭や玄関先が「賑やか」になりそうな、躍動感がある。
 彼は、自宅用にとフェイスタオルを何枚か買っていた。


 宿を目指して、先生宅に向かう道よりも長くて急な坂を登る。途中、何台もの高級車が俺達を追い抜いていった。ナンバープレートの地名は、バラバラだ。全国から観光客が来ている。
 道中で、彼は郵便ポストについても「喋りそう!」と言ったが、やはり俺には面白みが解らなかった。俺の知らない漫画か何かに、そんなシーンがあるのだろうか……?

 宿に着き、部屋に入るなり、互いに「お疲れー」と言いながら荷物を置き、畳に寝転がる。彼の家には和室が無いため、藺草いぐさの匂いだけでも「旅行気分」を実感するという。
 俺としては……先生宅の畳のほうが、馴染みがあって安心できる匂いである。

 一休みしたら、着替えを持って浴場に向かう。2人とも、湯上がりには「浴衣を着ない派」である。家から持参した、普段から着慣れているジャージやTシャツでなければ、嫌なのだ。


 広い浴場の隅で、横並びになって体を洗う……それだけで、俺の頭の中は もう、あの【太陽】と云うべき人にまつわる、大切な記憶で一杯だ。
 何度……彼と、こうして並んで、切実な相談をしたか分からない。
 彼の答は、いつも至極 大人びていて、それでいて語り口は優しく、柔らかく……幾度となく、底知れない勇気をもらった。
 どれほどの逆境であっても、彼に逢えるからこそ頑張ることが出来たし、どれだけ身体が傷んでも、懲りずに そこで戦い続ける【価値】が在った。
 そして、人にも鶏にも優しい……生き物をみだりに傷つけない、本来【当たり前】であって然るべき、彼の良心的かつ『先進的』な考え方が、本社の経営陣に認められれば……自社の労働環境と飼育環境は、間違いなく「良い方向に変わる」と信じていた。衛生レベルを上げて、ハラスメントを減らし、人の居心地が良くなれば……離職率は下がって商品の質が安定あるいは向上し、会社の評判は上がり……利益が伸びて、もっと良い設備に造り変えることが出来る日が、いつか来ると信じていた。
 彼の考えと信念を【形】にするための『手駒』になれるなら……自分の生命は、さほど惜しくはなかった。

 初まりは紛れもなく「恋情」であったはずのものは……いつの間にか、度を超した【忠義】に変わっていた。まるで、どこかの国の兵士のような……「死をも厭わない」精神状態に陥ってしまったからこそ、俺は「自らの死をもって、劣悪な労働環境に抗議する」という手段に出たように思う。
 彼の機転によって、一命は取り止めたが……生き物の命を奪い続けた【報い】は、身体に刻み込まれたままだ。罰として「生きたまま、苦しみ続けろ」と、神か何かが決めたに違いない。
 飼育環境がどうなどと、偉そうなことを宣いたが……結果的には、至極劣悪なバタリーケージのことや、人材間の数えきれないハラスメントについて、上層部に対し建設的な意見を述べるだけの度胸も、時間的な余裕も無く……ほとんどマニュアル通りに、夥しい数の鶏を、食肉にすら ならない【不毛な死】に至らしめた。「雄である」というだけで殺した雛の数は計り知れないし……採卵鶏は、名実ともに『産む機械』であって、動物園で行われているような【環境エンリッチメント】や【終生飼養】は、ありえない。(本来「雌だけが入荷される」はずの農場に、万が一 雄の雛が紛れ込んでいた場合……『産廃』にしかならない。)
 俺一人が、彼の『教え子』や『手駒』を気取って、足掻いてみたところで……残酷な実態は、何も変えられなかった。
 あの鶏達の「幸せな来世」を、願わずにはいられない。


 浴場に居る間、俺は重苦しい考え事が止められず、ほとんど口を開かなかった。
 俺の「場面緘黙」のことを知っている恒毅さんは、ずっと黙っていることについて特に言及しなかった。一足先に浴槽に浸かり、俺が後から入ると、いつもと変わらない調子で泉質の解説を始めた。
「これが『金色こんじきの湯』だよ!」
彼が両手で掬ってみせた それは、俺には、鉄錆が溶けたような「赤茶色」の濁り湯に見える。
 彼が言うには、この湯は空気との化学反応(中に含まれる鉄分の酸化)によって、浴槽に溜めた後、時間の経過と共に色が変わっていくらしい。今はすっかり茶色だが、陽の光を受けて「金色」に輝いて見える時が、必ず在るという。
「明日は『銀色』にも入ってみようよ!」
俺は頷きで応える。
 彼は いつも、俺に「笑い方」を教えるかのように、よく笑う。


 風呂から上がり、互いにペットボトルを片手に部屋へ戻ってから、彼が訊いた。
「知らない人たくさん居て、緊張した?」
それもある。
 水分を摂ってから、黙々と棚を開けてハンガーを取り出し、室内に2人分のタオルを干していたら、彼が「ちょっと、ほぐしてあげようか?」などと言い始めた。
 返答に困っていると、彼は「いいから、いいから!」と言って、俺を適当に座らせて、肩を揉み始めた。
「うわぁ、温泉入ったのに硬いよ……!?」
よく言われる。先生や、先生宅のハウスキーパーの坂元さんが、時々 肩や背中のマッサージをしてくれるが、毎回「硬い!」と驚かれる。
「緊張して、固まってる時間が長いんでしょ、きっと……」
あまり自覚は無いが、きっと そうなのだろう。
「気分悪かったら、言ってよ?」
悪くはない。
 彼の手技は、先生には及ばないが、坂元さんよりは巧い。

 彼には、自分の過去のことは ほとんど何も話していない。「サラリーマンだった頃に大きな病気をした」とか、父との関係性が悪いことくらいしか、伝えていない。
 彼自身の気が済むまで上半身を揉んでくれた後、次は脚をやろうかと問われた気がするが、俺は まったく違うことを訊いた。
「恒毅さんは……俺と居て『楽しい』んですか?」
単純に、あらかじめ用意していた質問を ぶつけただけだ。
「もちろん!だから誘ったんだ」
彼は、俺の肩に手を置いたまま、耳元で答えてくれた。
「僕は『陰キャ』だから……物静かな人、好きだよ」
果たして、彼は「陰気」だろうか……?

 これが拓巳なら、このまま後ろからハグをするぞ……と思っていたら、彼もそうだった。
 風呂上がりなだけあって、大いに互いの「拍動」と「血行」を感じる。熱い。
「和真は、僕の話を茶化さないから……安心して話せる」
親から受けた虐待の話を茶化すほど、落ちぶれてはいないつもりだ。それを「笑い飛ばす」権限があるのは、本人だけだろう。

 彼の息遣いは、まるで咽び泣いているかのようである。

 彼の母親は、高校在学中に彼を妊娠し、卒業を待ってパートナーと結婚した後に出産したが……数年で離婚し、シングルマザーとなった。彼には、父親に関する記憶は無い。
 母親は、成長と共に別れた元夫に似ていく彼を「穢らわしい」と忌み嫌い、また、授かった時期を鑑みて「おまえさえ居なければ、大学に行けた!」「堕ろせばよかった!」という【後悔】と【憎しみ】を、日常的に息子に ぶつけてきたという。
 存在そのものを全面的に否定されながら育ってきた彼の心には……今も、大きな穴があいている。
 母親からの愛情を実感したり、褒められたりした記憶が無い彼は、どこで何をしても「認められるわけがない」と感じていて……何を手に入れても、成し遂げても、決して「満たされない」のだ。


 しばらく俺の耳や首筋に鼻を寄せていた彼は、唐突に正気に戻ったようで、手を離し、俺の正面に回り込んで、真っ赤な顔で、土下座でもするように詫びた。
「ご、ごめん……!いきなり……変なこと……」
特に、何もされていない。不快でもない。
「晩飯は……どうしましょうか?」
「和真、お腹はどう……?」
よく温まったので、調子は良さそうだ。


 せっかくの二人旅だというのに、目の前に居る彼との対話を疎かにしていたことを、恥じなければならない。


次のエピソード
【25.安心】
https://note.com/mokkei4486/n/n212241da6fcd
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