見出し画像

小説 「長い旅路」 25

25.安心

 翌日は、贅沢にも昼間から日帰り浴場に入った。「銀色」と聴いていた湯は、無色透明だった。しかし「金色」と対比するなら、確かに銀である。
 宿泊先のものよりは小規模な浴場で、客も少なく、落ち着いて入浴することが出来た。
 個人的には、こちらの泉質のほうが気に入った。

 風呂から上がり、入浴前と同じ衣類を再び着たら、しばらく休憩することにした。
 脱衣所の外にある自販機で瓶入りの乳飲料を買い、テレビが設置された休憩スペースで、革張りの長椅子に座って、ちびちびと飲む。彼は、それを2口ほどで空にしてしまい、2本目を買いに行った。
「絶対、昔より小さくなってるよね?これ……」
不満げに言いながら戻ってきて、2本目も あっという間に飲み干した。
 俺のほうは、温めた腹に冷たい飲料を入れる時、多少なりとも気を遣う。
「この後、どうしよっか?」
特に、思いつかない。この旅行の主たる目的は「温泉に入ること」だ。それさえ果たしてしまえば、あとはもう、彼に任せる気でいた。
「俺はもう……あとは、お土産を買えれば、それで……」
「和真、疲れてる?」
「少し……」
熱い湯に長時間入るのは、体力を使う。
「無理しちゃ駄目だからなぁ……どうしようか」
「恒毅さん、一人で街を廻ってくれてもいいですよ」
「そんな寂しいこと言わないでよ!」
彼は、空き瓶を手に大声で笑う。


 その後、特に行き先は決めず、温泉街に並ぶアート作品や鬼瓦、歴史に関する解説が書かれた看板等をカシャカシャと写真に撮りながら、のんびり散策した。
 それぞれ顔が違う鬼瓦の写真を、何枚も悠さんに送った。


 夕食の前に、一旦 宿に戻って休憩することになった。
 彼は「布団を敷くには早い」と言ったが、俺は眠くて仕方なかった。押し入れから枕を2つ取り出して、片方を彼に渡してから、畳の上で横になった。

 布団の上でもないし、まだ外が明るい時間だったが、温泉で温まった身体は、信じられないほど あっさりと眠りに落ちた。
 つい先ほど彼と見た川やアート作品を、夢の中でも見て歩いていた。

 それは やがて、旅行の思い出について課長に語る場面に変わっていた。
 夢の中では、課長は吉岡先生の「親戚」であるようで、あの家に彼が居るのだ。当たり前のように4人で一緒に食事をした後、俺は彼にスマホで写真を見せながら、旅行の思い出を語る。
 先生が食器を洗っていて、悠さんは俺達の後ろから一緒に写真を見ている。
 幸せな夢だった。


 目を開けると、そこは温泉旅館の一室だ。当たり前だ。俺はまだ、彼との旅行中なのだ……。
 彼は、座って黙々とスマホを見ている。
 俺も、起き上がる。
「おはよう、和真…………大丈夫?」
(何が、ですか?)
疑問に思った瞬間に、自分の頬に涙が伝っていることに気付いた。
 いつものことだ。課長の夢を見たら、いつも涙が溢れている。
「どうした?」
何と答えよう。せっかくの二人旅の最中、全く知らない人の話などしても、彼は喜ばないだろう。
 黙りこくっていたら、彼がスマホを置いて俺の手を握った。
 そのまま、しばらく黙って俺の眼を見ていたかと思ったら、小さな声で何か言いながら、俺を抱き寄せた。
 彼の鼓動を、肌で感じる。
「大丈夫だよ、和真……。ここまで……そいつらは、来ないから……」
彼は、俺が「恐ろしい夢を見て、泣いている」と、思っているのだろう。小さい子どもが泣いている時にするように、抱き寄せたまま、背中を優しく叩き始める。
 そこまで幼くはないつもりだ……などと思っていたが、俺は、彼の家で発作的な恐怖心に駆られて【警告】を叫んだ挙句、意識が吹っ飛んだこともある。
 再び同じことが起きるかもしれないと、彼は危惧しているのだろう。
「先生じゃないけど……僕なら、ここに居るから……」
 彼の声も、優しい。

 俺には、未だに「自分が消え入りそう」に感じる瞬間が在るが、こうして彼の身体の温かみを実感していられたら、自分にも「身体」があることを改めて自覚することが出来て、とても安心する。自分は、この部屋にある布団や机と同じような「物品」とか「景色の一部」ではなく……生きた【個体】として、この世に存在しているのだ。
 自分達は【生き物】であり、生命と心を有しているのだ。物ではない。虐げられれば、傷つく。あるいは……憤る。
 俺達にも【自尊心】と【矜持】がある。

 彼の温かみに触れて、俺は目が覚めた。
「恒毅さん。俺、もう……」
落ち着きました、大丈夫ですと、言おうと思って身じろぎしたら、彼は すぐに気付いてくれた。
「落ち着いた?」
「はい……」
「良かった」
 彼は、旅行前に先生に刈ってもらった俺の頭を、わしわしと掴むように撫でた。
「僕の『わがまま』に付き合ってくれて、ありがとう」
「……俺も、楽しいですよ」
「本当?……良かった」


 夜は、彼の希望で すき焼きを食べたが、俺の胃は牛脂に負けなかった。(彼が1.5人前を食べることになったが。)
 久方ぶりに、物を食って「美味い」と感じた気がする。


次のエピソード
【26.帰宅】
https://note.com/mokkei4486/n/n55eb293d7ed7

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?