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小説 「僕と先生の話」 21

21.トップシークレット

 あれから一週間くらい経つけれど、先生は頭が涼しくなって快適らしく、また、執筆が順調に進んでいるので、機嫌・体調は、すこぶる良さそうに見受けられる。
 彼が先生に殴られたというのは、おそらく何年も前のことだろうし、今後、僕が怪我でもして、パワハラだ労災だ何だと揉めることを警戒して「先生の病態については説明した」という事実を作っておきたかったのだろう。

 いつものように、先生と一緒に昼食を摂る。先生は、内線の無い1階で仕事をするようになってからは、12時頃になると、自分からリビングに来てくれる。
「先生、今は小説を書かれてるんですか?」
「おや。岩くんから、何か聴いたのかい?」
「先生は、複数のペンネームを使い分けて、絵本以外にも、小説や実用書を書いたり、雑誌や新聞に載せる記事を書いたりされると聴きました」
「あぁ、そんな言い方をしたのかい。まぁ、別にいいのだけれども……。
 法人名で出される実用書とか、雑誌や新聞の記事は、実際に私が別名義や本名で寄稿しているから。
 ただ、小説に関しては、私は小説家に原案を提供しているだけで、小説そのものを書いているわけではないんだ」
「え……『ゴーストライター』ですか?」
「それも、少し違うなぁ……。
 私が書き殴った原案を、きちんとした小説の形にして、世に送り出してくれる、奇特な友人が居るんだ。出版社側の人とやり取りをしたり、サイン会や授賞式に出たりするのは、全部、彼女の役目だよ。表向きには、彼女が一人で全てを書いたことになっているから」
「……それ、先生にお金は入るんですか?」
「少し」
本当に、微々たる金額である気がしてならない。
 先生ご自身が、それで納得しているなら、良いのだけれど……。
「小説そのものには彼女のアイデアも多分に含まれているし、私は、自分には出来ないことを、彼女に託して、代わりにしてもらっているだけだから……彼女の作品として扱われることに、異論は無いよ。
 私には、テレビ局や映画会社の人との打合わせなんて、到底できない。人前に出るようなイベントも、私なら卒倒してしまう……」
「……え、小説は映像化されてるんですか?」
「私一人なら、ただの『落書き』で終わっていたよ。彼女の文才と根気は、素晴らしい」
「え、あの……資料室に、その本ありますか!?」
「それは言えない。トップシークレットだ」
「そんなぁ……!」
「秘密にするという、契約なんだ」
「……わかりました」
 僕は、資料室内に「ある」と思う。


 先生は午睡をした後、一人で散歩に出かけ
た。僕は、応接室の掃除に着手した。
 小一時間で帰宅した先生は、菓子や飲料が入ったエコバッグを提げていた。玄関で出迎えた僕に「2階で、少し内職をするよ」と告げ、そのまま階段を上がっていってしまった。
 僕が掃除を終えて2階に上がると、先生が食卓の上で茶葉のようなものを広げ、手で ほぐしていた。(食卓には、使用済みのカレンダーらしき大きな紙が敷かれ、その紙の上で、乾いた葉が広げられている。)
「それ、何ですか?」
「煙草の葉だよ」
「煙草!?」
「これから自分で巻くんだ」
「先生、煙草吸うんですか!?」
「たまに吸うよ。
 若い頃は、毎日吸っていたけれども」
先生は「脳に悪いから」と言って絶対に酒を飲まない人だし、医学に詳しい人だから、人体への有害性が明白な煙草なんて、吸うわけがないと思っていた。
「私だって、大昔はサラリーマンだったんだ。……日本の会社というのは、業務上の重要なことは ほとんど全て、男子更衣室の中か、喫煙所で決まってしまうのだよ。だから、煙草を吸わない女性には、ほとんど情報が入ってこないんだ」
「それで、煙草を?」
「それだけが理由ではないけれども。きっかけのひとつだね」
昔話をしながら、専用の器具に紙とフィルターをセットして、ほぐした葉を詰め込み、慣れた手つきで巻いていく先生。
 巻けたら、切手を貼る時みたいに、事務用のスポンジで濡らした指で紙の端を湿らせ、糊づけする。それを、しばらく食卓の上で乾かす。
 糊が乾いて完成した煙草を、金属製の煙草入れに次々と しまっていく。
「美味しいんですか?煙草って……」
「うまく出来れば、美味しいよ」
葉の銘柄はもちろん、包む紙やフィルター(口にする部分)の種類によって、煙の味や吸った後の感覚が、ずいぶん違うらしい。巻き方や素材の組合せについて「研究」するのも、楽しいのだという。
 僕は、受動喫煙なら飽きるほどしてきたけれど、自分も吸ってみようと思ったことは一度もない。煙なんかを「美味しい」と言う感覚も、理解しかねる。
「私は、3階のベランダでしか吸わないことにしているんだ」
アトリエの外にある、あそこか。知らなかった……。
「夕食までには片付けるよ」
「よろしくお願いします」


 夕食後、僕は後片付けを済ませてから、資料室に行った。先生が原案を提供しているという小説について、推理してみたくなった。
 絵本作家「吉岡よしおか りょう」としてのデビュー作よりも後に出版された、女性作家による小説で、ドラマ化やアニメ化がされているものは……複数ある。それぞれの作家について、インターネットで調べる。しかし、特定に繋がるような情報は何もない。蔵書の本文を読んでみても、絵本である吉岡作品とは明らかに文体が違うものばかりで、関連性が見えてこない。
(ここには、無いのだろうか……?)

 子供じみた詮索に興じていると、先生の寝室から、スマートフォンの着信音が聞こえてきた。結構な大音量で、激しいバイブレーションも伴っている。
 しかし、先生は今1階で執筆の続きをしているはずだ。……午睡をする時に持ち込んでから、ずっと寝室に置きっぱなしなのだろう。
 寝室には「入るな」と言いつけられているけれど、仕事の電話かもしれないし、1階にいる先生に「3階で電話が鳴ってました」と告げるだけで持参しないというのも、妙な話だ。
 僕は「緊急事態だ」と見なし、先生の寝室に侵入した。特に変わった様子のない洋間にカーペットが敷かれ、奥には畳まれた布団が積んである。その近くの床の上で、コンセントに繋がったままのスマートフォンが激しく鳴っている。
 充電コードを抜き、念のためカバーを開いて、画面に表示されている名前と番号を見た。
 表示されていたのは、僕が半年前に辞めた会社……善治の勤務先の名前だった。


次のエピソード
【22. 戦場へ】
https://note.com/mokkei4486/n/naeeff69fef33

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