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小説 「僕と彼らの裏話」 46

46.静閑の地

 約束の日。僕は指定された駅まで、車で先生を迎えに行った。駐車券が必要な駐車場に停めることはせず、駅前の車道で幅寄せして先生を拾う。
 ご自宅のほうは、悠介さんと共に藤森さんと哲朗さんが留守番をしてくれるから大丈夫だという。(哲朗さんは、相変わらず「睡眠不足」を理由に訪ねてきては、和室に泊まっていくという。)

 僕らの、今日の行き先は、市街地を遠く離れた山の上にある長期入所対応の療養施設だという。助手席に座った先生は、施設の名称をすっかり憶えていて、それを短い信号待ちのうちに、迷わずカーナビに入力していく。
「そんな所に、お知り合いが いらっしゃるんですか?」
「あぁ、そうだよ。悠介の、会社の先輩。私よりは……1つ歳下かな?」
(40代か……)
とはいえ、そんな所に入所しているなら、もう退職済みだろう。よほどの大怪我をしたか、難病にでも罹ってしまわれたのだろうか……。
「君も……会ったことは、ある人だよ」
「え……!?」
「悠介の、中途採用の面接があった日……君が、現場で まじまじと手元を見ていた彼さ」
「あぁ!」
その出来事は、憶えている。あの時、僕は彼のあまりにも洗練された動きと、高い技術力に見惚れてしまい、吸い込まれるように、手技に見入っていたのだ。
 しかし、彼と会話をしたわけではないし、容姿も、はっきりとは憶えていない。日本であれば どこにでも居そうな、あまり目立たない感じの成人男性……という程度の印象しか、残っていない。その彼が「数年前に辞めた」というのは知っていたけれど、それが傷病による退職だとは知らなかった。単なる転職だと思っていた。
「彼こそが……『石川さんの、次の常務』として、社内の全員から期待されていた人物だよ」
 その一言で、これまで心に引っかかっていた疑念の全てが、腑に落ちた。社長の兄は、言うなれば「消去法」で常務になっただけなのだ。


 

 途中で何度かコンビニに立ち寄りながら2時間半くらい走って、目的地に到着した。
 中規模な病院と ほとんど変わらない外観の施設で、広大な駐車場を有し、山頂に ぽつんと建っている。駐車場は、職員用以外はガラガラだ。
 車を降りると、吹き渡る風は涼しく、湿った土の匂いがした。どことなく、懐かしい気持ちになった。
「この『静けさ』も、恋しくて……免許のあった頃は、何度も来たよ」
静寂を愛する先生らしい、と思った。
 施設の敷地内には、入所者が職員や家族と共に散策が出来るような庭園もある。
 敷地外の、はるか遠くには海が見える。
 こんな所で、陽に当たりながら読書が出来れば……確かに気持ちが良いだろう。

 いよいよ建物の中に入り、閑散とした受付で、所定の用紙に氏名や住所、その場で測定した体温を記入したら、用意されたアルコールで手指を消毒して奥に進む。
 廊下の案内板を見る限り、入所者が生活する部屋は男女別の大部屋が2つあるだけで、リハビリや入浴に使われる部屋のほうが、圧倒的に多い。
 先生は、迷わず男性用の居室に入っていく。


 開放的な空間に、20台くらいの病床が広々と間隔を開けて並んでいて、ほとんど全てが埋まっている。壁側に頭を向け、互いに足が向かい合うよう寝かされている人達は、おそらく……全員が、いわゆる『植物状態』か、それに近い容態だろう。ほぼ全員が人工呼吸器を使用しているようだし、褥瘡じょくそう(床ずれ)や筋肉の拘縮こうしゅくを予防するためのクッションやサポーターが、大いに活用されている。
 数々の医療機器に囲まれた入所者同士の間に、仕切りは無い。(ビニールのカーテンは一応あるけれど、その全てが全開だ。)ずっと眠ったままの彼らが、互いの姿を見ることは無いのだろう。そして、そんな彼らに会いに来る人も、決して多くはないのだろう。

 部屋の入り口付近に、職員達の簡素な詰所がある。(病院であれば「ナースステーション」にあたる本格的な詰所は、この部屋に来るまでの廊下に在った。)入所者達の日頃のケアのため、あるいは何らかの装置が「異変」を告げた際に然るべき対応をするため、そこで待機している職員達と、先生は慣れた様子で挨拶を交わす。そして、詰所の反対側の壁の前に重ねてあった丸椅子を勝手知ったる様子で一つ手に取り、迷わず奥に進んでいく。僕も、同じように一つお借りして ついて行く。

 奥から2番目の病床に居た入所者に、先生が声をかけた。
「やぁ、穂波くん。久しぶり」
予想はしていたけれど、様々な医療機器に繋がれて、深緑色の抱き枕のようなクッションに手足を置いて仰向けに寝ている彼は、目を閉じたまま、何の反応も示さない。一定のリズムで動く、人工呼吸器の音だけが返ってくる。
 呼吸器は、気管切開された喉元に接続されている。口からは、唾液を回収するためであろうチューブが出て、それが小さなポンプに繋がっている。到底、口話が出来る状態ではない。
 彼の容姿についておぼろげにしか憶えていなかった僕でも、彼が「すごく痩せた」というのだけは解る。あの過酷な現場で鍛え上げられていたはずの筋肉は、もう使われなくなって久しいようで……すっかり萎縮している。腕がすっかり細くなった分、肘の関節や、手が大きく見える。(手首の拘縮防止用の黒いサポーターは、ボクサーが使うバンテージのようにも見える。介護用品らしからぬ、かっこいいデザインだ。ご家族が選んだ私物だろうか。本当にスポーツ用品かもしれない。)
 短いひげが生えているけれど、全体的には清潔感がある。施設の規模が小さい分、大病院よりは高い頻度で清拭や洗髪をしてもらえるのだろう。そして、筋肉量の減少で痩せてはいるけれど、肌艶は良いし、頬までは こけていない。彼は日々ここで、質の高いケアを受けられているのだろう。
 先生は、何食わぬ顔で丸椅子を床に置き、彼の頭の近くに陣取る。そして、今日の同行者が悠介さんではなく僕であることや、その僕が何者なのかを、応えることの無い彼に、至極 当たり前のように説明する。その後、僕にも「ほらほら、自己紹介」と促し、僕は、先生と同じように座ってから、いつどこで彼に会ったのかという事実だけを ひとまず伝えた。
 彼は、瞼すら動かさない。
 それでも、先生は「手土産」として道中で買ったペットボトル飲料について彼に伝えて「後で飲ませてもらいな」と言った。(おそらく、彼は それを口からではなく「胃ろう」から注入してもらうのだろう。憶測に過ぎないけれど。)
 先生は「たまに目を開ける時がある」と言って、なんとも涼しげな丸刈りになっている彼の頭に触れた。頸椎を著しく損傷し、嚥下機能や自発呼吸さえ失われているような彼に、気付いてもらうとすれば、光か音声による刺激を与えるか、理論上は触覚が残っているはずの、頸よりも上の部位に触れてやるしかないのだという。それでも、反応があること自体が非常に稀で、明確な意思の疎通など全く出来ない状態が……4年近く続いているという。
 今も、頭に触れたからといって、特に何も反応は無い。
 先生が、そんな彼の耳に向けて つらつらと近況を話している間、僕は彼のベッド周りに飾られた精巧な千羽鶴とか、4〜5歳くらいの子が描いたと思われる絵を眺めていた。かろうじて「人だ」と判る程度の拙い絵の近くに、幼い字で「ぱぱ」と書いてある。文字では なさそうな紋様も、たくさん描かれている。
(あぁ、そうか。子どもが居るんだ……)
これを描いた子は、離れて暮らさざるをえない、眠ったままの父親のことを……どう捉えているのだろう?
 改めて、彼の頭の近くにあるネームプレートに目をやると「穂波ホナミ ワタル」と書いてあった。


 帰るのに かかる時間を考慮して、話は小一時間で切り上げた。僕らは、彼に「また来る」と約束してから、駐車場に戻って車に乗り込んだ。
「まぁ……彼は、ずっとあんな感じさ」
それでも先生は、会いに来る。工場長や先代の常務が、来たことも……あったかもしれない。ご家族だって、来るだろう。
「お子さんの描いた絵が、ありましたね」
先生は、シートベルトを締めながら「あぁ」と応える。
「あれを描いた娘さんは…………もう、亡くなってしまった。彼が、怪我をする前に」
あの絵は、彼にとって「大切な娘の遺品」だったのか……。
「病気で、ですか……?」
「いや……交通事故だね」

 その後、動き出した車の中で先生が語った彼の半生を、僕は生涯 忘れられないだろう。
 他社での冷遇や体罰を苦に転職し、25歳で あの町工場に移ってきたという彼は、新天地においては誰もが認める優秀な旋盤工であった。そして、どれだけ売上を伸ばそうとも決して威張らない謙虚な姿勢が、社内外で人望を集めた。
 そんな彼は、29歳の時、7歳年下の女性と結婚した。……しかし、その8年後。待望の出産から1ヵ月も経たないうちに妻は死去し、遺された娘と共に やむなく実家に身を寄せてからというもの、彼は再婚もせず、自身の両親と助け合いながら懸命に働き、娘を育ててきたという。
 だが、その大切な一人娘も、小学2年生の時、学校帰りに大型トラックに撥ねられ、あっけなく世を去ったという。
 妻だけでなく、最愛の娘まで失った彼は……「忌引」としての短い休職の後、二度と復帰することは無かった。先に逝った2人に逢うためか、それまでの暮らしとは無縁だったはずのオフィスビルの17階から、身を投げたのである。
「岩くんが落ちた崖より、ずっと高いし……ヘルメットなんて、もちろん被っていなかったからね。頸椎は……完全に、やられてしまった」
とはいえ、彼は生き延びた。(落ちた先に、植え込みか、車両か、何か衝撃を緩和できる物があったに違いない。アスファルトやコンクリートのみの地表に、そのまま叩き付けられていれば……即死だったろう。)
「……それでも、ご両親としては彼を失いたくないから、可能な限りの延命を望んでいるんだ」
彼が、ご両親に愛され、施設の職員からも丁重に扱われているのは、あの身体を見れば解る。
 しかし、おそらくは「意に反して」生かされている彼のほうは、この3年強……どんな想いで居るのだろう?完全に眠っているのか?……もしかしたら、まったく動けない身体で、独りでずっと苦しんでいるかもしれない。……それとも、頭の中にある【別の世界】で、妻や娘と幸せに暮らしているだろうか……?

「そんなことがあってから、悠介は『亘さんの分まで、頑張る!!』なんて言って、ますます【がむしゃら】が高じてしまった……」
先生は、助手席の窓の内側にある わずかなスペースに肘を着いて、悩ましげに頭を触る。こめかみにある、頭痛に効くというツボを押している気がする。
 僕はただ、慣れない道での安全運転を優先するのみである。もちろん、傾聴はしている。
「あいつの、“自傷“さながらの頑張りを……誰も止められなかった。私も含めて」
先生は3Dプリンターの導入によって彼の負担を軽減しようとしたけれど、その計画は彼の逆鱗に触れた。彼にとって、手動の工作機械による「ものづくり」は【生き方】そのものだったからだ……。
「だが、まぁ……それも『終わった』んだ。本人が納得のいくところまで、頑張って、頑張って……満を持して【引退】したんだ」
「……夜中に泣いてしまわれることは、減りましたか?」
「そうだね。少なくとも、毎晩ではなくなった」
僕は、安易に「良かったです」なんて、言ってしまいたくはなかった。夜泣きが減るのは良いことだけれど……彼としては、まだまだ「悔しくて堪らない」はずだ。気持ちの整理や、体調の回復には、まだまだ時間がかかるだろう。

 先生は「朝と同じ駅で降ろしてくれればいい」と言ったけれど、僕は頑なに「ご自宅までお送りします」と進言し続けた。
 先生は、好きにさせてくれた。



 先生宅まで帰り着くと、先生は「休憩していきなよ」と言って招き入れてくれた。
 留守番をしていた3人は、和室で何やら楽しげに、見慣れないボードゲームで遊んでいた。色とりどりの四角い駒が数十個、7枚ある小さな皿や、個人に配られた小さなボードの上に、いくつも並んでいる。(畳の上に散らばっている駒もある。)外国発祥と思しきそのゲームの、ルールも、名前も、僕には さっぱり判らない。
 哲朗さんが、悠介さんの左隣に付いて、丁寧にルールを教えながら進めているようだ。
「何やら、難しそうな遊びだね。岩くんが持ってきたのかい?」
先生にそう尋ねられた彼は「はい」と答えてから、いつものように涼やかに笑った。
「それほど難しくはありませんよ。小学生にでも出来ますから……」
「今は、誰が優勢なんだい?」
「……藤森さんでしょうか」
「おぉー」
そう言ってから、先生は しゃがみ込んで彼女のボードを覗き込む。
 僕らが誰に逢ってきたかなど知らないであろう悠介さんは、目新しいゲームで藤森さんと一緒に遊べるのが嬉しいようで、いつになく上機嫌に見える。彼が笑うことは めっきり減ったのだけれど、駒を選び取ってボードに並べる手つきが、なんとも「得意げ」だ。ルールを理解し始めた喜びもあるのだろう。すっかり「勝負師」を気取っているようにも見える。
 生気を失い、凍りついたように動かない時とは、別人のようである。

 僕はゲームには参戦せず、2位だった彼が藤森さんを破って「逆転優勝」するのを見届けてから、一人で帰路についた。


 愛車の中、厳かな気持ちになれる一曲を選んで無限ループで聴きながら、先生が今日、僕を彼に逢わせた【理由】について……少し考えた。思い当たることは幾つも在った。あの大切な工場こうばの「秘密」を打ち明けてくれたと捉えることも出来るし、悠介さんが ずっと心に抱え込んできたものの「片鱗」を見せてくれたとも取れる。そして……僕自身に対し「自殺企図なんて、やめておきなさい」と、暗に示してくれたようにも思われる。

 今日は、忘れてはいけない日だ。


次のエピソード
【47.倫理観】
https://note.com/mokkei4486/n/n4ef2705e79c6

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