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小説 「僕と彼らの裏話」 47

47.倫理観

 この日は、千秋に「まだ行くの?」と呆れたように問われながら、夕方に家を出た。短い勤務で、身体を慣らすつもりだった。

 
 現場では、あの「個室」で社長と2人並んで卓上フライスを使うことになった。お互いに、膨大な数の小さな製品を造り続ける。もはや身体が完全に動作を覚えていて、目をつむっていても正確に穴をあけられそうなくらいだ。(とはいえ、本当に そんなことはしない。)出来た製品は、手近に置いた強化プラスチック製の箱に、ぽんぽん放り込んでいく。
 社長は、この部屋で作業する時だけは防塵マスクをしない。あの色付き眼鏡だけをして、黙々と機械に向かっている。
 彼女が1階に下りる気配も無いので、僕は前日の出来事について話してみることにした。念のため、彼女が使っている機械の回転が止まっている時を狙った。
「社長。僕……昨日、わたるさんにお会いしてきました」
彼女は機械のレバーを握ったまま目を丸くして、ほんの数秒 黙り込んだ後、ふっと身体の力を抜くように笑った。彼と過ごした日々を懐かしんでいるようにも見えた。
「……お元気でしたか?」
「容態は『安定している』と聴きました。今の施設ところに移ってから、一度も風邪をひいていないそうです」
「そうですか。良かった……」
 彼女は、穴あけ作業を再開した。手元だけを見ながら、さも淋しそうに語る。
「私は……長らく、お会いしていません」
「社長は、ご多忙ですから」
退職者にまで、会いに行く余裕は無いだろう。
「私が中学生の時に入社された方で……私にとっては、眩しいくらいの『かっこいい お兄さん』でした。ずっと『憧れの存在』でした……」
大切な話だろうからと黙って聴いていたら、社長は「専務には内緒ですよ?」と小声で言いながら、いたずらっぽく笑ってみせた。
 しかし、すぐにまた神妙な顔つきに戻った。
「今も、ここに亘さんが居てくれたらと……思わない日はありません。非常に、惜しい方を……失いました」
彼は、亡くなってしまったわけではない。けれど……あの神がかり的な技を魅せていた手は、もう二度と動かない。彼が再び職人として舞い戻る可能性は、皆無なのだ。
「せめて、話が出来れば……ご相談したい事は、いくらでも あります……」
「……専務だって、とても頼もしい方でしょう?」
「確かに『頼もしい』ですが……彼は、一言で言えば『有能すぎて、不器用な人の気持ちや感覚が解らない』のです。それが……大いに敵を作ります……」
彼女が言わんとすることは、解る気がした。けれど、僕は何も言わなかった。

 僕が造るべき物は充分な数が出来上がり、次の工程に移るために、それらを洗浄しに行くことになった。
 箱に入れて持って下りた製品を、1階の隅にある水場で洗濯ネットに放り込み、専用の粉石鹸を溶いた水の中で揉み洗う。何度か水を換えながら洗って、油が取れたら高圧のエアーで水分を飛ばしてから研磨する。……とはいえ、じゃぶじゃぶ洗っている今の段階で角が欠けたり傷ついたりしてしまったら、台無しだ。ネットの中に自分の手を入れて、米を研ぐよりも優しく、油分だけを洗い流す。

 黙々と洗い物をしていると、すぐ近くで新常務の笑い声がした。彼は、専務が他社から引き抜いてきたエリート達に、いつも媚びへつらっている。最終学歴「大学中退」の自分が、大卒あるいは院卒の彼らに見下されてしまうことや、いずれは常務の座を奪われることを、危惧していると同時に「受け入れざるを得ない」と半ば諦めているようでもあった。そんな彼は、後から入ってきた優秀な彼らに、せめて嫌われてしまわないようにと、何かと気を遣いながら、それでも隙あらば冗談を言って、親睦を深めようと努めていた。
 今は、とある若い院卒者に、古めかしい手動研削盤のメンテナンスについて説明をしていたのだけれど、やがて身の上話が始まり、とうとう「自分は暫定的に常務の座に就いているだけだ」と釈明を始めた。それを延々と聞かされている新人のほうは、話の真偽を疑う様子も無く、当たり障りのない相槌を打つのみである。
 それを近くで聞いていた僕は、必要最低限の一般常識を身につけた人材が入社してきたことに安堵した。

 しかし、新常務の無駄話は止まらなかった。機械の説明も そこそこに、何も知らない新人に、面識すら無い退職者の身の上や、自社の内部事情を暴露し始めたのである。前任の石川常務が どのような人物で、彼が熱心に育てていた後任者が「ある日突然、居なくなった」と言い出した時、僕は、自分の うなじの毛が逆立ってくるのを感じた。……排除すべき【敵】の気配を感じた獣の、背中の毛が逆立つのと……同じかもしれない。【敵】の姿、動きを、見なければ気が済まなかった。あいつが妙な真似をしたら、制止とまではいかなくとも、社長に報告しなければならない。
 僕は、洗い物に構うのをやめた。水場に しゃがみ込んだまま、新常務の言動を見張る体勢に入った。
 その直後。彼が放った言葉に、僕は久方ぶりに【憤り】というものを感じた。
「次の常務に決まってた奴が『高飛び』しやがったんすよ!! 二つ以上の意味で……!」
僕には、本来なら「逃亡」を意味する言葉である「高飛び」が用いられたことと、その後に付け加えられた言葉が、亘さんに対する この上ない侮蔑に感じられた。そして、その発言者が「二つ以上」のところで、せせら笑いながら指を2本立てたことに……殺意すら覚えた。
 僕は考える間も無く立ち上がり、手近な空箱を引っ掴んで、それで『バカ兄貴』の頭を、背後から思いきり殴った。…………こんな浅ましい奴を「常務」と呼んでやる筋合いは無い。
いだあぁっ!!?」
妙な声を出して、頭を押さえながら振り返った そいつに、僕は二発目をお見舞いして……やりたい衝動を どうにか抑え、言葉を浴びせた。
「彼を、侮辱するな!!!」
しばらく呻いていた社長の兄は、頭を押さえていた手に血が付いているかどうかを確認してから、拳を作り、応戦する姿勢を見せた。
「誰に口利いてんだ、てめぇ……!!」
唐突に頭を殴ったことよりも、アルバイトの分際で「常務」を叱りつけたことが、しゃくに触ったらしい。
「“頭の薬“を、飲み忘れたか!?」
僕自身が揶揄されるのは、もはや どうでもいい。
「状況、解ってんのか!?……てめぇは今、バイトの分際で『常務』を殴ったんだぞ!」
「貴方が、倫理に反する発言をしたからだ!!」
 研削盤の説明を受けていた新人は、僕らには何も言わず、社長が居ると分かっている2階に駆け上がっていった。

 社長の兄は、その後も減らず口を叩き続けた。
「後ろから いきなり人を殴るってのは、倫理的にどうなんだよ!?」
「貴方に……亘さんの、何が解るというんだ!!恥を知れ!!」
「何様のつもりだ……!」
睨み合いは続く。

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(“もういい……殺してしまおう”)
先生の声か、自分の声か……判らなかった。 
 突如 頭の中に響いた その【声】に、言われるがまま……僕は手に持っていた硬い箱で複数回、社長の兄を ぶん殴った。
(“埒が あかない……”)
名に「強化」を冠するとはいえ、たかだかプラスチックの箱である。角で頭を殴ったとしても、死にはしない。それよりも、怒り狂った相手が手にしたエアダスターガン(高圧の空気を噴射して、粉塵や水滴を吹き飛ばす道具)のほうが、はるかに危険な代物である。
「耳に、ぶち込んでやろうか!!?」
そんな事をされれば、死んでしまう。耳に限らず、身体の いかなる「穴」から ぶち込まれても……肺か脳幹をやられて、絶命するだろう。
 僕は、つい先ほどまで「武器」としていた箱で、自分の身を守ることにした。

 とはいえ、そこまでの【乱闘】が始まれば、さすがに誰かしらが気付く。筋骨隆々の職人達が次々と駆け寄ってきて、いとも簡単に僕らを引き離して取り押さえ、手の中の物を没収した。社長の兄は数人がかりで無理やり座らされていたけれど、僕は自らの意思でコンクリートの床に正座した。(もちろん、靴は履いたままだ。)
 いつの間にか腕や顔が痣だらけになっていた社長の兄は、部下達に取り押さえられながらも、まっすぐに僕を指さして叫んだ。
「そいつを“癲狂院てんきょういん”に、送り返せ!!」
(※癲狂院……「精神科病院」の古い呼称。明治〜昭和初期に用いられた言葉。)
まさか、この時代に その単語を耳にするとは思わなかった。相当古い漫画か何かで知ったのだろうか?
 言葉の意味が解らないのであろう職人達は、それについては何も言わない。
「何があったんすか?」
「そいつが、いきなり箱で殴ってきやがった!!」
それを受け、僕を押さえていた職人の1人が、小さな声で問いかける。
「……何か、言われたんですか?」
僕が答える前に、遠くから社長の声がした。
「何が起きた!」
先ほどの新人を引き連れて、颯爽と階段を下りてくる。
 彼女は迷わず兄ではなく僕のほうへ歩み寄り、跪くようにして視線を合わせてくれた。
「坂元さん、怪我はありませんか?」
「僕は大丈夫です……」
幸いにも、無傷である。
「俺のほうが重傷だぞ!」
社長は、後ろで怒鳴った兄を一瞥いちべつして「あぁ……」と呟いたきり、それ以上は何も言わなかった。
 すぐに、再び僕のほうへ向き直った。
「今日は、もう上がってください。……私が、ご自宅までお送りします」
「いや、そんな……!」
「何が起きたのか、そこで聴かせてください」
「わ、わかりました……」


 僕は一切の抵抗をせず速やかに着替え、車の鍵を社長に渡した。そこで、僕が着替えている間に会社の電話から千秋に連絡をしたと告げられた。

 社長が僕の車の運転席に座り、僕は左側の後部座席に座った。どうしても、隣に座る気にはなれなかった。自分を、警察署へ連行される何かの容疑者と重ね合わせていた。
 車種が違っても、社長の運転操作に迷いは無かった。彼女がエンジンを起動させるなり、車内に置きっぱなしだったMP3プレイヤーが自動的にスピーカーと無線通信を始めて接続を完了させ、楽曲が流れ出す頃には、車も駐車場を出て公道を走りだしていた。
「兄が、何か……坂元さんの気に障るようなことを言ったのではないですか?」
彼女は職業柄「成人男性の闘争」というものを見慣れているのだろう。実兄を殴りつけた男を後ろに乗せているからといって、別段 動じない。
 僕は、ありのままを正直に白状した。新常務の発言と、それに激昂して「先に手を上げたのは僕である」ということ、彼はエアダスターガンを「見せつけただけで使用していない」こと……。努めて冷静に、傷害事件の際に警察官や弁護士が着目するであろう点についてだけ、淡々と述べたつもりだ。
 社長は、至って冷静に運転を続ける。僕は、足元に置いた自分の荷物の、持ち手を掴んだまま言った。
「悪いのは僕です。このまま『解雇』となっても、異論はありません……」
「……本当に、真面目な方ですね」
彼女は、ルームミラー越しに僕を見る。
「確かに、法律上『暴力』というのは犯罪ですが……今回の件は、警察が介入したわけでもありませんし、兄と私が日常的にしているような『小競り合い』と、大差ないように思います……。解雇の理由とはなり得ません」
この兄妹の喧嘩は激しい。それは、僕も知っている。……しかし、僕は親族ではない。勤務先の役職者に手を上げれば、裁かれるべき立場の人間だ。
「要するに……私の兄が、入りたての新人に指導そっちのけで『退職者の悪口』を言っていて、しかも、それは当事者の【生死に関わる選択】を揶揄する内容で……激怒した貴方は発言者を殴り『彼を侮辱するな!』と反論した。……ということでしょう?人間として、ごく自然な反応・真っ当な怒りであると思います。……私でも、平手打ちくらいは したかもしれません。
 暴力を伴うというのは『過剰』なのかもしれませんが……悪意や恨みをもって、他者の動向を貶めた兄にも、大いに過失があります。兄が、そのような【悪癖】を改めない限り……また、別の従業員とトラブルになるだけです」
ルームミラーに映る彼女の眼差しには「一国の首相」かと思わせるほどの精悍さがあった。(外国なら、30代の女性が国のトップに立つことも珍しくない……。)
「今回の件で……『兄は常務に相応しくない』と、改めて明らかになりました。次の総会で、議題とします」

 とんでもないことになってきた……。



 僕はマンションの地下駐車場で「もう大丈夫です」「お忙しいでしょうから、お戻りください」と言い続けたけれど、社長は律儀に7階の玄関先まで僕を送り届けた。そして、初対面となる千秋に恭しく挨拶をして僕の身を引渡したら、速やかに地上階へと降りていった。……帰りは、電車を使うのだろう。

 僕は千秋の指示通りリビングのソファーに大人しく座り、手渡された体温計を腋に挟んでいた。社長からの電話で、僕の「体調」や「精神状態」に関する伝達があったに違いない。僕を いたずらに刺激しないためか、彼女は僕に体温計を渡した後「洗濯物を出してくる」と言って、すぐに部屋から出ていった。
 体温計が鳴るのを待つ間、現場での出来事が頭を駆け巡っていた。あれだけ怒りを露わにしたのも、執拗に人を殴ったのも、おそらく小学生以来だ。社長は僕を「解雇しない」と言ったけれど、僕としては「身を引くべきだ」と感じていた。くだらない軽口を無視するだけの冷静さを失い、怪しい【声】に従って人に危害を加えるような自分が……工具や刃物が無数に転がる、あの現場に通い続けるべきではない。
「……稔!」
肩に手を置かれ、はっと我に返る。戻ってきていた千秋が何度も僕の名を呼んで、ずっと「体温計が鳴っている」と教えてくれていたのに、僕は なかなか気付かなかったのだ。
「ごめんね、稔。もらうよ……」
千秋は、僕自身に取らせるのを諦め、自分の手で体温計を引き抜いた。
 体温は平熱で、彼女は ひとまず安心したようだった。
「どうする?ごはん食べる?」
「いや…………それより、風呂に入りたい」
「わかった。沸かしてくるから、待ってて」

 その後、何度も「そこに居て」「座ってて」と言われ続け、僕は風呂が沸きあがるまで立ち上がれなかった。


次のエピソード
【48.邂逅】
https://note.com/mokkei4486/n/nf9659cb81fbb

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