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小説 「長い旅路」 22

22.虹色の旗

 この日も、俺は恒毅さんの家に遊びに来ていた。彼は例の飲食店を辞め、今はネット通販対応のスポーツ用品店で、ピッキングのアルバイトをしているという。しかし、本人は「向いていない」「辞めたい」と何度も言う。
 送り状の作成や貼付けを しくじってばかりで、歳下の先輩に叱られ続けているという。


 彼の近況を聴きながら夕食を食べた後、なんとなくテレビをつけたまま、互いに別々の漫画を読んでいた。
 ふいに、彼が何か言った。
 独り言かもしれないと思いながら、俺はページから視線を上げた。

 彼は、テレビ画面を見ながら、渋い顔をしている。
 映っているのは、あの拓巳と、彼の現在のパートナー、慎司さんである。2人は、東京都のどこかで「パートナーシップ宣誓済み」だ。
 この2人も加入している団体が、日本における法的な同性婚の実現に向けて、幅広く活動している。今では、すっかり大きな「法人」に成長し、俺は もう、その活動を追いきれない。
 番組は、彼らの【活動】について、公私ともに密着取材して、詳しく伝えている。
「僕、この人達あまり好きじゃない……」
恒毅さんは、リモコンを拾い上げてチャンネルを変えてしまった。
 彼は、拓巳と俺の関係性を知らない。
 俺は、一人の一般人が、特定の芸能人について「どう思うか」など、どうでもいい。
 彼は、再び漫画本に目を落としながら、吐き捨てるように言った。
「ああやって、大々的にやっちゃうから……学校とか会社で、当事者の【炙り出し】と【狩り】が始まっちゃうんだよ……」
一理ある。
 俺も……そうやって「炙り出された」人間である。
「あの人達には『事務所』が付いてるしさ。警備会社とかが、ちゃんと守ってくれるじゃん。でも……僕達一般人には、そんなものに頼る『金』が無いんだよ!」
(そうだな……)
「家族にも、友達にも言えなくて……ずっと独りで悩んでたような若い子が、あんな『お祭り騒ぎ』に感化されて、弾けちゃって、干されたら……誰が責任とるの?」
(【自己責任】だろうな……)
「それにさぁ……『僕は、この人と暮らしたい!』なんて、わざわざ【全世界】に向けて言うこと!?……2人で、勝手に同棲してればいいじゃん!!」
どうやら彼は、私生活について発信・公開すること自体に、疑問があるらしい。
 だが、彼らのような【活動家】が居るからこそ、一部の自治体とはいえ「パートナーシップ条例」は作られたし、セクシャルマイノリティーという存在が、やっと教科書に載るようになったのだ……。同性愛や性別移行を【禁忌】とし、あるいは『悪ふざけ』や『精神病』と見なし、当事者の存在さえ認めない……古臭い価値観の持ち主は、まだまだ少なからず存在しているが、残酷な【伝統】は変わりつつある。
 拓巳の大々的なカミングアウトによって、俺個人は心身を壊す羽目になったが……あの【活動】による恩恵を受けている人々は、間違いなく存在する。俺は、彼らの活動を、今も陰ながら応援している。
「どうも……『カネの匂い』がして、しょうがないんだよ……」
それも、一理ある。
「芸能界なんてさ。所詮は『生きた人間を晒し者にして、金を集める』ために在るんだよ!……僕は、関わりたくない」
 彼が何を厭うのか、だんだん判ってきた。
「……テレビ、消してくれていいですよ」
「え?」
「俺も……静かなほうが、落ち着きます」
「あ、ごめんよ……。うるさかった?」
「いいえ……」
 彼はテレビを消してから、何かに気付き、妙に慌てた様子で、前屈みになって訊いてきた。
「も、もしかして……和真は、金剛さん達のファン?」
「……昔の彼は、好きでした。今は……よく知りません」
「そ、そっか……」
俺は、拓巳との関係について、彼に話す気は無い。


 俺は、読んでいた漫画本を閉じて「そろそろ帰ります」と宣言した。
「え!?……あ、そうか。もう、いい時間だもんね……」
彼は慌てて時計を見上げてから、大袈裟な くらいに、しょんぼりしてみせた。
 俺が淡々と漫画本を寝室に運んで本棚に戻していると、彼が その様子を覗きに来た。
 しばらく何も言わなかったが、俺が荷物を持って いよいよ帰ろうとすると「あのさぁ!」と、声をあげた。
「今度、一緒に……旅行に行こうよ!」
「え? あ、はい……近場なら……」
彼となら、安心だ。悠さんに送る、良い写真も撮れそうだ。断る理由は無い。
「和真は、温泉 好き?」
「好きっすよ」
「良かった……!」
 その後「どこに行きたい?」「何泊する?」「新幹線と車、どっちが良い?」と質問を連ねる彼に、俺は「後で、またLINEください」と言った。
「わかった!」

 彼は、前回と同様に地下鉄の改札口まで送ってくれた。


 俺は、拓巳のように人前で堂々と虹色の旗を掲げたり、歌ったり、演説をしたりは出来ない。……健康だったとしても、そんな目立つ事をするつもりはない。「聴衆」として、その場に居合わせることさえ……恐ろしい。
 その姿を誰かに見られただけで『あっち側の人間』と呼ばれて迫害の対象となり、本当に生命を脅かされかねないことも知っているし……俺は、未だに、母に真実を知られることを恐れている。
 俺のルームメイトだった拓巳の活動内容から、既に勘づいているかもしれないし、知ったからといって、あからさまに【拒絶】するような母ではないと、信じているが……俺が学生のうちは、幾度となく「お嫁さん」とか「孫」に関する想像や期待を語っていた人である。
 知れば、少なからず落胆はするだろう。
 あるいは、真実を知った上で協力してくれる女性を探し出し、戸籍上の「夫婦」となって、人工授精で「孫」を もうけることは、技術的には可能かとは思うが……。まるで【絵空事】だ。今の俺に「父親」が務まるとは到底思えないし、そうまでして、わざわざ「ゲイの妻になる」という選択をする女性が……どれだけ居るというのだ?


 電車の中で悶々と考え込んでいたら、アナウンスを聴き逃し、降りるつもりだった駅を通り過ぎた。
 先生の家に帰るためには、別の路線に乗り換えなければならないのに……!!
(馬鹿馬鹿しい……!!)
 降りた駅で反対方向の電車を待つのが億劫で、そのまま地上に出て、目指していた駅まで歩くことにした。
 くだらない【伝統】や【法律】に対する、やり場のない怒りを、歩くことで発散しようとした。

 そこまでは、憶えている。

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【23.生命とは】
https://note.com/mokkei4486/n/n03f7449bce6c

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