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小説 「僕と彼らの裏話」 34

34.老翁かく語りき

 僕よりも早い時間に飯村さんは退勤したらしく、そして、何が起きたのか他の人から知らされることもなく、常務が呼び立てられた理由は分からなかった。


 翌日、僕は いの一番に社長に約束の書類を提出したかったのだけれど、彼女は相変わらず現場で粉まみれになりながら機械に向かっているか、喫煙所でスナック菓子をバリバリ食べていて、終業するまで渡せそうになかった。
 僕は、この日も個室に一人きりで、常務の指示によって若手社員達が次々に運んでくる材料を、ひたすら図面通りの形に切削加工し続けた。今日は、一口あたりの数が少ない部品を何種類も造り、頭の中で創作に耽る暇が無い。
 納期までは日数のある品々だけれど、今日中に一種でも多く終わらせたい。
 出来上がったものは、エアーを吹きかけて綺麗にしてから箱やトレーに入れて、室内の指定された場所に並べておくだけでいい。新しい何かを運んできた人が、出来ているものを回収していってくれる。
 初めこそ「お願いします」とか「わかりました」という会話があり、僕の手元を覗いていく若手も居たけれど、次第に会話が無くなっていく。まったくの無言で入ってきて、物だけを持って出ていく奴も居る。
 僕は、そんなことは気にならない。むしろ、業務と無関係なゴシップや詮索に付き合わされるのは御免だ。静かなほうがいい。此処は【公共の場】だ。

 黙々と、卓上旋盤に向かい続ける。
 白い半透明のシリコンが、生のイカに見えて仕方ない。久しぶりに塩辛を作りたくなってくる。……夕食を摂ってから出勤しているけれど、労働をすれば腹が減る。
 赤いシリコンや、黒色や茶色のゴム片が、寒天や蒟蒻こんにゃくに見え始める。
 次の出勤日は、僕も社長のように何か食べる物を持参しよう。

 また、誰かがノックも無しに引き戸を開けた。僕はもう、昨日のように驚いたりはしない。「頻繁に誰かが出入りする」と、身体が理解した。
 相手が何か言えば応えようと、僕は淡々と作業を続ける。時間が惜しい。
 部屋に入ってきた人物は、何も言わずに、しばらく完成品の数々を眺めていたようだったけれど、やがて僕の姿を真横から見始めた。刃物の動きから目を離せない今の僕には、その人の姿は足元しか見えない。何度か、僅かな隙を狙って横に目をやったけれど、眼球の可動域には限界がある。
 その人は何かを運んできたわけではないらしく、更には「若手」でもなさそうだ。どこかで嗅いだような煙草の匂いと、香ばしい汗の匂いをまとって、威厳ある佇まいである。室内が、まるで難しい【実技試験】の会場のような空気感になってくる。
 僕は、きりの良いところで機械を止め、来訪者に顔を向けた。
「えっ…………工場長!!?」
プロゴルファーを思わせる、涼しげな青いポロシャツ姿の彼は、何も言わない。ただ、真っ黒に日焼けした逞しい腕を組んで、満足げに笑っている。(79歳とは思えない、その美しく生え揃った白い歯と、明晰な頭脳、若々しい立ち姿に、僕は毎回 驚かされる。)
「お、お、お疲れ様です!」
他に、言えることは無い。
「へっへっへ……やっと来やがったな?」
 僕は、以前は彼からの勧誘を断り続けていたのだ。
「あ、はい。いろいろと『事情』がありまして……」
「らしいな。社長から聴いた」
どこまで聴いたのだろう。
 彼は、僕が床に並べていた完成品を、改めて しげしげと眺めてみせる。
「それにしても……巧いなぁ。3日目で ここまで しやがるとは、もはや【化け物】の域だ」
「とんでもないです」
「さすがは『時給2000円の男』だ」
それも、知られていた。
「なんで、俺が現場に居るうちに来なかったんだよ?」
「……僕は、ただの『飯炊き野郎』です」
彼は自分の短い顎ひげを撫でながら、何かの値踏みをするように、僕の体を隅々まで見ているようだった。
「惜しい野郎だ……」
応えに困った僕は、話題を変えた。
「工場長。今日は視察ですか?」
「もう『工場長』じゃねえんだよ。……まぁ、そうだな。現場の様子を見に来た。『俺の目が黒いうちは』ってやつだ」
彼にも、プライベートタイムというものがあるだろうに……。
「あの『専務』は、曲者だからな。おまえも気をつけろよ」
「……どういうことですか?」
彼は、一度ふり返って部屋の戸が閉まっていることを確認してから、神妙な面持ちで答えた。
「あいつは……社長の計画を台無しにした上に、うちの【伝統】を ぶっ壊そうとしてやがる」
室内に漂う緊張感は、より一層強まる。
「……それは、僕なんかが知って良い話なのでしょうか?」
「おまえらの人件費ってのは、松尾も少しは出してるんだろ?」
(彼の『首』は、いよいよ危ないのか……?)
「僕達の『雇用主』は、吉岡先生お一人です」
「そうなのか?……まぁ、そこらへんは何でもいいんだ。
 おまえだからこそ、率直に言う。今、あの野郎は……あろうことか、松尾をクビにする気なんだよ」
やはり、そうなのか。
「常務から……『取立て屋』の話だけは聴きました」
「なるほどな。……だが、それだけが理由じゃねえんだ」
「ご本人の体調、ですか?」
「そうだ」
彼は吉岡先生と同様に、自身が【仲間】と認めた人物には、隠し事というものをしない。至極堂々と、全てを打ち明ける。【門を開けば 福寿多し】という仏教の教えを、固く信ずる人である。
「あいつは、命を張ってまで会社に尽くしてきたってのに……後から来やがった“新参者“が、いけしゃあしゃあと『彼は我が社の業務に耐えうる状態ではない』なんて、抜かしやがってなぁ。……俺は、腹が立ったよ。すごく」
僕は、何も言わない。
「そんなもん……まるで【使い捨て】じゃねえか。冗談じゃねえ……。今のあいつが、本当に『耐えられない』んなら、担当業務を変えてやればいいんだ。
 人間なんてのは”植物状態”にでも ならない限り、出来ることは必ず在る……だからこそ、俺は この会社に『障害者枠』を創った」
語り口こそ冷静だけれど、その声と、僕を見据える眼には、血がたぎるような【熱意】が込もっている。心のままに動く その手には、積み重ねてきた年月の「重み」や「深み」を感じる。
「今は『眼球さえ動けばパソコンが使える時代』なんだよ。……それで、信用に値する事務仕事が出来るなら、そして『本人が望むなら』……俺達は『最期まで』その人を雇う」
まさか、この場所で「視線入力装置」の話が出るとは思わなかった。
 しかし……それを実現するには、多大な資金が要る。本当に そんな希望者が現れるかどうかも分からないし、あくまでも【考え方】の話だろう。
 とはいえ、その崇高な【理念】に対し、僕が言うべき事は何も無い。
「本人が望むなら、俺達は……『いつでも帰ってこい』と、言ってやるつもりだ」
僕は「作業に戻る」と進言することを諦めた。
「あの……工場長は、今の悠介さんの容態のことを、ご存知なんですか?」
「吉岡に聴いた。……一回心臓が止まって、頭の血管が、どうにかなっちまったらしいな……『言葉が出ない』ってよ」
「そのことは社内では【秘密】にするようにと、僕は社長から指示を受けています」
「らしいな。俺も社長に そう言われた」
ため息混じりにそう言った彼は、床に転がる物を見渡すかのように、目を泳がせた。
 やがて、腰に両手を当てて反らしたり、片方ずつ手を当てながら肩を回したり、痛みを緩和する体操のような動きをし始めた。
「とにかくよぉ……俺は、松尾自身の意志を確認しないまま『使えねえからクビだ』なんて、非道な真似はさせねえ。事実、あいつは今、正式に手続きした上での【休職中】なんだよ。待つしかねえ時期なんだよ、会社としては」
「……僕も、そう思います」
健康意識も高そうな彼は、ラグビー選手を真似ていると思われる動きで、体を左右に捻る。


 彼は、その後も僕の手技を「見たい」と言い、僕は大いに緊張しつつも、何らかのスポーツを習い始めた初心者のように「まだまだ下手くそだ」「自慢できる腕じゃない」などと大きな独り言を言いながら、卓上旋盤を操作し続けた。偉大な『老師』は、僕の立ち方や姿勢について、改善すべき点を幾つも伝授してくれた。
「足の指に、きちんと力を込めろ。床を掴むくらいの気持ちでな。……そうして、かかとには体重をかけるな。むしろ、少し浮かせておくくらいが良い……『いつでも逃げられる体勢』で居ろ。…………膝は、常に少し曲げておくんだ。裏が伸びきって『棒立ち』になるのは、良くない……何かが飛んできても避けられねえし、いずれ、腰をやる」
「は、はい……!」
「力士や空手家がやるような【四股立ち】が出来るなら、尚良い」
映像や写真でなら見たことがあるけれど、武道と縁の無い僕には それをする習慣が無い。そんな姿勢では、1分も立っていられない。
 膝を伸ばさない、という教えだけは、どうにか守りたい。
「肘を、出来る限り体から離すな。わきが開き過ぎたら……息が浅くなって、すぐにバテちまう」
「はい……!」
彼らが一日8時間以上「立ちっぱなし」でいられる秘訣は、体躯の使い方にあるのだ。
「まず何よりも【呼吸】が肝心だ。酸欠はエラーの元凶もとだ……肩の力を抜いて、腹で息をしろ」
僕は日頃から、呼吸について指摘されることが非常に多い。残念ながら、それが僕の最大の「弱点」だろう。


 武道場さながらの濃密な指導が続き、あっという間に僕の退勤時間となった。そして、この日も社長が個室まで声をかけに来てくれた。
「お疲れ様です。……坂元さん、上がりましょう」
 僕は社長に返事をしてから、稽古を付けてくださった工場長に深々と頭を下げた。
 彼も、風格 漂う立礼で応じてくれた。

 僕との挨拶を済ませた彼は、やや威圧的な口調で社長に言った。
「おい、“小娘“……全部が終わったら、ちと つらを貸せ」
「……はい」
この後、社長は【お叱り】を受けるのだろう。痛い目に遭う覚悟を決めたような顔つきだ。


 僕は書類の提出を断念し、速やかに着替えて帰路についた。


次のエピソード
【35.篤志の継承者】
https://note.com/mokkei4486/n/nc61eef1f5153

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