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小説 「僕と先生の話」 3

3. 先生の仕事場

 先生の後について2階に上がると、ごくありふれた一般家庭のダイニングキッチンがあった。そこは「後で見てもらう」として、素通りだった。

 3階には部屋が3つあり、それぞれがアトリエ、資料室、先生の寝室だった。
「まずはアトリエを見せよう」
 先生は、少し芝居がかった動きで、ドアを開けた。小さく「どうぞ」と言いながら、僕に室内へ入るよう促す先生の動きや表情は、洋画の登場人物みたいだった。

 壁に向かって設置された大きな黒い机に、おびただしい数の色鉛筆や絵筆が入ったトレーが、いくつも置いてある。
 先生は、その机の上、おそらく本来なら絵を描くためのスペースに、持っていた履歴書入りの封筒を挟んだノートを、そっと置いた。
 部屋の奥には、ベランダに出られる窓があり、その手前には画用紙を「水張り」するための道具一式が置かれている。
 先生が机に向かった時に背後にあたる位置に、上質な紙が惜しげもなく大量にストックされている棚と、アイデア用らしいクロッキー帳が大量に押し込められている棚がある。

 僕も、子どもの頃は、絵を描いたり、物語を考えたりするのが好きだった。下手くそな漫画を、家でも学校でも、よく描いていた。大人になって、やめてしまったけれど……。
 画材を見て、わくわくするだけの好奇心が、まだ残っていた。

「この部屋には、基本的に私以外の人間は入れないんだ。描きかけの原稿なんて、誰にも見せたくないからね。
 今日は、見られても困らない状態にまで片付けてあるよ」
「画材に関することを、君に頼むことは……おそらく無いよ。自分で選びたいからね」
「わかりました」


 続いて案内された資料室には、善治が居た。椅子にどっかりと座り、本棚から取り出したと思われる厚い本を読んでいる。
 善治は、僕らが入ってきたことには気付いたようだけれど、そのまま黙って読書を続けていた。
「ここにある本は、私と弟が買い集めたものだよ。創作のための、参考にしている」
 子ども向けの絵本を描くための参考資料は、大学の図書館に並ぶような専門書ばかりだった。医学、心理学、生物学、獣医学、解剖学、動物行動学、古生物学、地質学、文化人類学、哲学……分野は、多岐に渡る。画集や写真集も、もちろんあるけれど、学術的な書籍のほうが圧倒的に多い。
「子ども達が読むものに、嘘を書きたくないからね」
「君も、興味がある本は、この家の中でなら、自由に読んでくれていい」
「あ、ありがとうございます」

 資料室には、これまでに出版された先生の作品が並んでいる棚もあった。「売れっ子」と呼ぶに相応しい数だ。
「読んでみるかい?」
「今、いいんですか?」
「もちろん」
自慢げに笑う先生。

 まずはデビュー作を読ませてもらってから、先生お気に入りの作品を、数冊読ませてもらった。

 先生の絵は、暗い色合いが基調で、落ち着いた雰囲気だ。今、先生の手に染み込んでいるような濃紺の他に、植物を描くための様々な緑色と、宵闇や迷いの感情を表現する暗い紫色が、よく使われている。そんな中で、明るい色はよく映える。
 背景は基本的に自然界の風景で、空や森林が描かれている場面が多い。
 先生の描く絵本には、人間が出てこない。
 ディフォルメされた動物や恐竜のキャラクター達が、人間みたいにあれこれ深く悩んだり、誰かと喧嘩をしたり、探検に出かけたりする。キャラクター達は、擬人化されて2本足で立ったり、服を着たりは、していない(鳥や一部の恐竜は、2本足で立っているけれど)。その動物本来の姿で、綺麗な日本語を話す。(先生は、動物を描く時には「指の数と歯の数は、絶対に間違えないように気を付けている」と言っていた。)
 多くは哲学的な物語で、抽象的な概念について「子どもなりに考える」ように、読み手を導く構成になっている。
 先生は「小学生向けに描いているつもりだ」と言うけれど、35歳の僕が読んでも、実に深い内容だ。どの作品でも「生き方」や「生命」について描かれている。
 深みのある物語に相応しい、重厚感のある絵と、見事なまでに美しく正しい日本語。
 この先生の作品は、将来、国語か道徳の教科書に載るに違いない。

 僕は、この仕事で不採用になったとしても、この先生の絵本を買って応援したい。
 すっかり、ファンになってしまった。

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【4. 僕の仕事】
https://note.com/mokkei4486/n/n0d0da02c8cb2

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