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小説 「Company Crusher」 2

2.新人さん

 彼が働いている作業所に、新しい人が入りました。彼女は、いつもマスクをしていて、滅多なことでは言葉を話さない人でした。
 しかし……彼女は、本気で怒ったり、パニックになったりすると、大きな声で叫び、金属製の椅子やロッカーを叩き壊したり、壁に穴を開けたりしてしまうほど、力の強い人でした。彼女が暴れだしたら女性職員の力では止められないので、一人の男性職員が、ほとんど付きっきりで指導していました。

 職員達は、彼女の癇癪かんしゃくに手を焼いていました。
 しかし、彼はラジオに頼るまでもなく、彼女が暴れる理由に気が付きました。
 毎朝、彼女が出勤してくるだけで、後ろ指をさして嗤う3人組が居るのです。着ている服のことを馬鹿にしたり、目つきや体型について からかったりするのです。
 まずは、そんな失礼な事を やめさせなければなりません。
 彼女は、落ち着いてさえ いられれば、作業そのものは、他の誰よりも よく出来るのです。最近まで一般企業の工場で働いていたという彼女は、何を作らせても「巧くて速い」のです。素晴らしい【戦力】です。

 彼は、彼女を嗤いものにする3人組のことを、職員に報告しました。いつも彼女に付いている、あの男性職員です。
 しかし、その職員は次の日の朝、彼らを叱りませんでした。
「どうして、注意しないんですか!?」
彼は、職員に詰め寄ります。
「本人が、本当に『嫌がっている』かどうか、まだ判らないから……」
「『人のことを指さして笑うな!』というのは、一般常識ではないですか!?」
「……仕事場で暴力を奮う人を、庇ってはいけないよ。玄ちゃん」
「だから!彼女が怒るような悪口を、やめさせないと!!何の解決にもならないでしょう!?」
「会社の備品を壊すのは【犯罪】だ。子どもじゃないんだから、馬鹿にされたくらいで暴れ回っちゃいけない。……あいつは、次に何かしたら、今度こそ『クビ』だ。もう、後は無い」
 彼は「おかしい」と思いました。


 お昼休みが始まる時、彼は廊下にある荷物をしまうロッカーの前に居た彼女に、声をかけました。
「お疲れ様です。……えーっと。お名前、何だっけ?」
彼女は、黙ったままロッカーの扉を閉めました。そこには【吉野】という、名札が付いています。彼女は、それを指さしました。
「吉野さんか……。ねぇ、今日は一緒に お昼ごはんを食べようよ」
 彼女はいつも、食堂ではない別の部屋で、一人でお弁当を食べていました。そして、彼も同じ部屋の片隅で、一人でラジオを聴きながら食べていました。

 その日、初めて2人で並んで食べました。彼女は相変わらず一言も話しませんでしたが、彼は満足でした。
 食べ終わった後、彼は吉野さんに大切なヘッドホンを見せながら、それを くれた「先生」の話をしました。彼女は、再びマスクを着け直してから、真剣に聴いてくれました。
「着けて、聴いてみる?」
彼女は、首を横に振りました。
「すごく面白いんだよ!」
改めて薦めても、彼女は手を横に振ります。(何かを「要らない」と言う時に、よくやるハンドサインです。)
「……僕の汗が付いてるから?」
だったら、アルコールを使って綺麗に拭いてあげよう……と思い、立ちあがろうとした瞬間に、彼女が言いました。
「私は……音楽が怖いので……」
「どういうこと?」
しかし、彼女は それ以上は何も教えてくれませんでした。


 仕事帰りに、彼は駅のホームでベンチに座って、思わず独り言を口にしました。
「音楽が怖いって……どういうことだろう?」
 ヘッドホンは充電が切れているようで、何も聴けません。
「つまらないなぁ……」

 作業所の仕事自体は、楽しいのです。毎日、様々なネジの検品・箱詰めをするか、スーツ屋さんやクリーニング屋さんに卸すハンガーを大量に組み立てるのです。
 ネジも、ハンガーも、出荷先ごとに形や素材が違います。ハンガーは、部品の組み合わせや向きに決まりがあります。間違えるわけにはいきません。

 黙々と作業に集中している時間が、彼は好きでした。
 黙って手を動かしながら、先生との思い出をふり返ったり、ラジオの内容について思い返していたりすると、とても心が落ち着くのです。古い記憶を辿ることによって、新しいことに気付く時もあります。
 作業があまり好きではない同僚達は、下品な話で盛り上がったり、他人の邪魔をしたり、平気で子どもじみた事をします。
 彼は、幼稚な人とは口を利かないことにしていました。何か言われても「僕は忙しいんだ!」と言って、突き放します。
 時間内に どれだけ たくさん作っても、遊んでばかりいても、時給は全員同じです。だからこそ「手を抜いたほうが得だ」と考える人も居たようですが、彼は手を抜くのが嫌いでした。「自分が いくらもらえるのか」よりも、頑張って働いて「会社が儲かること」や、それによって「仲間の人件費を確保すること」を、大切に考えていました。
 そして、彼はラジオで知った【稼ぎ頭】という言葉を、すごく気に入っていました。自分もそうなりたいと、密かに思っていました。

 そんな彼は、吉野さんとは良いライバルになれそうだと感じていました。
 そして、作業中にまで、同僚の悪口や猥褻わいせつな言葉を並べ立てて遊んでいる あの3人組を、どうにか黙らせたいと思っていました。


 家に帰ってから、彼はパソコンの電源を入れて、ヘッドホンの充電をしながら、文章を打っていました。
 彼は自分で書いた詩や小説を、書き溜めているのです。昔は原稿用紙や大学ノートに たくさん書いていましたが、今は もっぱらパソコンです。そのほうが、言葉の順番を自由に入れ替えられて便利なのです。
 キーボードで速く文字を打つ練習も兼ねて、毎日のようにパソコンに向かって、作品を保存し続けています。
 一部は、インターネット上で公開していました。しかし、彼の作品は なかなか人気が出ません。
 もっと巧い人は、いくらでも居るので、仕方ありません。自分も巧くなるためには、たくさん練習するしかありません。

 もっと面白い作品を書くために、彼は たくさん本を読んで、何時間でもラジオを聴きました。
 日本語の勉強です。


 そういえば、吉野さんは、いつも作業所で本を読んでいます。朝礼が始まる前や、お昼休みに……毎日違う本を、大事そうに読んでいるのです。それらの本は ほとんど全てボロボロで、ページや表紙に、炭のような黒い粉が付いていることもありました。
 静かに本を読んでいられたら、彼女は落ち着くようでした。


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