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小説 「僕と先生の話」 35

35.再起

 表記揺れを修正して印刷し直した物語を、僕は先生に手渡した。先生は、その場では読まずに「一人で じっくり読みたい」と言った。

 数日後、先生は読み終わった物語を返してくれた。
「素晴らしかったよ。ありがとう」
「とんでもないです」
「あまりにも素晴らしいから……こんなものを描いてしまったよ」
僕が貸していた紙の束に続いて、普段、先生が絵本の原稿を入れているのと同じ封筒を手渡された。
「見てもいいんですか?」
「もちろん」
普段なら、絶対に開けてはならない封筒である。
 紐をほどいて封を開け、中に入っていた厚い画用紙を抜き出すと、綺麗な星空が描かれていた。
「わぁ……!」
黒インクと、水彩絵の具と色鉛筆を組み合わせて描く、いつもの先生の画法だ。星々の輝きだけではなく、荒野の岩石や建物、まばらな植物が、細部に至るまで緻密に描き込まれている。(左下には、きちんと先生のサインが入っている。)
 僕が書いた物語の中で、職を棄てた主人公が篭った天文台と、そこから観測を続けた夜空の絵に違いない。
「凄い……!」
「こんなもので良ければ、プレゼントするよ」
「頂けるんですか!?……ありがとうございます!家に飾ります!」
「そうかい?気に入ってもらえて嬉しいよ」
 僕は、その絵を気が済むまで眺めてから、丁重に封筒に戻した。持ち帰るまでに、万が一にも濡れないように、封筒ごと入れられる大きなビニール袋を探した。

 広いリビングの一角にある棚に、僕は鞄と絵を別々にしまった。(いつも、出勤したら この棚に荷物を置いている。)
 先生は、2階から動く気配がない。
「そんなことより、君にも文才があるんだねぇ。全然知らなかったよ」
「文才だなんて、とんでもないです!」
「謙虚だなぁ……。私から、岩くんに話してみようか?君がデビューを目指せるように」
「僕は、デビューなんて考えてません!純然たる趣味です、これは!」
「勿体ない……新人賞でも、狙ってみればいいのに」
「僕が『作家』なんて、とんでもないです!僕は、ただの飯炊き野郎です!」
「飯炊き野郎……」
先生は、拳で口元を隠して、クスクス笑っている。
「気が変わったら、いつでも言ってくれよ。……君が本気なら、彼は本気で応えてくれるから」
「僕には、そこまでの才能はありません……」
「本当に謙虚だなぁ」


 僕は、帰宅後に物語の続きを考えることが習慣になっていた。その日は、先生から頂いた絵を飾るための額縁を買ってから帰宅した。早速、誰も訪ねてこない家の中に、素晴らしい絵を飾り、それを眺めながら、物語の続きを考えた。

 自分が書いたものや、創作活動そのものについて、誰かに【肯定】してもらえたのは、何年ぶりだろう……?
 過去には、死ぬほど「気持ち悪い」と非難され、ペンを持つことさえ恐ろしくなってしまった趣味を、プロ2人に【肯定】してもらえたことが、不思議で堪らない。現実の出来事なのだろうか……?
 しかし、僕の家には、事実として先生が描いてくれた「ファンアート」がある。現実だ。今の僕には、最高の誉れだ。

 それよりも、僕は、先生が あの物語をしっかり読んでくれたことが、すごく嬉しい。
 あの賢人の言葉は、先生の心に響いただろうか……?


次のエピソード
【36.彼の新路】
https://note.com/mokkei4486/n/nb1a98e5d76f5

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