見出し画像

小説 「僕と先生の話」 36

36.彼の新路

 僕の運転で町工場に松尾くんを連れて行く日が来た。平日の夕方、先生と共に車で彼を迎えに行き、町工場へと向かった。
 運転する僕の後ろで、2人は特に何も話さなかった。詳しい話は「現場を見てから」のようだ。

 来客用の駐車場に車を停めると、真っ先に降りた先生が、工場長を探しに行った。僕と彼は、車を降りて駐車場で待機した。

 工場長は、今日も事務所ではなく現場に居るようで、先生に連れられて、僕らは現場に向かった。(今日の先生は、いつものリュックではなく、年季の入った黒いトートバッグを肩にかけている。)
 僕らが来る時間帯を把握していた工場長は、すぐに出てきてくれた。吸ってきた直後なのだろう、煙草の匂いがする。
「お疲れ様です」
「あいよ。お疲れさん!」
「彼が、先日お話しした就職希望者です」
「そうか!」
先生と挨拶を交わしたら、工場長は僕の時と同じように、松尾くんの身体を様々な方向から観察する。
「よぉ!」
「お、お疲れ様です……」
工場長は至ってフレンドリーだけれど、松尾くんは明らかに緊張している。
「良い背中してるな。……脚も良いな。万能選手の体型だ」
僕の時は「良い旋盤工」の体型だった。
「腕を、見てもいいか?」
松尾くんは、黙って両腕を見せる。
「なるほどな……。利き手はどっちだ?」
「右です」
「……おまえ、CADは使えるか?とりあえず2Dでいい」
「2Dなら、一通り使えます」
「よし!明日から出勤してくれていい!」
「えっ……」
「冗談だよ。日程は、後でちゃんと面接して決めような。……まずは、現場を見せる。ついて来い」
「は、はい!」
工場長は松尾くんを歓迎しているし、彼も、工場長を「新しいボス」として認めているようだ。

「おまえらは、どうする?」
「私は、いつも通り……」
先生は、現場の裏手を示す。
「本当に好きだな!!別にいいけどよ!」
「恐れ入ります」
工場長は、豪快に笑う。先生は、やはりあの警備員みたいな お辞儀をする。
「料理の兄ちゃんは、どうする?」
(料理の兄ちゃん……?)
「いえ……僕は、部外者ですから……」
「見学だけでも、して行けばいいだろ!」
「いいんですか?」
「そのうち、バイトしに来るだろ?」
相変わらず、強引な勧誘だ。
「と、とりあえず、見学だけ……」

 中に入り、素材置き場を通ってから、1階の機械場が一望できる中2階に案内された。下の階に並ぶ個々の工作機械について、ざっくりと説明を受ける。
 僕らが見下ろしていることを知らないであろう従業員達が、機械の一部になったように、絶えず動いている。
 僕が過去に苦戦していた旋盤を使っている人が、複数いる。体型や姿勢は まちまちだけれど、後ろ姿だけでも、手技の巧拙はだいたい判る。本当に「巧い」人は、後ろ姿も美しい。日々の業務で鍛え上げられた筋肉と、長時間に渡る繊細な作業を可能にする姿勢。無駄のない洗練された動きと、作業効率を最大限に高める物品の位置取り・自身の立ち位置。巧くて速い人は、遠くから見ていても、すぐに判る。
 僕が、一人の旋盤工に見惚れているうちに、工場長と松尾くんは、至って事務的な会話をする。

 続いて、CADを使うパソコンや工作機械があるフロアに案内され、そこはもう僕にとっては【異世界】で、他の2人が何の話をしているのかさえ、よく解らない。しかし、松尾くんには工場長でさえ驚くほどの知識がある。伊達に他社で『後継者候補』としての教育を受けていない。

 初めに上がったのとは違う階段から1階に降りると、先生が至極当たり前のように現場で補助的な雑務をしていた。あまりにも溶け込んでいるから、現職の従業員かと思った。
「ああやって雑用しながら、あれこれ嗅ぎ回ってやがるんだ。だから……総会で、誤魔化しが利かない」
株主総会のことだろう。本来、誤魔化してはいけない情報が開示される場である。
「俺は、こいつと面接してくるから……あいつと一緒に、適当に遊んでな」
株主様であるはずの先生が、まるで「家に遊びに来ている親戚の子」である。この偉大な『老師』からすれば、先生も僕も、松尾くんも、子どもみたいなものなのだろう。
 先生は、僕が先ほど上の階から見惚れていた旋盤工と、小声で何か話していた。
 僕がそこへ行くと、旋盤工の彼は何も言わずに仕事を再開し、僕はその手元を「ものづくり動画」のように眺めていた。
 惚れ惚れするほどの洗練された動きで、何時間でも見ていられそうだったけれど、先生が「邪魔になるといけないから」と言って、僕を屋外まで連れ出した。(その途中で、現場の片隅に置き去りにしていたトートバッグを回収した。)
 先生は、屋外の喫煙所で煙草を吸いながら「みんなが元気そうで良かった」と言い、トートバッグから取り出した、見慣れた自己啓発本を読み始めた。これは、先生が「現場で読む用」と呼んで、どこへでも持ち歩く本であり、20年近く読み込んでいるから、もうボロボロなのだ。普段は資料室に保管されている。先生が長年私淑しているという有名な高僧の著書であり、先生にとっては、もはや自己啓発本ではなく【聖典】である。
 松尾くんの面接が終わるまで、僕は先生から禅宗のことをいくつも教わった。

 帰り道、先生は助手席でずっと喋っていた。松尾くんの中途採用が「ほぼ決まり」であることを大いに喜び、また「良い夢が見られそうだ」と、ご満悦の様子だった。
 一人で後部座席に座っていた松尾くんは、ほとんど何も言わなかった。うるさいくらいに上機嫌な先生を前に、完全に「聴き役」に回っていた。


次のエピソード
【37.共助】
https://note.com/mokkei4486/n/n5dd520780a5d

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?