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「プレゼント」への価値観

そういえば今日はホワイトデー。あともう少しで今日は終わるというのに、まだ主人から何もない。今日はこのまま終わるのかしら?なんて、一瞬頭によぎっては、すかさず「終わる」と一人解決。

それもそう、私たちは結婚する前からプレゼントはお互いに注文するというルールが出来上がっているのです。各々何が欲しいかを相手に伝えて、一緒に買いに行く。それが長年のルールになっています。

はじめはお互いに知らないところで買っておいて、当日渡すということもしていました。でも一緒に出掛けることが多くなり、その場で伝えることが増えていき、さらに数年経つと、お互いにいらないものはいらないし、欲しいものが欲しいという価値観を共有し始めました。そんな中今日に至るので、もちろん今日のホワイトデーも私から注文していなければ私の手元には何もやってこないのです。

いいのです。それでいいのです。だって、キャンディーよりも、マシュマロよりも、欲しいものはたくさんあるんだもの。ここまでのプレゼントに対する価値観は共有できているのですが、問題はこれ以降。

主人とは恋人期間も含めるとかれこれ10年ほど人生をともにしているので、その分のイベントを一緒に過ごしてきました。その中で何となくの予算として誕生日プレゼントならこのくらいクリスマスプレゼントならこのくらい、というふわっと合意している感覚があります。というのも、それが無いと欲しいものを注文しづらいので。

その中でも最も奮発するのはやはり誕生日。基本は3万円です。で、ここなんです。私は毎年必ず3万円を使い切って(むしろちょっとオーバーして)毎年ありがたく気持ちを受け取っているのですが、一方の主人はいつもこう。

「今欲しいものないからいいや。その分貯めておいて。」

はじめは驚きました。え、なにそれ?でも確かに。男性の身の回りの物を買うには3万円という予算は少ないのかもしれません。それにしても、それは一体どういう意味?

単に欲しいものが無いのか?それとも優しさか?いや、数年後に何か高額なもを求めるのか?その真意はわからず。

「うん、わかった~」

そう返すこのやり取りがここ数年続いています。主人はわかっているはず。私の性格上、そんな面倒なことはしません。それに、なんかそれこそいよいよプレゼント感もないしって。

お互いに働いていて普通の収入があるので、欲を言わなければ、欲しいものは自分で買える。そんな中あえて買って欲しいものって何なんだろう。ここまで引き伸ばすって何なんだろう。

ある日突然「これが欲しい!」なんて何十万円もするものを言われるのかと思ったらちょっと怖いけど、そこまでしてあえて私から欲しいものが一体何なのか同時に楽しみでもある。

長年連れ添ってもう何でも分かった気がしていたけど、まだまだ分からないこともあるもんだな。なんて思いをはせながら、どうやら我が家のホワイトデーは今年も数日遅れで私の元へやってきそうです。

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